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プリンスが現地時間4月21日に自宅のペイズリー・パークで亡くなったと報じられた。以下は「プリンス」というカルチャー・アイコンにまつわる、あまり知られていない事実だ。

1. 実はあの曲に参加

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プリンスがマドンナの“Like A Prayer”にギターで参加していたことをご存知だろうか? 実はそうなのだ。そしてマドンナの共作者であるパトリック・レオナルドによると、この楽曲のためにプリンスがレコーディングしていた素材はたくさんあったが、マドンナたちがほとんどをカットしてしまったそうだ!

2. ジョン・レノンとの意外な関係

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ジョン・レノンが1980年にニューヨークで殺害された時、プリンスはその現場からほんの1ブロック先にいたという。彼は大のザ・ビートルズファンで、“Come Together”などをカヴァーしたことで知られている。曲に華やかさを付け足したことは言うまでもない。

3. プリンスの様々なニックネーム

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プリンスはニックネームや別名に事欠いたことはなかった。キャリアを通して、彼は「ザ・キッド」、「ザ・パープル・ピュリー」、「ミネアポリス・ミジェット」、「アレクサンダー・ネヴァーマインド」、「クリストファー・トレイシー」、「以前はプリンスとして知られていたアーティスト」などとして知られていた。本名は、プリンス・ロジャース・ネルソンで、幼い頃は「スキッパー」と呼ばれていた。

4. プリンス専用のウィキペディア

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自身専門のウィキペディアのスピンオフ・サイトがあったら大したものだ。「Princepedia(プリンスペディア)」は数年前にファンが創設し、いまだにプリンス・ファンにとって人気の情報源である。

5. “Purple Rain”の歌詞

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プリンスはもともと、“Purple Rain”の歌詞をスティーヴィー・ニックスに依頼していたという。「すごく圧倒されたわ、10分の曲なんて……その曲を聴いて、自信がなくなっちゃたの」と彼女は語っている。「彼に電話をして、こう言ったの。『私にはできないわ。できたらいいとは思うけど、私の手には負えないもの』」そういうわけで、プリンスは自分の思う通りに作り上げ、“Purple Rain”が誕生した。

6. 得意なスポーツ

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157cmという低身長にもかかわらず、プリンスは才能のあるバスケットボール選手で、かつてミネソタ州で一番の学生チームでプレーしていた。

7. 仕事狂ゆえに

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1987年のUKツアーの際、プリンスは練習用の小型グランドピアノをロンドンのザ・チェルシー・ハーバー・ホテルの階段を使って部屋まで上げることは無理だと悟った。それゆえ、この仕事狂の男はクレーンを手配し、窓からピアノを持ち込んだのだ。みんなもそうしますよね。

8. 削られた歌詞

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もともと“Purple Rain”は、11分間というとんでもない長さだった。ヴァ―スとコーラスを削ったのは、金をテーマにした歌詞が不適切だと判断したためだというのは明らかだろう。元の歌詞は以下の通り。「ハニー、僕は君のお金はいらないよ、いらないんだ。君の愛が欲しいとも思ってない。もし、どちらか1つを望むなら、僕は君の金を取るだろうね。僕は重さのある物が欲しいんだ」

9. 歌われなくなった曲

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プリンスはエホバの証人に入信したため、曲中で人を罵ったり、“Darling Nikki”や“Little Red Corvette”のような自由奔放なセックスを擁護していた古い歌を歌うことを拒否していた。

10. 3チャートを独占

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1984年7月27日の週で、プリンスは、自身の映画作品『プリンス/パープル・レイン』と“When Doves Cry”でそれぞれ、全米興行収入、全米アルバム・チャート、全米シングル・チャートで首位を獲得した。

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