6. “Some Might Say”の1位獲得とドラマー、トニー・マッキャロルの解雇

1995年4月:オアシスが初めて1位を獲得したシングルは、トニー・マッキャロルが参加した最後の作品になってしまった。ノエルはトニー・マッキャロルを解雇した理由について「あいつには新しい曲のドラムは演奏できないだろう」と話しているが、一方のトニー・マッキャロルはこの件についてこう語っている。「俺はドラムが大好きなのに、ノエルはみんなに俺のドラムがクソだとふれまわった。ずるくて、せこいやり方だけど、その言葉が今でも俺を苦しめるんだ」。その後、解雇されたトニー・マッキャロルの代わりにアラン・ホワイトがドラムを担当し、イギリスの音楽番組「トップ・オブ・ザ・ポップス」で“Some Might Say”を演奏している。トニー・マッキャロルは1800万ポンド(当時のレートで約35億8200万円)でバンドを訴えたが、のちに60万ポンド(当時のレートで約1億1940万円)で示談に応じている。これがバンドにとって初のメンバー変更となった。


7.『モーニング・グローリー』の巨大ヒット

デビューから1年と少し経った1995年10月2日、『モーニング・グローリー』がリリースされる。このアルバムは大ヒットとなったが、それを裏付ける数字をいくつか紹介しよう。

A リリース初週に34万7000枚を売り上げ、当時、マイケル・ジャクソンの『バッド』に続いて最速売上記録の2位に輝いた。

B UKアルバム・チャートで合計10週間1位の座に君臨しただけでなく、約7カ月間トップ3にランクインした。

C 現在までで、全世界で約2200万枚を売り上げている(オアシスによるアルバム売り上げ総数は、全世界でおよそ7700万枚)。

D クイーンの『グレイテスト・ヒッツ』、アバの『アバ・ゴールド』、ザ・ビートルズの『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』、アデルの『21』に続いて、UKで最も売れたアルバムの5位に輝いている。

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8. リアム、ツアー参加を拒否

リアムは「喉の痛み」を訴えて「MTVアンプラグド」で歌わなかっただけなく、その数日後となる1996年8月27日、USツアーのためシカゴへ飛び立つ直前にヒースロー空港から消えてしまった。その理由? 彼は新しい家を探す必要があったのだ。『ザ・サン』紙にリアムはこう語っている。「俺がオアシスなんだ。俺がこのクソバンドを始めたんだ。バンドには夢中だが、引っ越しがある。バカみたいなクソアメリカ人の前でライヴをしてたら、家を探しに行けねえじゃねえか」

オアシスはリアム抜きでツアーを敢行。その後リアムはツアーに合流したものの、数日後にノエルと殴り合いの兄弟喧嘩を行い、9月12日に今度はノエルがバンドから離脱したと『ザ・サン』紙が報じた。当然、その後ノエルも戻ってきてはいるのだが……。


9. 1999年:ボーンヘッドとギグジーの脱退

1999年8月、オアシスの4枚目となるアルバム『スタンディング・オン・ザ・ショルダー・オブ・ジャイアンツ』のレコーディング中に、ギタリストのボーンヘッドとベーシストのポール・“ギグジー”・マッギガンの2人が揃って脱退した。このアルバムに関して、ノエルは次のように語っている。「最高の時なんかじゃなかったが、大変な時期に生まれたいいアルバムだよ。今までよりも一生懸命やったし、これから先もこんなふうにはやれないだろうな」

ボーンヘッドは、今後は家族(当時、彼の娘は4歳で、息子は2歳だった)ともっと一緒に過ごしたいと語り、ギグジーも同様の理由を挙げてバンドを去った。ギグジーは脱退の意思をファックスで(1999年当時、この方法はメールで脱退を伝えるのと同じくらい礼儀知らずの方法だった)送り、ギャラガー兄弟からの連絡を数週間逃れた。

そんな状況に対してギャラガー兄弟はどうしたか? 彼らは団結したのだ。記者会見の際に2人はこう語った。「クソみたいなサンドイッチを持ったまま、去られた感じだ。どうせ別れの挨拶なんてうまくできないが、面と向かって言ってほしかったよ。あいつとは電話で話したんだ。15年間も一緒にやってきたのにな。ああ、俺たちはショックを受けたよ」

しかし、最後にいつもの調子でこう続けている。「オアシスの未来は明るい。俺たちの伝説と栄光は続くのさ」


10. 2000年:ノエル、ヨーロッパ・ツアーから離脱

ギグジーとボーンヘッドの穴をアンディ・ベルとゲム・アーチャーで埋めたバンドは、順調に活動を再開したかのようにみえた。しかし、アラン・ホワイトが腕を痛めたため、2000年7月4日のバルセロナでのライヴをキャンセルしなければならなくなる。

ギャラガー兄弟はライヴの代わりに飲み明かすが、その際にアナイスは本当にノエルの娘なのかとリアムが疑問を投げかけた。ノエルによれば、リアムはこの件を謝罪していないという。ノエルはツアーから離脱。残されたリアムたちはノエルの代役にマット・デイトンを起用してツアーを続けた。

ノエルはUK公演に合わせてバンドに合流したが、この事件によるダメージは大きかった。これで、オアシスの全ライヴに出演したメンバーは誰もいなくなってしまったのだ。リアムも、ノエルも、他のメンバーも、バンドの全員がどこかでライヴに参加していない時期がある。こんなバンドが他にどれだけいるのだろうか?

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