60位 ザ・ブリーダーズ “Cannonball”


ピクシーズを脱退したキム・ディールは超絶なポップさを鍛え上げ、予測不可能なオルタナティヴのヒット曲を作るために、姉のケリー・ディールやジョゼフィン・ウィッグス、ジム・マクファーソンと共にザ・ブリーダーズを結成した。セカンド・アルバム『ラスト・スプラッシュ』のリード・シングルとなった“Cannonball”は、遊び心満載の騒々しい曲だが、言葉にならないほど素敵で、全方位にアイデアやエフェクトが爆発しているが、なによりそのサビは冬を越すのも十分なほどのエネルギーを兼ね備えており、それこそサビの本領と言えるだろう。


59位 グリーン・デイ “Good Riddance (Time of Your Life)”


“Good Riddance (Time of Your Life)”、もしくは“Time of Your Life (Good Riddance)”、どちらでもお好きな方で構わないが、生意気なパンクの復興者による真のパンク声明となるバラッドだ。世界中のファンたちが心を鷲掴みにされ、1997年のメインストリームのチャートにランクインしている。しかし、実際にはその少し前から世に出ており、初期のヴァージョンは1996年に“Brain Stew/Jaded”のBサイドとしてリリースされている。


58位 ザ・キュアー “Friday I’m in Love”


至福とも言える陰鬱さを持った1989年発表の『ディスインテグレーション』を経て、『ウィッシュ』では80年代中期のポップなロバート・スミスが戻ってきている。同作に収録されている“Friday I’m in Love”は危険なほどアップビートで、象徴的なトラックとなっている。その創作の萌芽はすべてがハッピーだったわけではない。ロバート・スミスはコード進行についてこだわり過ぎるくらいで、たくさんの人に何時間も電話をかけて、このコードは知っているかと弾いて聴かせていた。


57位 エリオット・スミス “Needle In The Hay”


極めて美しくありながら同時に激しさを併せ持つこの曲は、エリオット・スミスの死の伏線のひとつのような、半独白型のアコースティックな讃美歌だ。怒りと憎しみで苛立ちながら、その双方を不安定にコントロールし続けている。またこの曲は、ウェス・アンダーソン監督の映画『ザ・ロイヤル・テネンバウムズ』でルーク・ウィルソンが演じたリッチー・テネンバウムが自殺を図るシーンという、かなりきわどいBGMとしても使用されている。


56位 オール・ダーティ・バスタード feat. ケリス “Got Your Money”


ゲスト・ヴォーカルのケリスが“Caught Out There”でブレイクしたおかげで、辛うじてチャートのトップ10入りはしたものの、この曲はUKチャートでは2000年までヒットしなかった。しかし、1999年リリースの“Got Your Money”が収録されたアルバム『ニガ・プリーズ』で、度々問題を起こしていたODBは社会の敵No.1となり、アメリカを呆れ返らせた。音楽業界への復帰作となったこの曲は、ザ・ネプチューンズによる鞭を鳴らすようなプロダクションと、ODBのヤバいラップがケリスをスターダムへ押し上げている。


55位 フージーズ “Ready Or Not”


1996年、フージーズはワイクリフ・ジョンが「1回、2回(One time, two time)」と5分間繰り返して歌うだけの曲をリリースすることもできたし、しかもそれはチャートの1位になっただろう。しかし、そんな成功にふさわしかった曲こそ“Ready Or Not”だった。デルフォニックスの“Ready Or Not Here I Come (Can’t Hide from Love)”をサンプリングしながら、ダウンビートなグルーヴを作り上げてみせた。ローリン・ヒルがこれほどソウルフルな曲は珍しく、他のメンバーもシンプルさを貫いていて、巧みなフロウでそれぞれのホラ話を繰り広げている。


54位 ローリン・ヒル “Doo Wop (That Thing)”


フージーズの解散後、ローリン・ヒルはヒップホップとドゥーワップを独自に配合したこの曲で、ソロ活動でもいきなりスターダムに登ってみせた。ずっと続くピアノの伴奏に乗って、彼女はジェンダーの両サイドに警鐘を鳴らし、絶妙なスピードでリズムを取り、まるで夢のように幻想的に歌っている。“Doo Wop (That Thing)”がUSチャートでは1位に、UKチャートでは3位にランクインしたことで、ローリン・ヒルはまだ終わっていないという人々の認知を生むことになった。


53位 エラスティカ “Stutter”


エラスティカのフロントマン、ジャスティーン・フリッシュマンとデーモン・アルバーンの完璧なブリットポップ・カップルについては誰もが良く知っているが、エラスティカの小気味のいいパンチのある音楽を作る才能についての真相を知る者は少ない。もちろん、ワイヤーやストラングラーズとは盗作疑惑でかなり揉めていたが、デビュー・シングルの“Stutter”では、尖った魅力あるサウンドが新鮮で、ジャスティーン・フリッシュマンが残念なボーイフレンドを小バカにしている歌詞はエラスティカにおいて一番のキラー・コーラスだろう。


52位 ニルヴァーナ “Lithium”


“Lithium”を聴くと、ノイローゼと不機嫌を常に抱えながら、苦悶の表情でなんとか生きていこうと足掻くことの辛さとはどんなものだろう、と想像を巡らさずを得ない。この曲の主人公は宗教に救いを見いだしたが、カート・コバーンは宗教の恩恵を感じてはいても、信仰を実践することはなかった。大衆化された心理学の話はともかく、いきなりデイヴ・グロールが加入したことで、レコーディングは大変だっただろう。しかし、まるで聖母のようにキマっている。


51位 ザ・ストーン・ローゼズ “One Love”


“One Love”が発売された時、これがセカンド・アルバムまでの長い序章になるのではと我々は考えていたが、この曲から『セカンド・カミング』までは4年間が費やされた。この曲の冒頭は新たなグルーブをベースにした“Fools Gold”を思わせ、さらに“Funky Drummer”のビートも軽く取り入れていて、バンドが活動を再開した際に前面に押し出されることとなる、ギターサウンドの花火も、ジョン・スクワイアが既に火をつけている。


50位 スーパーグラス “Caught By The Fuzz”


「おまえは家名に泥を塗った……恥を知れ!」ギャズ・クームスの母親が、15歳の息子を警察に迎えに行った時、本当にこう言ったのか否かが重要なのではない。“Caught By The Fuzz”が要するに言いたいことは、逮捕の青ざめるような恐怖とその後の家族への接し方に加え、スーパーグラスがそのウィットと旋律、そして玄関マットとして使えそうな程のモミアゲや無精ヒゲと共に、ブリットポップに殴り込んできたということだ。


49位 R.E.M. “Losing My Religion”


長年にわたるカレッジ・ラジオでの人気を経て、ついにR.E.M.は世界中の認知を獲得することになった。そのために必要だったのは演奏にマンドリンを加えることだけだった。ピーター・バックの多才さが本作を生み出したが、レコード・バイヤーたちの心に響いたのはマイケル・スタイプの泣くような歌声だった。R.E.M.は決して後ろを振り向かず、「世界で最も人気あるバンド」の名を受け、“Losing My Religion”で、長らく切望したヨーロッパで初の第1位獲得をオランダで実現した。


48位 ブラー “For Tomorrow”


イギリスがグランジ旋風に巻き込まれていた陰で、ブラーは不成功に終わったアメリカ・ツアーから、米国への軽蔑だけを抱きながら戻ってきたところであった。フロントマンのデーモン・アルバーンは、レイ・デイヴィスの作品を研究することに没頭し、そこから、性格描写やちょっとした気まぐれ、そして今日我々がブリットポップと呼んでいるものがふんだんに盛り込まれた、新たなる叙情の視界が開けたのだ。“For Tomorrow”の歌詞に登場するジムとスーザンの物語とは、始まった現代社会をなんとか乗り越えようとするものだった。


47位 ハウス・オブ・ペイン “Jump Around”


ヒップ・ポップ・トリオのハウス・オブ・ペインは、実はアイルランド系アメリカ人だ。誰も言い当てられなかったはずだ。そうした事実はさておき、彼らの活動期間は短くあまり目立たなかったが、ハウス・オブ・ペインは揺るぎのないスマッシュ・ヒットを飛ばした。“Jump Around”はたまらなく魅力的で、フロアを簡単に満員にして揺らす、究極の1曲であった。この曲はサイプレス・ヒルのDJマグスがプロデュースしたのだが、あのヤカンが鳴るような音のおかげで、この事実もまた、誰も言い当てられなかったはずだ。


46位 セイント・エティエンヌ “Only Love Can Break Your Heart”


サラ・クラックネルの歌声が最終的にセイント・エティエンヌの代名詞となったが、モイラ・ランバートがヴォーカルを提供したこの画期的なシングルは、ニール・ヤングの定番曲“Only Love Can Break Your Heart”を洒落たダンス・チューンに仕立てあげた。メランコリーなグルーヴを持ったこの曲は、セイント・エティエンヌのデビュー・アルバム『フォックスベース・アルファ』の中の珠玉の1曲であり、彼らの将来的な成功の出発点ともなっている。


45位 TLC “No Scrubs”


“No Scrubs”は新しい言葉を教えてくれた。スクラブとは「自分のことをいいカンジだと思ってる男のこと/あるいはダメ男」のことを意味している。TLCによるひねくれたこの曲は、「親友の運転する車で、あてもなくうろついている」能無しの男たちに向けて中指を立て、ギターのループと忍び寄るシンセによって楽曲は進んでいく。しかしスクラブたちにそのメッセージは届いたのだろうか? 答えはノーだ。奴らはどうしようもないアンサー・ソングをすぐに寄越してきた。スポーティ・シーヴスの“No Pigeons”である。


44位 ビースティ・ボーイズ “Intergalactic”


アルバム『イル・コミュニケーション』で、仏教趣味的なファンクとスラッシュ・メタルの融合を果たした後、ビースティ・ボーイズはロシアの作曲家、モデスト・ムソルグスキーの“禿げ山の一夜”をベースにしたこの痛快なエレクトロを引っさげ、お馴染みの馬鹿げた姿で戻ってきた。歌詞の各行の最後の音を叫び、ミュージック・ビデオでは作業服でおどけて回っているという、ビースティ・ボーイズの定番の要素が随所に盛り込まれており、彼らの作品の中ではこの曲のみが、全英シングル・チャートで5位を記録している。


43位 ブラックストリート “No Diggity”


ドクター・ドレーとクイーン・ペンを起用したことで生まれた鋭い切れ味のラップにより、ブラックストリートの滑らかでセクシーな楽曲はチャートを軽々と駆け上り、US、UK共にトップ10を獲得し、USチャートでは1位を奪っている。ブラックストリートが今後、“No Diggity”以上のものを出してくることは決してないだろうという見方もある。しかし、研ぎ澄まされた都会的な強さと、典型的なR&Bをこんなにも最高の形で融合させたこの曲を超えられなかったとして、恥じることなど何もないのだ。


42位 ベック “Where’s It At”


アルバム『オディレイ』で、ベックは1990年代の音楽を定義付けしてみせた。このアルバムによって、ベックは音楽メディアに対して一人前とみなされることになった。そして、“Where’s It At” は、ベックには“Loser”以上の何かがあることを示してみせたのだ。この曲はカテゴライズに挑んで見せる。そもそもこの曲はラップだが、同時に、シンセが奏でるくたびれたハモンド・オルガンの音色から、風変わりなサンプリングまでのすべてを網羅する1曲でもある。ここに、ジャンルを融合してみせる天才が生まれたのだった。


41位 ザ・シャーラタンズ “The Only One I Know”


ザ・シャーラタンズが初めて全英シングルチャートのトップを獲得したこの曲は、マンチェスター出身の先人たちであるストーン・ローゼズやハッピー・マンデーズとの、妙に否定的な形での比較を引き起こし、さらにザ・シャーラタンズが一発屋と目されるきっかけとなってしまった。しかし、ザ・シャーラタンズは後に、そのような言いがかりはあまりに愚かだったと証明している。“The Only One I Know”には、マッドチェスターのうねるようなグルーヴにポップなサウンドが盛り込まれており、彼らの才能の片鱗が十分にうかがえる。


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