11. デヴィッド・ボウイ
作品:『ネヴァー・レット・ミー・ダウン』(1987年)
デヴィッド・ボウイによると、『ネヴァー・レット・ミー・ダウン』の制作中、彼は「窮地」にあったため、彼のアルバム制作に対する無関心さがネガティヴな影響を与えていたそうだ。「『ネヴァー・レット・ミー・ダウン』には、取り扱いを誤ってしまった、いい曲があった。本当に心ここにあらずだったんだ」と後に彼は述べている。「自分が何をやるべきか、まったく分からなかったんだ」
12. ザ・ラーズ
作品:『ザ・ラーズ』(1990年)
ザ・ラーズのデビュー・アルバムはスタジオで終始苦しみながら誕生した。リー・メイヴァースの完璧主義と何度も修正する性格は、彼が決してアルバムのサウンドに満足できないことを意味していた。最終的には、アルバムはリー・メイヴァースの意志に反してリリースされ、彼は即座にこのアルバムを否定している。
13. フー・ファイターズ
作品:『ワン・バイ・ワン』(2002年)
デイヴ・グロールは2002年の努力の結晶について、特に手厳しく語っている。「4曲はいいが、後の7曲は一生演奏することはない」と後に率直な発言をしている。
14. ウィーザー
作品:『ピンカートン』(1996年)
フロントマンのリヴァース・クオモは、『ピンカートン』が悪いとは思っていないが、彼の自伝にある痛々しい表現が、このアルバムに対する複雑な感情を表している。「最近起きた人生で最も辛かったことは、『ピンカートン』についたカルト的崇拝だ」と語っている。「あれはただの病んだアルバムなんだ。病気的な意味で病んでるんだよ」
15. コートニー・ラヴ
作品:『アメリカズ・スウィートハート』(2004年)
コートニー・ラヴは気取って語るタイプの人間ではないので、『アメリカズ・スウィートハート』には落胆したと言う批評を彼女が先導した時もあまり驚かなかった。「筆舌に尽くしがたいほどサウンドはクソね」と2006年に語っており、あのアルバムは「失敗」で「本当にゴミ」だと付け加えている。
16. キャプテン・ビーフハート
作品:『ストリクトリー・パーソナル』(1968年)
この一匹オオカミの1968年のアルバムはしばしば議論の的になってきた。ドン・ヴァン・ヴリートは最初はプロデューサーのボブ・クラスノーによる多くの楽曲におけるフェイザーの使い方に同意していたが、後に考えを変え、それが彼の知ることなく、あるいは許可なく行われたと主張し、自分は気に入らなかったと述べている。
17. ザ・ベータ・バンド
作品:『ザ・ベータ・バンド』(1999年)
ザ・ベータ・バンドの最初の3枚のEP盤は批評家たちが崇め奉ったが、フルレングスのデビュー・アルバムはバンド自身が明らかに煮え切らない反応を示し、「すごくひどい」と評している。
18. ザ・フー
作品:『イッツ・ハード』(1982年)
レコード会社の干渉があったこと、そしてキッチンにはコックが多すぎたこと、これがザ・フーの『イッツ・ハード』を失望に仕立て上げたとロジャー・ダルトリーは語っている。「『イッツ・ハード』はリリースされてはならなかったんだ。僕はピートとものすごい喧嘩をしたよ。僕は言ったさ、『これは完璧な駄作だし、こんなの出したらダメだ』ってね」
19. ザ・ビートルズ
作品:『レット・イット・ビー』(1970年)
度重なる喧嘩と内輪もめ――ジョージ・ハリスンはこの時点でジョン・レノンとポール・マッカートニーと論争があった後、離脱していた――出来上がったもの自体も当の4人はあまり気に入っていなかった。ポール・マッカートニーは特に、フィル・スペクターをレコーディングの助っ人として呼ぶ決定について自身が相談を受けなかったと感じていたという。
20. アット・ザ・ドライヴ・イン
作品:『リレーションシップ・オブ・コマンド』(2000年)
「これはとにかくすごくやる気のないイカサマな出来なんだ……いまだに聴くことができないレコードさ」とオマー・ロドリゲスは彼らの通算3枚目の、そして最後のアルバムについて断言している。「僕がやった中で後悔している1つはこのレコードがミックスされたやり方さ」
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