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ザ・ローリング・ストーンズ のキース・リチャーズは、自身の音楽界での成功は母親であるドリスの洗練された音楽のテイストのおかげだと語っている。

「母はダイヤルをピッタリと合わすのが得意だったんだよ」。キース・リチャーズは、BBCラジオ4「デザート・アイランド・ディスク(無人島に持っていくアルバム)」の司会のカースティ・ヤングにこう語っている。少年時代はボーイ・スカウトのメンバーでコーラスにも参加していたという。

ザ・ローリング・ストーンズは1962年に結成され、結成から50年を超えて、今もなお演奏し続けているが、キース・リチャーズはその理由について次のように語っている。「俺たちはもっと上達できると信じているんだ。勝手な思い込みかもしれないが、観客からの反応や自分たちの演奏する感覚から、まだ進化できるような気がしている。乗りかかった船から飛び降りる奴はいないだろ?」

「今は他の奴らの反抗を眺めているよ。反抗的なイメージって実は足かせになって厄介なんだけどね。今はそれに気づくようになった。だけど昔の俺も嫌いじゃない。孫ができてから俺は進化し始めた気がするよ」

無人島に行くならハンク・ウィリアムスとチャック・ベリーのアルバムを持っていくというキース・リチャーズは、ザ・ローリング・ストーンズのフロントマンであるミック・ジャガーとの関係についても率直に語っている。10代で2人が知り合ったとき、キース・リチャーズは、ミック・ジャガーがアメリカの音楽に精通していること、そして新しいレコードをシカゴから取り寄せていることに驚いたという。

「ミックと俺はかなり仲が良いけど、ケンカをすることもある。そういう時ばかりが話題になるんだよね。ミックとは兄弟みたいな関係だと思ってきた。ケンカしない兄弟なんていないだろ? それに俺たちがケンカする時には正当な理由があるんだ。そんじゃそこらのケンカとはレベルが違うんだよ」

キース・リチャーズは1983年12月の40歳の誕生日にモデルのパティ・ハンセンと結婚しており、2人の娘がいる。前妻のアニタ・パレンバーグとは3人の子供をもうけたが、1人はSIDS(乳幼児突然死症候群)のため、生後2ヶ月で死亡している。当時、彼は子供が死んだその夜にステージに立ったことで非難を浴びたが、それがやりきれない思いに耐える唯一の方法だったとカースティ・ヤングに語った。

「そん時はあまりにもショックだったよ……パリで電話をもらって、ジュネーヴで亡くなったんだ。それで考えてね、今夜ライヴをやらなきゃ、狂っちまうと思ったんだよ」

「じっと座って考え始めたら、自分が何をするか分からない。あれは自己防衛本能だったのかもしれないね。つらく、苦しいことだったよ。今日はライヴがあって俺はステージに上がらなければならないんだと言い聞かせた。悩み、悲しみ、考えるのはライヴが終わってからだってね」

また、キース・リチャーズはクラシック音楽ではヴィヴァルディの『四季』を無人島へ持って行く1枚として選んでいる。

「モーツァルトが一番好きだから苦渋の選択だったけど、彼が自分以外の作曲家で唯一ほめているのがヴィヴァルディだと知ったんだ。そして無人島に持っていくという設定も合わせて考えた結果、ヴィヴァルディの四季を選んだんだよ」

さらに、無人島に持っていく本については、ジェームズ・ノーマン・ホールの『Doctor Dogbody’s Leg』を選び、贅沢品としては、住みかを作り火を起こすためにマチェーテと呼ばれる刀を持参するという。

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