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ジューダス・プリーストはバンドの元ドラマーであるデイヴ・ホーランドの死について声明を発表している。

スペインの新聞『エル・プログレソ』紙によると、デイヴ・ホーランドは現地時間1月16日にスペインのルーゴにあるウニベルシタリオ・ルクス・アウグスティ病院で亡くなったという。死因は明かされていないが、デイヴ・ホーランドの遺体は既に火葬されたと報じられている。

デイヴ・ホーランドはイングランドのノーサンプトンシャーにある自宅コテージで、ドラム・レッスンの生徒だった当時17歳の少年に性的暴行をはたらいたとしてイギリスの刑務所で数年間を過ごした後、スペイン北西部のルーゴ県の中心自治体であるア・フォンサグラーダで暮らしていた。デイヴ・ホーランドは少年へのレイプ容疑のいかなる関与も常に否定していた。バンドで活動していた以降の彼の行動はあったものの、彼との時期はバンドのキャリアの中でも最も生産的で成功したものとなりました。それだけでも、彼は惜しまれるべきです」

ジューダス・プリーストは訃報を受けて、音楽サイト「ブラバーマウス」に以下の声明を発表している。「残念なことに、デイヴ・ホーランドが亡くなったことを聞きました。

「残念なことに、デイヴ・ホーランドが亡くなったと耳にした。このバンドでの活動以降の彼の行動にもかかわらず、彼との時期はバンドのキャリアの中でも最も生産的で成功したものとなりました。それだけでも、彼の死は惜しまれる」

デイヴ・ホーランドは1979年にジューダス・プリーストに加入し、その後の10年間の在籍の中で『ブリティッシュ・スティール』(1980年)、『黄金のスペクトル』(1981年)、『復讐の叫び』(1982年)、『背徳の掟』(1984年) 、『ターボ 』(1986年)、『ラム・イット・ダウン 』(1988年)に参加している。

デイヴ・ホーランドは1989年にジューダス・プリーストを脱退し、後任としてスコット・トラヴィスが加入している。

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