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AC/DCのブライアン・ジョンソンはボン・スコットが生前『バック・イン・ブラック』の歌詞を書いていたという説について言及している。

ボン・スコットは1974年から1980年に亡くなるまでAC/DCのヴォーカリストを務めており、ブライアン・ジョンソンは1980年以降、AC/DCのシンガーを引き継いでいる。

自伝『ザ・ライヴス・オブ・ブライアン』においてブライアン・ジョンソンはボン・スコットが生前『バック・イン・ブラック』の歌詞を書いていたという説に異議を唱えている。

米『ローリング・ストーン』誌のインタヴューでブライアン・ジョンソンはこの噂に言及した理由についても語っている。「1人のあるジャーナリスト、オーストラリアのライターなんだけど、そいつが良しとしなかったんだ。もちろん、マルコムとアンガスは『デタラメだらけだ』と言っていたよ」

「僕としては『あなたたちから言ってもらえればと思うんだけど』と言ったんだけど、2人のアティテュードは常に『放っとけ。言わせておけばいなくなるだろ』というものだった。もちろん、ボン・スコットが書いていないことは日に日に明らかになっていった。だって、まだリフが書かれていなかったからね。2人はやっている最中だった。だから、何も言わないでいたんだ。そうじゃないと、ボン・スコットに名声を与えることになっていただろうからね」

ブライアン・ジョンソンは次のように続けている。「すごく引っ掛かっていたわけじゃないんだけど、たまにファンが来て、『あいつがこんなことを言っているよ』と言ってくるんだ。でも、それは事実じゃない。当時はインターネットがなかったから、オーストラリア以外に広まることはなかった。でも、『ひどすぎる。説明しなければならない』と思ったんだ。本に書いた理由はだからだよ。これを最後に赤子を眠りにつかせることにしたんだ」

「ロックンロールの歴史においても最も励まされる魅力的なストーリーの一つ」と称された『ザ・ライヴ・オブ・ブライアン』はダンストンで育ち、リトル・リチャードをテレビで観て「コーラス団の少年からボーイスカウト、そしてシンガー」になった幼少時代から追ったものとなっているという。

「10年以上にわたってブライアン・ジョンソンはバンドの成功で頭角を現そうとしていました。『トップ・オブ・ザ・ポップ』に出演して、オーストラリアをツアーしましたが、まだ大成功の時は手の届かぬところにありました」

「その後、彼は世界でも最大となるロック・バンドの一つのオーディションでロンドンに呼ばれました。AC/DCはリード・シンガーだったボン・スコットの悲劇的な死によって危機にありましたが、ブライアンが加わることで名作『バック・イン・ブラック』をレコーディングすることになるのです。同作は史上最も売れたアルバムとなりました。その後のツアーは満員のアリーナで行われ、ファンはバンドを支持し、その功績が認められることになったのです」

「人生は波乱万丈ですが、常にブライアンはしっかりと地に足をつけて、自分のルーツを忘れることはなかったのです」

本書でブライアン・ジョンソンは代役を務めたガンズ・アンド・ローゼズのアクセル・ローズのパフォーマンスを観ることができなかったことも明かしている。

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