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ボブ・ディランから12歳の時に性的虐待を受けたと主張していた女性は事件の起こったとされる時期を修正する申し立てを行っている。

昨年8月に提出された最初の訴状には1965年4月から5月の6週間にかけてボブ・ディランが「J.C.」というイニシャルの女性と「友人関係になって精神的繋がりが生まれ」て、当時12歳の彼女に精神的な面でも肉体的な面でも虐待を行ったと記されていた。

訴状ではJ.C.が「重度の心理的苦痛、屈辱、恐怖、解離、怒り、鬱、不安、動揺、人間不信、神経系への重度の障害、肉体的苦痛、精神的苦痛、心理的損害に留まらない精神的/心理的傷害」を負っているとされている。

ボブ・ディランの代理人は「56年越しの申し立ては事実ではなく、積極的に弁護されるでしょう」と否定しており、訴訟のニュースが報じられた数日後には伝記作家のクリントン・ヘイリンが原告が訴状で示した時系列に疑問の目を向けていた。

「当時、ボブ・ディランはイングランドをツアーしていました。また、2週間はロサンゼルスにいました。1日〜2日はウッドストックにいました。ツアーは10公演でしたが、ボブ・ディランは4月26日にロンドンに飛んで、6月3日にニューヨークへと戻ってきました。4月中旬にニューヨークにいたとしても1日か2日かのことでしょう。ツアーをしていない時に過ごしていたのはウッドストックだったのです」

当時、ボブ・ディランを告発した側の弁護士であるダニエル・アイザックは「訴状を支持します」と述べていた。

しかし、『ページ・シックス』によれば、ダニエル・アイザックは依頼人の訴えの文言を変更して、彼女とボブ・ディランの出会いは「1965年の春の数カ月間の間」だったと修正している。

この訴状の変更を受けてボブ・ディランの代理人は次のように述べている。「修正された訴状は、8月に提出された元々の訴状と同じ捏造された主張を再利用しています。当時と同じように今回も虚偽の主張をしているのです。私たちは、この恥ずべき、中傷的でご都合主義の一件の背後にいる弁護士への制裁を求めることを含め、すべての法的選択肢を追求していきます」

J.C.の第二弁護士を務めているピーター・グリーソンは次のように見解を述べている。「いわゆる世代の声とも言われるボブ・ディランがスポークスパーソンを通してとは言え、係争中の問題から関心をそらそうとすべきではありません。ボブ・ディランに自身を弁護する機会は与えられますが、スポークスパーソンに被害者の弁護士が嘆かわしいと脅させることが許されているわけではありません」

現時点でJ.C.は詳細不明の損害賠償と陪審裁判を求めている。

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