ジューダス・プリーストのデビュー・アルバム『ロッカ・ローラ』で演奏していたドラマーのジョン・ヒンチが亡くなった。享年73歳だった。
訃報はジューダス・プリーストのフロントマンであるロブ・ハルフォードによって発表されており、インスタグラムのストーリーでジョン・ヒンチの写真を投稿して、キャプションに「RIP」と記している。
「彼のスタイルは強く、ダイレクトで、唯一無二だった」とロブ・ハルフォードは『ラウドワイアー』に語っている。「今日は『ロッカ・ローラ』を大音量でかけるだろうね」
元ジューダス・プリーストのギタリストであるK・K・ダウニングは次のように述べている。「ジューダス・プリーストの歴史と創作において自分の役割を存分に果たしてくれたジョンが亡くなったと聞いてものすごく悲しいよ」
「一緒に共有したクレイジーで楽しい時間の思い出がたくさんあるんだ。ジョンはすごく頼もしくて、彼の能力を最大限発揮するためにあらゆることをしてくれた。そのドラミングを振り返ると、非の打ち所がないとしか言いようがないね。最後の日まで演奏を続けていたという事実がドラムへの愛に身を捧げた彼の能力を物語っているよ」
「ジョンの遺族に心からお悔やみを申し上げます。安らかに。ジョン」
1947年6月19日にイングランドのスタッフォードシャーで生まれたジョン・ヒンチはバーミンガムの地域でいくつかのバンドで演奏することでキャリアを始め、ロブ・ハルフォードが1973年にジューダス・プリーストのフロントマンになる前に、ロブ・ハルフォードとヒロシマというグループで一緒になっている。
ジョン・ヒンチとロブ・ハルフォードはK・K・ダウニング、ベーシストのイアン・ヒル、ギタリストのグレン・ティプトンに加わり、1974年にブラック・サバスやバッジーのプロデューサーだったロジャー・バイを迎えて、デビュー・アルバム『ロッカ・ローラ』をレコーディングしている。
アルバムはその後ジューダス・プリーストが知られることになるスタイルとは違って、ヘヴィ・メタルというよりもブルース・ロックに近いものとなっていたが、バンドに最初に触れる機会を与えることとなった。アルバムを引っさげてUKとヨーロッパをツアーし、ジョン・ヒンチは運転とバンドの財政をほぼ担う形となっていた。彼はそれが腹立たしかったことを後に認めている。
「ドラムを演奏するのは二の次になってしまったんだよ」とジョン・ヒンチは語っている。「『ステージにいるから、さあやろう』という感じでね。それで常に言い合いのための言い合いをすることになったんだ」
ツアーを終えた後、バンドはセカンド・アルバム『運命の翼』へと向かうことになり、その時点でジョン・ヒンチはバンドを解雇されている。
ジューダス・プリーストでの活動の後、ジョン・ヒンチはバンドのマネージメントでキャリアを築いて、スコーピオンズのウリ・ジョン・ロートやジェームソン・レイドを手掛けている。
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