SHAMIL TANNA/NME

Photo: SHAMIL TANNA/NME

「俺は『金持ちになったら、地元に帰っていつも100ドル札を見せびらかす』というような人間じゃないんだ」とケンドリックは語る。彼は最近カリフォルニア南部のイーストヴェールに控えめな新居を購入している。「誰でもこんな生活から抜け出したくて、奴らの目的はこんなところから抜け出ることだ。だから、抜け出た奴は戻ってきてそれを見せびらかそうとするのさ。だけど、俺はそういう人間じゃない」

しかし、ケンドリック・ラマーはそれでも彼の出身地を誇りに思っている。結局のところ、コンプトンが彼の愛するG-ファンクが彼を育て、ドクター・ドレーを通して世界中から注目を浴びるきっかけを作ってくれた。しかし、他の多くの同年代の人間のように、実家に帰るということは2日間の父親の冗談や毎日の食生活についての絶え間のない質問攻めに遭うだけのものにすぎない。ケンドリック・ラマーにはもっと大きなやらなければならないことがあった。

「成功して、それでもまだ昔の仲間といたいなんてかなり狂ってなきゃできない。そんなの馬鹿げているね。かなり危険だし、自分の変化を認めていないってことだ」

5月の終わりには『NME』誌はロンドンでケンドリック・ラマーに会うことができたが、彼の中の半分は、このコンプトンから足を洗っていた。それもそのはず、その頃、彼はアメリカのシングル・チャートで初となる1位を獲得していた。テイラー・スウィフトとコラボした大ヒット曲“Bad Blood”である。彼が闘志をみなぎらせ前向きなのも当然かもしれない。テイラー・スウィフトとのコラボレーションは一部からは「売上のため」との非難も受けたが、ケンドリック・ラマーのアイデアは見事に成功した。「俺はテイラー・スウィフトが、俺の音楽だけでなくヒップホップという文化をサポートしてくれることに関し感謝している」とAP通信に昨年語っている。「隔たりなんてないよ。音楽っていうのは楽しむことが大切なんだ」

写真撮影の間、ケンドリック・ラマーは、遠い昔の哲学王が自分が生まれる遥か前の折り重なった地形を調べるかのように、撮影用の多くのポーズをさらっとこなした。ノー・ブランドのスポーツウエアを着て、まるで昼間の陽の光の下でくつろいだネコのように、囁きよりわずかに大きめの明るい調子で彼は話す。ケンドリック・ラマーはラップには誠実かもしれないが、彼のようにシャウトができるのは彼しかいない。

「ポジティブな考えがネガティブに打ち勝つってことは言えるよ」彼は自身のスーパースターという扱いについて語った。「俺の家族を養えるし、今まで知らなかった多くの人と知り合えて、新たな文化を学ぶことができた。都会のコミュ二ティで成長したってことは、無駄じゃないよ。強い精神力を身につけた。自分と違うタイプの人々も尊敬するべきだ。そういったことも俺は学んでいる。自分自身のカラにだけ囚われちゃいけないんだ」

『トゥ・ピンプ・ア・バタフライ』のヒットが示唆するのは、ケンドリックにとってさえも名声という罠に適応するのは簡単ではないということだ。『グッド・キッド、マッド・シティー』の大成功はコンプトンの邪悪さから彼を抜け出させることになったが、新作ではまた異なった種類のジレンマと闘っている。スヌープ・ドッグがカメオ出演する“Institutionalized”の歌詞を引用すると「少年を地元のゴロツキから連れ出すことはできる、だけどチンピラに足を洗わせられるのか?」ということだ。

「ある人物を地元のシマから連れ出し、レコード契約をやり、前金を与える」とケンドリックは語って続ける。「その金をどうする? 銃やドラッグに使っちまうか? 前金をもらって50セントがどうしたかっていう話をいつも思い出すんだ。奴は、金を引き出してマリファナを買うのに使っちまった。みんな、そんな感じだろ。俺が契約を結んだときは、まだママと一緒に住んでいた。精神的な責任感をしっかりと持っていなければ、有名になったときに罠にはまっちまうんだ。俺はずいぶん初期の段階から気付いていた」

そして、ケンドリック・ラマーは、彼のライムを2013年に“We Up”で50セントと交わしてみせた。彼は、チンピラが富と名声を得たら、それは刑務所への近道だと分かっているのだ。しかし、ストリートから抜け出すということは他の問題も生み出した。『トゥ・ピンプ・ア・バタフライ』では、そうした罪の意識が随所に現れており、特に“u”は友人が地元で撃たれ、ツアーを止めて、そっちに行きたいと酔っ払いながら叫び、自分の10代の妹が妊娠をしているのにサポートしてあげられないと悲しむといった内容の痛々しい雰囲気の曲である。

『グッド・キッド、マッド・シティー』が大ヒットをし始めた時、ケンドリックは多くの若者達のロールモデルとなった。若者は、“Sing About Me, I’m Dying Of Thirst”を精神的な指針とするなど、彼をスラム街の近代のゴスペルの作り手として尊敬した。それについて、ケンドリックは、当時まだ自分自身の悪と戦っていたときに、そうしたロールモデル扱いをされるのはきつかったと語っている。「本当のことを言うと、リーダーになんてなりたいなんて少しも思ってないんだ。誰の責任も負いたくないさ。誰のもね。それにまだ俺は自分自身についても模索中なんだ。まだ自分がどうであるべきかの答えさえない。みんなにそれを言い続けているよ。まだ俺は学んでいる最中なんだ。だけど、それがみんなの共感を呼ぶのかも。非難とかはしたりしない」

Copyright © 2022 BandLab UK Limited. NME is a registered trademark of BandLab UK Limited being used under licence.

関連タグ