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音楽プロデューサーのフィル・スペクターが亡くなった。享年81歳だった。

フィル・スペクターは女優のラナ・クラークソンを殺害した罪で懲役19年の刑に処されていた。

『TMZ』によれば、フィル・スペクターは4週間前に新型コロナウイルスにかかって入院したものの、回復して刑務所に戻っていた。しかし、再発して呼吸困難のために再度入院して、現地時間1月16日に亡くなったという。

彼の訃報はカリフォルニア州矯正局とリハビリテーションによって発表されている。「カリフォルニア州健康管理施設の受刑者であるフィル・スペクターは2021年1月16日18時35分に外の病院で自然死と宣告されました」とカリフォルニア州矯正局とリハビリテーションのウェブサイトには記されている。

「彼の死因についてはサンホアキン郡保安官事務所の検視官によって判断される予定です」

フィル・スペクターはポップ・ミュージックの世界において最も影響を与えた人物の1人とされ、ウォール・オブ・サウンドの技術を作ったことで知られている。ウォール・オブ・サウンドは楽器を重ね、それぞれの楽器が見分けがつかないほどプロダクションの過程でミックスするもので、それによって重厚なウォール・オブ・サウンドを作っている。

1939年にニューヨークで生まれたフィル・スペクターは1958年にテディ・ベアーズのフロントマンとしてキャリアをスタートさせている。2年後、彼は自身のレーベルであるフィルズ・レコーズをレスター・シルと共同設立し、ダーレン・ラヴ、ザ・ロネッツ、アイク&ティナ・ターナー、ライチャス・ブラザーズらのレコードをリリースしている。

フィル・スペクターはアーティストとして作曲やプロデュースも行い、ザ・クリスタルズの“Then He Kissed Me”、ザ・ロネッツの“Be My Baby”や“Baby, I Love You”をジェフ・バリーやエリー・グリニッジと共作している。1963年にフィルズ・レコーズは史上最高のクリスマス・アルバムの一つと見なされている『ア・クリスマス・ギフト・フォー・ユー・フロム・フィルズ・レコーズ』をリリースしている。

彼は1966年に音楽から引退するが、1969年に復帰してザ・ビートルズのアルバム『レット・イット・ビー』をプロデュースしている。彼はその後ジョン・レノンやジョージ・ハリスンのソロ作をプロデュースし、レナード・コーエン、ザ・ラモーンズ、オノ・ヨーコのアルバムもプロデュースしている。

1968年に彼はロニー・スペクターことザ・ロネッツのヴェロニカ・ベネットと結婚している。1963年のアネット・メアラーと結婚したのに続いて2度目の結婚だったが、1974年に離婚している。1972年にヴェロニカ・ベネットは彼の下を離れたが、彼女を監禁して、彼女のキャリアを妨害し、精神的に虐待したとされている。

1981年以降はフィル・スペクターは音楽活動をほとんど行っておらず、時々プロジェクトに参加する形となっている。手掛けた最後の作品はスターセイラーが2003年に発表した『サイレンス・イズ・イージー』で、2曲をプロデュースしている。彼は個人的・音楽的問題から解雇されている。

同年、女優のラナ・クラークソンがカリフォルニア州アルハンブラのフィル・スペクターの自宅で撃たれたところが発見されている。フィル・スペクターと初めて会った2時間後の出来事だったという。フィル・スペクターはラナ・クラークソンの死が「事故の自殺」だとして「銃にキスをしていた」と主張している。しかし、フィル・スペクターの運転手はフィル・スペクター「誰かを殺してしまったと思う」と発言していたことを明かしている。

2007年の最初の裁判は審理無効で終わったが、続く裁判で第二級殺人罪の判決が下っている。彼は懲役19年の刑に処され、2024年に仮釈放になる予定だった。訴追の中で複数の女性が彼の命令にそむいた時に銃を突きつけられたことを明かし、その虐待の歴史について説明している。

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