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ポール・マッカートニーザ・ビートルズを訴えた時のことについて語り、ザ・ビートルズとその会社のアップルを守るためだったと述べている。

『GQ』誌のインタヴューでポール・マッカートニーはザ・ビートルズの解散について最大の「誤解」の一つだとして、その音楽を守るためにはバンドを訴える以外の選択肢はなかったと語っている。

ポール・マッカートニーは1970年4月にバンドからの脱退を正式に発表し、その後、ザ・ビートルズの正式な解散を求める訴訟を起こしている。

法廷闘争を経てポール・マッカートニーはEMIとアラン・クラインからバンドの音楽の権利を勝ち取っている。アラン・クラインはブライアン・エプスタインの死を受けて1969年にザ・ビートルズのビジネス面を引き継いでいた。

「そうしなければならなかったんだけど、僕はザ・ビートルズを解散させた男で、そのメンバーを訴えたとんでもない奴と思われていたと思う」とポール・マッカートニーは『GQ』誌に語っている。

「ピーター・ジャクソンによる『ゲット・バック』も公開できるし、『アンソロジー』シリーズやザ・ビートルズの素晴らしい作品のリマスターをリリースすることなど、自分としてはザ・ビートルズとアップルを守る唯一の方法がバンドを訴えることだった」とポール・マッカートニーは続けている。

もしポール・マッカートニーがそうした行動を起こしていなければ、バンドは音楽の権利を失っていたと彼は明かしている。

ポール・マッカートニーは次のように語っている。「もしそうしていなければ、全部アラン・クラインのものになっていた。そこから抜け出す唯一の方法が僕のしたことだった。『アラン・クラインを訴える』と言ったんだけど、彼は当事者じゃないから、それはできないと言われてね。『ザ・ビートルズを訴えなきゃいけない』と言われたんだ」

「想像できるだろうけど、身の毛もよだつ話で、ひどい時期を僕は過ごすことになった。飲みすぎで、すべてのことがやり過ぎになった。クレイジーだったよ。でも、できることはそれだけだと分かっていたんだ。自分には擁護することもできなかったし、人生を通して一生懸命働いて、それが一瞬で消えるのを見ているわけにはいかなかったからね」

「もし擁護していたら、それは彼らのためにはなるとは分かっていた。というのも、ザ・ビートルズはすべてを手放そうとしていたんだ。彼らはアラン・クラインが好きだったからね。僕は『あいつはバカだ』と言っていたけどさ」

ポール・マッカートニーはその論争がザ・ビートルズの解散について最大の誤解を生むことになったと語っている。「ザ・ビートルズが解散した時にお互いが嫌い合っていたという誤解があったと思う。今思うのは、それは家族だったからで、ギャングや一族的なものなんだよね。家族には軋轢があるわけでね」

先日、ポール・マッカートニーは未公開の“Calico Skies”のアコースティック・バージョンの音源が公開されている。

“Calico Skies”はポール・マッカートニーの19997年発表の『フレイミング・パイ』に収録されている。同作は90年代に出したアルバムの中で最も商業的に成功したアルバムで、80年代以来初めてチャートで最高位を記録している。

“Calico Skies”のアコースティック・バージョンは7月31日にリリースされた『フレイミング・パイ』のボックスセットに収録される。ボックスセットには未発表デモやアウトテイク、リハーサル音源などが収録されている。

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