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ザ・ビートのヴォーカリストであるランキング・ロジャーが亡くなった。享年56歳だった。

本名をロジャー・チャールリーというランキング・ロジャーは現地時間3月26日に息を引き取ったという。彼の訃報はザ・ビートのフェイスブックで伝えられており、声明で次のように述べられている。「彼は闘って、闘って、闘い抜きました。ロジャーはファイターだったのです」

「ロジャーの家族は、この難しい時期に皆さんからの絶え間ないサポートに感謝しています」と投稿は締めくくられている。

ザ・ビートの投稿はこちらから。

https://www.facebook.com/TheBeat/photos/a.347061265389956/2150954058333992/?type=3&theater

ランキング・ロジャーは2つの脳腫瘍と肺ガンを患っていたほか、2018年8月には軽度の脳卒中を起こしていた。

1963年にバーミンガムで生まれたランキング・ロジャーはザ・ビート(北米ではジ・イングリッシュ・ビートとして知られている)としての活動で最も知られており、ザ・ビートは最初の活動期に『アイ・ジャスト・キャント・ストップ・イット』(1980年)、『ホワップン』(1981年)、『スペシャル・ビート・サービス』(1982年)の3枚のアルバムをリリースしている。ザ・ビートは“Stand Down Margaret”や“Mirror In The Bathroom”、“Drowning”などの楽曲でよく知られている。

ランキング・ロジャーはザ・ビートとしての活動の他に、1980年代半ばにザ・ビートのデイヴ・ウェイクリングと共にフロントマンとしてジェネラル・パブリックを結成している。ジェネラル・パブリックは2枚のアルバムをリリースしており、1984年に『オール・ザ・レイジ』を、1986年に『ハンド・トゥ・マウス』をリリースしている。

ランキング・ロジャーはソロとしてもアルバムをリリースしており、初となるソロ・アルバム『ラディカル・デパーチャー』を1988年にリリースしている。ランキング・ロジャーはキャリアの中でたびたびスティングとライヴで共演していたほか、今年ザ・ビートと共に最後となるアルバム『パブリック・コンフィデンシャル』をリリースしている。

また、ランキング・ロジャーは著者の一人として参加した自身の音楽人生について綴った自伝が今年刊行される予定となっている。

ランキング・ロジャーの訃報を受けてソーシャル・メディアでは追悼の声が寄せられている。

「ロジャーの最後の公演で、最高の友人であるロジャーや(彼の息子の)マーフィーと撮った写真。ロジャーを失ってしまったことに打ちのめされているよ。特別なビートのパートナーだったんだ! (妻の)シュガリーと僕は回復に向けてロジャーを元気づけるために、ここ2週間にわたってできる限り彼や彼の家族のもとを訪れていたんだ。闘志に満ちたライオンの炎が消えてしまったことを悲しく思う。バンドの全員も僕もとても悲しんでいるし、(ランキング・ロジャーのニックネームである)ターボのことをとても惜しむことになるよ」

「ランキング・ロジャーが亡くなったと聞いて、とても残念だよ。安らかに、ルード・ボーイ」

「安らかに、ランキング・ロジャー。大きな愛を」

「安らかに、ランキング・ロジャー。インスピレーションとしてオリジナルの存在で、彼は最後まで反抗し、いつだって紳士だった。彼とステージを共にし、話すことができたのは名誉であり、特権のように感じている。チャールリーやザ・ビートの家族に愛を送るよ」

「ランキング・ロジャーのニュースはショックだ。彼の体調が最近芳しくなかったのはしていたけど、こうなるとは思っていなかった。ザ・ビートはウェスト・ミッドランズの黄金期における素晴らしいバンドだった。彼の貢献はその大きな部分を占めていたんだ」

「1980年にバーミンガムのトップ・ランクでマイティ・マイティが撮影したランキング・ロジャーの美しい写真。この写真が大好きなんだ」

「ランキング・ロジャーよ、安らかに。少し前に、写真撮影中の舞台裏映像の撮影で彼に会えたことは嬉しかった。紛れもないレジェンドだよ!」

「安らかに、ランキング・ロジャー。今日の早朝に、家族に看取られて自宅で安らかに息を引き取りました。ロジャーは闘士でした」

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