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マニック・ストリート・プリーチャーズのギタリストであるリッチー・エドワーズは、今週にロンドンで開催される行方不明者の肖像画展で彼の肖像画が展示されることが明らかになっている。

リッチー・エドワーズは1995年2月1日、27歳の時にロンドン中心部のエンバシー・ホテルから失踪している。失踪後、世界各地から目撃情報が寄せられたものの、リッチー・エドワーズは2008年に正式に亡くなったと見なされている。

行方不明者やその家族を支援するチャリティ団体「ミッシング・ピープル」は、団体の設立から25周年を迎えることを記念して、アーティストのベン・ムーアをキュレーターに迎えてロンドンのブリック・レーンで行われる「ジ・アザー・アート・フェア」で「アンミサブル」と題した展示会を開催することが発表されている。展示会ではアーティストのウィル・ティーザーが手がけたリッチー・エドワーズの肖像画も展示され、ウィル・ティーザーはリッチー・エドワーズについて「10代の頃のアイドルの1人」だと語っている。

リッチー・エドワーズの妹であるレイチェル・エリアスは兄の安否を明らかにするための活動を続けながら、「ミッシング・ピープル」の普及活動も行っている。

「私は24年間、リチャードの身に起きたミステリーがいつか解けるのではないかという希望を持ちながら生きてきました。私は彼の安否に関わるニュースを今も必死になって探していますし、これからも人々に協力を求めていくつもりです」

「今回の展示会が心を打つような、『ミッシング・ピープル』を知ってもらうための効果的な機会になることを願っています。『ミッシング・ピープル』というチャリティ団体は、家族や私を25年近く支え続けてきてくれました。ここで集められたお金が、私のような人々や行方不明の方、そしてその家族の方々を支援するための活動を続けるために使われることを嬉しく思っています。私たちに何らかの答えをもたらしてくれることを願っています」

一方、自身にも行方不明の兄弟がいるベン・ムーアは次のように述べている。「兄弟が行方不明になって以来、私はレイチェル・エドワーズと強い絆で結ばれながら、私たちの兄弟が今も地球の生きていると信じて、いつかまた会えるという希望を持ち続けてきました」

「エドワーズは今も行方不明です。今回のアートワークに取り組みながら、私は改めて彼の才能を失ってしまったことを実感し、兄弟の安否が分からない時の家族としての辛さを改めて痛感させられました。行方不明になってしまった若かりし頃のアイドルの1人に、相応しい敬意を捧げられていれば幸いです」

「アンミサブル」では25人のアーティストが手掛けた25人の行方不明者の肖像画が展示され、すべての肖像画がチャリティとして販売される。「アンミサブル」も開催される「ジ・アザー・アート・フェア」はザ・トゥルーマン・ブルーワリーで3月14日から17日まで行われる。

リッチー・エドワーズは先日、彼の家族が初めて全面的に協力し、これまで公開されていなかったリッチー・エドワーズの私物などが提供されて書かれた新たな書籍『ウィズドロウン・トレーシズ:サーチング・フォー・ザ・トゥルース・アバウト・リッチー・マニック(原題)』が刊行されている。

レイチェル・エリアスは、リッチー・エドワーズと共に他の行方不明者も探す活動を続けており、昨年、その足取りについて真実を示す新たな証拠があったと述べている。レイチェル・エリアスは、失踪した人の家族で構成される、「ブリテンズ・ゴット・タレント」にも出演したこともある合唱団「ザ・ミッシング・ピープルズ・クワイアー」に参加している

リッチー・エドワーズが参加した最後の作品はマニック・ストリート・プリーチャーズの1994年の傑作『ホーリー・バイブル』となっている。また、バンドは2009年にリリースした『ジャーナル・フォー・プレイグ・ラヴァーズ』で彼が残した歌詞を使用している。

一方、マニック・ストリート・プリーチャーズは高い評価を得た1998年のアルバム『ディス・イズ・マイ・トゥルース・テル・ミー・ユアーズ』の20周年を記念したUKツアーを5月に行う予定となっている。

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