Photo: Disney

ザ・ビーチ・ボーイズは亡くなった結成メンバーであるブライアン・ウィルソンに追悼の意を表明している。

ブライアン・ウィルソンは亡くなったことが遺族によって発表されている。享年82歳だった。

「愛する父のブライアン・ウィルソンが亡くなったことを発表することに胸を痛めています」と遺族は述べている。「今は言葉を失っています。家族が悲しんでいる今はプライバシーに御配慮いただければと思います。私たちの悲しみを世界も共有していることは理解しています。ラヴ&マーシー(愛と慈悲を)」

ザ・ビーチ・ボーイズはブライアン・ウィルソンを偲んで、ソーシャル・メディアに次のように投稿している。「今日は世界が天才を悼んでいます。従兄弟にして友人、音楽における壮大なアドベンチャーのパートナーを亡くしたことを悲しんでいます。ブライアン・ウィルソンはザ・ビーチ・ボーイズの中心人物であっただけでなく、サウンドの魂でした。彼が思い描いたメロディーと音符に注ぎ込んだ感情は音楽の歩みを永遠に変えることになりました。彼の比類なき才能と独自のスピリットは私たち自身も含め、世界中で多くの人の人生においてサウンドトラックを生み出しました」

「私たちは共に世界にアメリカン・ドリームの楽観性、歓喜、自由の感覚をもたらし、夏と無限の可能性を信じさせる気分のよくなる音楽を届けました」とザ・ビーチ・ボーイズは続けている。「彼が亡くなったことで胸を痛めています。一緒に作った音楽、何十年にも無数の人々に届けてきた歓喜を大切にしていくでしょう。彼のことは深く惜しまれますが、彼の功績はその楽曲や思い出の中で生き続けていくのでしょう」

https://www.facebook.com/thebeachboys/posts/pfbid02VhB641kWNdtehmmymawNsR7FWsVbm8Baszz8NcC5Z9n1PXeTXCKDYCiXbyib76Hsl

昨年、ブライアン・ウィルソンは認知症と診断されたことが報じられ、家族や近い友人によって自分の面倒を見ることができないということで保佐人の下に置かれることとなっている。昨年1月、妻でマネージャーを務めてきたメリンダ・レッドベターが亡くなっており、彼女はブライアン・ウィルソンの健康状態の悪化に伴い、彼の介護者として身の回りの世話を行っていた。ブライアン・ウィルソンは生涯にわたって精神疾患を抱えており、1964年には神経衰弱に陥り、ザ・ビーチ・ボーイズの通常のツアーから退き、作曲とプロデュースに専念することとなっていた。

ブライアン・ウィルソンは作曲、プロダクション、テクスチャーに関する見事な才能と実験的なアプローチによってポップ・ミュージックが達成し得るパラメーターを変えた現代音楽の天才の一人として知られてきた。

ブライアン・ウィルソンは兄弟のデニス・ウィルソン、カール・ウィルソン、従兄弟のマイク・ラヴ、友人のアル・ジャーディンと共に、大きな影響を与えることになったザ・ビーチ・ボーイズを1961年に結成している。その重層的なヴォーカル・ハーモニーによって一線を画したザ・ビーチ・ボーイズは“Surf City”、“I Get Around”、“Help Me, Rhonda”、“Good Vibrations”といった楽曲で全米シングル・チャート1位を獲得している。そして、1996年発表のコンセプト・アルバム『ペット・サウンズ』でクリエイティヴ面での頂点に達して、ザ・ビートルズの『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』に影響を与えることになった。ポール・マッカートニーはしばしば同作を史上最も好きなアルバムに挙げている。

ブライアン・ウィルソンは正式にグループを脱退したことはなかったが、70年代中盤以降はほとんど活動を行っておらず、散発的なライヴや時折の作曲活動に留まることとなっていた。

ブライアン・ウィルソンは1988年にセルフ・タイトルのソロ・アルバムをリリースしている。アルバムには80年代のポップな楽曲が数多く収録されていたが、“Love And Mercy”などの楽曲には彼ならではの作曲スタイルが反映されていた。その後はジョージ・ガーシュウィンやディズニー音楽を再解釈したアルバムもリリースされており、最後のアルバムは2021年発表の『アット・マイ・ピアノ』となっている。

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