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ザ・ビーチ・ボーイズのアイコンにしてポップ・ミュージックの先駆者だったブライアン・ウィルソンが亡くなった。享年82歳だった。

ブライアン・ウィルソンの訃報は遺族によって現地時間6月11日にソーシャル・メディアで発表されている。

「愛する父のブライアン・ウィルソンが亡くなったことを発表することに胸を痛めています」と遺族は述べている。「今は言葉を失っています」

「家族が悲しんでいる今はプライバシーに御配慮いただければと思います。私たちの悲しみを世界も共有していることは理解しています。ラヴ&マーシー(愛と慈悲を)」

昨年、ブライアン・ウィルソンは認知症と診断されたことが報じられ、家族や近い友人によって自分の面倒を見ることができないということで保佐人の下に置かれることとなっている。昨年1月、妻でマネージャーを務めてきたメリンダ・レッドベターが亡くなっており、彼女はブライアン・ウィルソンの健康状態の悪化に伴い、彼の介護者として身の回りの世話を行っていた。ブライアン・ウィルソンは生涯にわたって精神疾患を抱えており、1964年には神経衰弱に陥り、ザ・ビーチ・ボーイズの通常のツアーから退き、作曲とプロデュースに専念することとなっていた。

米『ローリング・ストーン』誌に対してブライアン・ウィルソンの長年のマネージャーであるジーン・シーヴァースは声明で次のように述べている。「ブライアン・ウィルソンはその音楽、精神、強靭さを通して世界に多くのものを与えてきました。彼は素敵で、優しい魂の持ち主であると同時に手強い競合者でもありました。彼のような人は二度と現れないでしょう。神はブライアン・ウィルソンを生み出したことで既成概念を覆してみせました。クリエイティヴ面で天才であるだけでなく、彼は私の知る中でも最も知的で愉快な人でもありました。彼の愛のメッセージはその音楽を通して永遠に生き続けるでしょう」

ブライアン・ウィルソンは作曲、プロダクション、テクスチャーに関する見事な才能と実験的なアプローチによってポップ・ミュージックが達成し得るパラメーターを変えた現代音楽の天才の一人として知られてきた。1942年6月20日にカリフォルニア州イングルウッドで生まれたブライアン・ウィルソンは虐待的な父親の下で育ったとして、1991年刊行の自伝『ブライアン・ウィルソン自叙伝 - ビーチ・ボーイズ 光と影』では次のように述べている。「彼は厳しい姿勢で子供たちを指導する愛情深い父親だと自負していましたが、心理的・肉体的に私たちを虐待して、癒やされない傷を残しました」

その後、ブライアン・ウィルソンは兄弟のデニス・ウィルソン、カール・ウィルソン、従兄弟のマイク・ラヴ、友人のアル・ジャーディンと共に、大きな影響を与えることになったザ・ビーチ・ボーイズを1961年に結成している。その重層的なヴォーカル・ハーモニーによって一線を画したザ・ビーチ・ボーイズは“Surf City”、“I Get Around”、“Help Me, Rhonda”、“Good Vibrations”といった楽曲で全米シングル・チャート1位を獲得している。そして、1996年発表のコンセプト・アルバム『ペット・サウンズ』でクリエイティヴ面での頂点に達して、ザ・ビートルズの『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』に影響を与えることになった。ポール・マッカートニーはしばしば同作を史上最も好きなアルバムに挙げている。

ブライアン・ウィルソンは“God Only Knows”も収録された『ペット・サウンズ』を作曲・プロデュースした時は弱冠23歳だった。

『ペット・サウンズ』の後、ブライアン・ウィルソンと作詞家のヴァン・ダイク・パークスは『スマイル』と題された次回作に取り組んだが、この野心的で実験的なプロジェクトには高度なヴォーカル・アレンジや洗練された録音技術が採用されたが、バンド内の確執、ブライアン・ウィルソンの精神状態の悪化、そして楽曲の複雑さから、このアルバムは棚上げされることとなっている。

『スマイル』のセッションで制作された楽曲はその後、1971年発表の『サーフズ・アップ』に収録され、タイトル曲はブライアン・ウィルソンによる最も完成度の高い作品の一つとなっている。ブライアン・ウィルソンは2004年に再録音したパートを含むソロ作品として『スマイル』をリリースしており、2011年にはオリジナルのレコーディングから再構築された『ザ・スマイル・セッションズ』がリリースされている。

ブライアン・ウィルソンは正式にグループを脱退したことはなかったが、70年代中盤以降はほとんど活動を行っておらず、散発的なライヴや時折の作曲活動に留まることとなっていた。

その時期にドラッグの問題が彼の生活を支配するようになり、1975年に心理学者でありセラピストでもあるユージン・ランディが治療のために紹介されている。80年代、ユージン・ランディはブライアン・ウィルソンに強力な向精神薬を処方し、ブライアン・ウィルソンは朦朧とした状態に陥り、結局、1991年にユージン・ランディは追放されることとなっている。

ブライアン・ウィルソンは1988年にユージン・ランディが監督する下でセルフ・タイトルのソロ・アルバムをリリースしている。アルバムには80年代のポップな楽曲が数多く収録されていたが、“Love And Mercy”などの楽曲には彼ならではの作曲スタイルが反映されていた。その後はジョージ・ガーシュウィンやディズニー音楽を再解釈したアルバムもリリースされており、最後のアルバムは2021年発表の『アット・マイ・ピアノ』となっている。

2024年1月、妻のメリンダ・レッドベターが亡くなった際、ブライアン・ウィルソンは次のように述べている。「胸を痛めています。28年間、私の愛する妻だったメリンダが今日の朝亡くなりました。5人の子どもと私は涙に暮れています」

ブライアン・ウィルソンは妻に追悼の意を表して、「救世主」にして「頼みの綱」だったと評している。「メリンダは私の妻にとどまりませんでした。彼女は私の救世主で、キャリアを続けていくのに必要な精神的な安らぎを与えてくれました。自分の気持ちに最も近い音楽を作るように彼女は後押ししてくれました。頼みの綱でした。彼女は私たちにとってのすべてでした。彼女のために祈りの言葉を口にしてもらえればと思います」

ビル・ポーラッドが監督した2014年公開の伝記映画『ラブ&マーシー 終わらないメロディー』はブライアン・ウィルソンとメリンダ・レッドベターの関係を描いたもので、ポール・ダノとエリザベス・バンクスがそれぞれを演じている。エリザベス・バンクスは撮影前にメリンダ・レッドベターから聞いた話を明かしている。

「彼女が言ってくれたのは『彼の最愛の相手は音楽だった』ということだった。『何も代わることができない。彼の存在そのもので、すべてだった。だから、自分は二番手に甘んじることになったけど、それでよかった。素晴らしい二番手よね』ってね」

ブライアン・ウィルソンは1970年代にお蔵入りになってしまったカントリー・アルバム『カウズ・イン・ザ・パスチャー』が2025年のどこかでリリースされることも決定している。

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