トニー・ヴィスコンティはハリー・スタイルズが新たなデヴィッド・ボウイではないかという論調に対して、ハリー・スタイルズは引き合いに出されるべきではないと述べている。
生涯を通してデヴィッド・ボウイとコラボレーションしてきたトニー・ヴィスコンティはロサンゼルスで開催された第65回グラミー賞授賞式への見解をフェイスブックで述べている。
「グラミーとラスベガスにどんな違いがあるのだろう? 何もないね」とトニー・ヴィスコンティは綴っている。
トニー・ヴィスコンティは続けて『ハリーズ・ハウス』で最優秀アルバム賞と最優秀ポップ・ヴォーカル・アルバム賞を受賞したハリー・スタイルズへの見解についても述べている。ハリー・スタイルズは授賞式で“As It Was”のパフォーマンスも披露している。
「ハリー・スタイルズは新たなデヴィッド・ボウイじゃないかと言っている人がいるって?」とトニー・ヴィスコンティはコメントとして綴っている。「今夜観たものから言うと、その後を引き継ぐ資格はないと思う」
トニー・ヴィスコンティは1969年の“Space Oddity”でコラボレーションして以来、デヴィッド・ボウイと50年近くにわたって10枚のアルバムで断続的に仕事をしてきており、デヴィッド・ボウイが亡くなる直前の2016年1月にリリースされた最後のアルバム『★(ブラックスター)』でも仕事をしている。
トニー・ヴィスコンティのコメントに対して、ある人物は同意して次のように述べている。「新たなデヴィッド・ボウイとなる人物は決していない。彼は独自の場所にいて、常にユニークなのだから」
先日、トニー・ヴィスコンティはデヴィッド・ボウイの“Weeping Wall”をレコーディングした時の「鳥肌もの」の知られざる秘話を語っている。
「ベルリンは4つに分かれていて、一番悲しかったのは東側の地区だった」とトニー・ヴィスコンティは振り返っている。「時折、チェックポイント・チャーリー(当時の国境検問所)を通って昼間に東ベルリンに行って、夕食を食べたり、散歩したりもした。僕たちはそれが許されていた。監視は厳重だったよ」
「東側へ行くこと、もしくは西側に戻ることはちょっとつらいものだった。最も痛ましかったのは西側に戻る時に車道沿いに東ベルリンの人々が並んでいて、白昼堂々、車のトランクに入れてくれとか、車の底にしがみついていいかと懇願されることだった」
「そうした絶望的な人々の顔を観て、デヴィッド・ボウイは“Weeping Wall”を書いたんだと思う。ベルリンの壁の向こう側では泣いている人々がいたんだ」
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