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元デッド・ケネディーズのフロントマンであるジェロ・ビアフラは週末に亡くなったドラマーのD.H.ペリグロに追悼の意を表している。

ジェロ・ビアフラは自身のレーベルであるオルタナティヴ・テンタクルズのウェブサイトに追悼文を掲載しており、「いつまでも忘れられない」「才能ある」人だったと評している。

「ドラム・キットの後ろにいても彼には存在感があった」とジェロ・ビアフラは述べている。「動物的な本能で、彼は二度と同じように演奏することはなかった。生まれながらのショーマンだった」

ジェロ・ビアフラは初めて会った時、サンフランシスコの廃れたデフ・クラブでD.H.ペリグロが彼のバンドであるSSIで演奏するのを観て、「一人で注目を集める」のを目撃したと振り返っている。「自由奔放なアフリカ系アメリカ人の自然な力があった。満足した表情を浮かべ、頭にバナナを乗せて、ツーバスで、必死に歌っていた」

D.H.ペリグロは1981年に結成メンバーのテッド(ブルース・スレシンガー)に代わってデッド・ケネディーズに加入している。ジェロ・ビアフラによれば、D.H.ペリグロは「宿題をやっていた」ために最後のオーディションでメンバーのポジションを獲得することになったという。

「イースト・ベイ・レイは彼が車のラジオで一度聴いただけで“In-Sight”を覚えてしまったと言っていた。こうして僕らはそれまでになかった感覚と威力を手にすることになった。あとは歴史になっている通りだ」

ジェロ・ビアフラは1986年を最後にデッド・ケネディーズから離れているが、今日までメンバーとの継続的な関係を維持しており、D.H.ペリグロとは友人関係にあり、D.H.ペリグロの創作活動とリハビリの個人的な努力の両方に賛辞を寄せている。

「他の連中が笑わないことでも僕らはいろいろ笑っていたんだ。僕たちの間には独自な絆があったんだよ」とジェロ・ビアフラは述べている。

D.H.ペリグロは昨日10月28日にロサンゼルスの自宅で亡くなっている。享年63歳だった。1988年に短期間、活動を共にしたレッド・ホット・チリ・ペッパーズのベーシストのフリーはD.H.ペリグロのことを「ブラザー」と評している。

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