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ステイプル・シンガーズの結成メンバーであるパーヴィス・ステイプルズが亡くなった。享年85歳だった。

米『ローリング・ストーン』誌はメイヴィス・ステイプルズのマネージメントであるアダム・エアーズと共に訃報を報じている。パーヴィス・ステイプルズは5月6日にイリノイ州ドルトンの自宅で亡くなっている。死因については発表されていない。葬儀はシカゴで5月17日に開催される。

メイヴィス・ステイプルズはパーヴィス・ステイプルズの死について米『ローリング・ストーン』誌で声明を発表しており、「唯一無二――コミカルにして格好いい人でした」と述べている。

「彼は常に喜んで他の人々に力を貸して励ます公正な人物として記憶されたがっていました。彼は素晴らしい人物の1人であり、真のシカゴのレジェンドとして生き続けていくでしょう」

パーヴィス・ステイプルズの父親だったローバック・”ポップス”・ステイプルズは1948年に自身の子どもたちと共にステイプル・シンガーズを結成している。最初のパフォーマンスはシカゴ近郊の教会で、主にゴスペルを歌うものだった。ステイプル・シンガーズは1952年に最初のプロフェッショナルな契約を結び、ボブ・ディランにも影響を与えた“Uncloudy Day”といった初期のヒット曲をレコーディングしている。

エピック・レコーズと契約して以降、ステイプル・シンガーズはよりメインストリームのソウルやR&Bの方向へと進み、より名声を獲得することになった。スタックス・レコードと契約した1970年代に“Respect Yourself”、“Let’s Do It Again”といった最大のヒット曲をリリースしており、マーティン・スコセッシ監督の『ラスト・ワルツ』に出演している。

パーヴィス・ステイプルズはミシシッピー州ドリューで1935年11月に生まれた後、一家はシカゴに移住している。メイヴィス・ステイプルズは彼の幼少期について米『ローリング・ストーン』誌でサム・クック、ルー・ロウルズ、ジェリー・バトラーらと交友関係があったと述べている。

「パーヴィスたちは夏の時期に街灯の下に立ってドゥーワップ・ソングを歌っていました」と彼女は述べている。

パーヴィス・ステイプルズは1968年に『ソウル・フォークス・イン・アクション』をリリースした後、最大のヒットを飛ばす前に脱退している。メイヴィス・ステイプルズは彼の脱退について父親の傘の外で自分自身を証明したかったからと説明している。

「彼は米軍にもいて、彼は一人の男性として自立したかったのです。パーヴィス・ステイプルズは父の息子としか見られないのがイヤだったのです」

パーヴィス・ステイプルズはステイプル・シンガーズとして1998年にロックの殿堂入りを果たしている。2005年にはグラミー賞で特別功労賞を受賞している。

ローバック・”ポップス”・ステイプルズは2000年に、クレオサ・ステイプルズは2013年に、イヴォンヌ・ステイプルズは2018年に亡くなっており、メイヴィス・ステイプルズだけが存命中となっている。パーヴィス・ステイプルズは6人の子ども、7人の孫、7人のひ孫を残している。

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