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アンダーグラウンドのオリジネイターたちが栄光を手にすることは稀である。泥棒鳥のカササギのような連中が彼らの作品から影響を受けて、称賛をかっさらってしまうのが常だからだ。しかし、そんななかでもアンドリュー・ウェザオールは特筆すべき例外だった。その彼が現地時間2月17日朝、肺塞栓症で亡くなった。享年56歳だった。

彼の業績は単にDJ、プロデューサーであるというばかりではない。DJ時代には当時まだクラブ・シーンに登場したばかりのアシッド・ハウスの隆盛を後押しした先駆者だった。そして、他ジャンルへと波及したアシッド・ハウスの突発的な成功の立役者でもあった。もし彼がハッピー・マンデーズやプライマル・スクリームのプロデュースやリミックスを通してインディー・ロックにエレクトロニック・ダンス・ミュージックを取り入れなかったなら、アシッド・ハウスは永遠に坊主頭のレイヴDJやわんぱくなシェイメンの音楽というだけで終わって、真に値するリスペクトを勝ち得なかったかもしれない。オルタナティヴ・ミュージックは、彼のおかげでその後何十年先までも豊かなものになった。

アンドリュー・ウェザオールは1963年4月6日バークシャーに生まれた。彼のDJとしてのキャリアは、フリーランスの音楽記者として働き、テリー・ファーリー、サイモン・エッケル、スティーヴ・メイズらと共にファンジン『ボーイズ・オウン』を刊行していた時期にさかのぼる。彼はロンドンのイズリントン区のクラブ・パーティでダニー・ランプリングと出会い、アシッド・ハウスの拠点となっていたシューム、そしてポール・オーケンフォールドが主催した「フューチャー」や「スペクトラム」といったパーティーでプレイするようになった。彼は自分の音楽を作るようになると、自身のレーベルのボーイズ・オウン・レコーディングスから作品をリリースしたが、彼にとっての本当の代表的な仕事を成し遂げることになったのはそのミキシング卓からだった。

アンドリュー・ウェザオールはポール・オーケンフォールドと共にハッピー・マンデーズの“Hallelujah”のクラブ・リミックスを制作したが、同曲が収録されたハッピー・マンデーズによる1989年発表のEP『マッドチェスター・レイヴ・オン』はトップ20入りを果たし、インディー・ダンス・シーンであったマッドチェスターの隆盛を後押しした。続いて1990年にはニュー・オーダーの“World In Motion”のリミックスを発表しているが、何よりもプライマル・スクリームの“I’m Losing More Than I’ll Ever Have”をレイヴ音楽へと大胆にリワークしたことが、キャリアを形作ることになる衝撃を与えることになった。

プライマル・スクリームはすでにアシッド・クラブの常連客だったが、アンドリュー・ウェザオールがファンジン『ボーイズ・オウン』で執筆した彼らのセカンド・アルバムの素晴らしいレヴューは、その敬愛がお互いに向けられたものであることを明白にした。ミドル・テンポのカントリー・ロックだった“I’m Losing More Than I’ll Ever Have”の大胆なリミックスは、暴走族を描いた1966年の映画『ワイルド・エンジェル』からのアイコニックなサンプリングで装飾され、タイトルを“Loaded”へと改めた。この楽曲の登場はロックとイビサ・ダンス・シーンの双方にとって驚くべき新事実となった。両ジャンルがいかに頼もしくリスペクト溢れる形で融合し得るのかを、ロックのグルーヴとダンスの粗さを際立たせることで証明してみせたからだ。これはプライマル・スクリームにとって最初の大ヒット曲となり、多くの収録曲でアンドリュー・ウェザオールとコラボレーションした1991年作『スクリーマデリカ』へと結実した。本作は、アシッド・ハウスがより広くオルタナティヴ・カルチャーに進出することによって到達した金字塔であり、疑いなく史上最高のダンス・ミュージックとロックのクロスオーヴァー作であるとみなされるに至った。

アンドリュー・ウェザオールはさらに、セイント・エティエンヌによるニール・ヤングのカヴァー“Only Love Can Break Your Heart”やマイ・ブラッディ・ヴァレンタインの代表曲“Soon”のリミックス(これは『NME』が選ぶ史上最高のリミックス作品に選ばれた)を初め、ビョーク、スージー・スー、ジ・オーブ、ジェイムス、マニック・ストリート・プリチャーズといった数多くのアーティストのリミックス作品を手がけ、インディ・ロックやポップへの進出を進めた。一方で、彼は自身の音楽帝国を着実に築き上げていった。1993年にはザ・セイバーズ・オブ・パラダイスを結成し、バンド、レーベル、クラブナイト「セイバーソニック」を合体させた活動を展開した。1996年にはキース・テニスウッドと共にトゥー・ローン・ソーズメンを結成し、自身が運営するエミッションズ・オーディオ・アウトプットのもとで3つのレーベルを立ち上げたほか、クラブナイト「ブラッドシュガー」にも参加している。

その後、2006年からはソロ・キャリアをスタートさせており、近年は自身の新たなレーベル「ロッターズ・ゴルフ・クラブ」のもとで、ジ・アスフォデルスといった音楽ユニットや、自身のクラブナイト「ア・ラヴ・フロム・アウター・スペース」といったイベントで革新的な音楽を発表し続けていた。彼の名は今後も、扉を開き、壁を壊すことで若者たちの脳をダンス・ミュージックの幅広い可能性へと目覚めさせた啓蒙的人物として記憶され続けることになるだろう。彼が残した次のようなメッセージはこれからも残り続けるはずだ。「争うな、感じろ」

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