
Photo: Mary McCartney
ポール・マッカートニーとアビイ・ロード・スタジオの関係は古くから続いている。ポール・マッカートニーがこの歴史的なレコーディング・スタジオに初めて足を踏み入れたのは1962年、ザ・ビートルズのメンバーとしてだった。それ以来、ザ・ビートルズの一員として、ソロ・プロジェクトで、そしてウイングスとして、数十年にわたってスタジオを訪れ続けている。その関係は今もなお続いており、彼の最新作となるソロ・スタジオ・アルバム『ダンジョン・レインの少年たち』の一部はザ・ビートルズの作品の大部分が録音されたのと同じスタジオ2で録音されている。
2026年5月初め、ポール・マッカートニーはファン向けの新作試聴イベントのためにこの場所に戻ってきて、50人の観客を前にアルバム各曲について語っている。「いつだってここに戻ってこられるのは素晴らしいことだよね。だって、たくさんの思い出があるから」とポール・マッカートニーはファンに話をしたのと同じリヴィング・ルーム風の席で『NME』に語っている。「『ここでジョン・レノンが“Girl”のヴォーカルをやったんだ』とか、『“Love Me Do”の一節をやったんだ』とか、そういうことを思い出せる。自分たちのやってきたことに関する細かいこと、たくさんの思い出があるんだよ」
新作『ダンジョン・レインの少年たち』もまたポール・マッカートニーにとって思い出を辿るものとなっており、リヴァプールでの青春時代やザ・ビートルズの仲間たちとの友情が芽生えた初期の頃を振り返っている。思い出を辿ることになったのは自然なことだったとポール・マッカートニーは語っている。「自分としてはそんなことをやっているとは思ってなかったんだけど、このアルバムのためにレコーディングしたものを聴き返してみると、その多くが過去を振り返るものになっていた。それで他にどんなことがあっただろう?と思ったんだよ」とポール・マッカートニーは説明している。「リヴァプールのことを考えるなんて感傷的になっているのかもしれないね。多くの思い出にはジョン・レノンやジョージ・ハリスンが登場する。もう彼らがいないという事実を考えると、自分が生きていることに心を動かされるし、曲の中で彼らのことを考えるようになったんだ」
ポール・マッカートニーのニュー・アルバムにはジョン・レノンとジョージ・ハリスンのエピソードが随所に散りばめられており、リンゴ・スターとのデュエット曲“Home To Us”もあることでザ・ビートルズの4人が揃う形となっている。今回、インタヴューでポール・マッカートニーはバンドメイトとの思い出を語り、ザ・ローリング・ストーンズとの共演や、音楽制作とライヴに対する飽くなき情熱について語っている。
ジョン・レノンやジョージ・ハリスンについて曲を書く時には彼らを正しい形で称え、彼らをあるがままに表現しなければいけないという責任を感じますか?
「そうかもしれないね。そんな風に考えたりはしないけどさ。“Days We Left Behind”という曲で『we met at Forthlin Road』という一節があるんだけど、私がリヴァプールで住んでいたところなんだ。その後には『we wrote a secret code to never be spoken(一緒に秘密のコードを書いた。他の誰にも明かさないと)』と続くんだけど、敬意を込めないとと思ったことはないよ。友達なんだ。私の出会った人物で、一緒に曲を書いた。だから、責任感を感じたことはない。敬意のあるものになっていればと思うけどね」
「ジョン・レノンとジョージ・ハリスンについては素晴らしい思い出がたくさんある。ザ・ビートルズの末期においてもね。ジョン・レノンは私のことを何度も悪く言ってきた。当時は傷ついたよ。まるで小さな短剣を突き刺されるみたいだった。腹が立ったよ。『言い返さなきゃいけないのに、どうすればいいんだ?』と思ったしね。でも、急に分かったんだ。『ちょっと待て。これがジョンだ。16歳の頃から知っている人物だ。これが彼だった』ってね。ジョンがいつものジョンだって気づいてからは、それほど傷つかなかったよ」
ジョン・レノンが亡くなる前に和解していますし、もう水に流したことですよね?
「ああ、それは自分にとってすごく大切なことだった。ビジネス上のトラブルとかで疎遠になっていたけど、幸運にもジョン・レノンは最終的に私の考えに賛同してくれた。つまり、彼らが連れてこようとしていた男(アレン・クレイン)は詐欺師だってね。みんなが私のことを詐欺師や頭のおかしい奴だと思っていたから苦しんでいたんだ。私が正しかったことが分かって、ジョン・レノンが渋々ながらも『ポールが正しかったかもしれない』と言っているのを聞けてよかった。『ポールが言っていた通りだ』なんて言ってくれるタイプじゃなかった。ブツブツと『彼のほうが正しかったんだ』と言うんだ。だから、よかったよ。つらい時期だったけど、乗り越えなきゃいけなかったんだ。でなければ、誰かに奪われてしまうところだった」
このアルバムにはたくさんの思い出が詰まっていますが、“Down South”ではジョージ・ハリスンとヒッチハイクをした素晴らしい思い出が描かれています。先ほどの試聴イベントで、どちらが言い出したのか分からないけれど、おそらく自分だと言っていましたよね。どうしてでしょうか? あなたのほうが冒険好きだったのでしょうか?
「自分はそういう人間だからね。物事を計画するのが好きなんだ。『おおっ、いいアイデアだ』と思って、ジョージ・ハリスンに『どう思う? 安い旅行にでも行こうよ』って提案したんだと思う。当時はお金がなかったからね。きっと私だったと思う。ジョージ・ハリスンとは何度かヒッチハイクをしたんだ。すごく楽しかったし、絆も深まった。ザ・ビートルズの前の話で、ザ・ビートルズになった頃にはそうした思い出を共有していた。当時、ジョン・レノンは21歳で、私は19歳だった。21歳の誕生日にスコットランドのお金持ちのおじさんからジョン・レノンは100ポンドをもらっったんだ。それで『どうしよう?』ということになり、ヒッチハイクで旅をして、お金を使おうと言ったんだ。スペインまで行くつもりだったんだけど、パリまでしか行けなかった。パリは大好きだった。パリですべてのお金を使ったんだ」
このアルバムであなたと強い絆で結ばれているもう一人の人物はリンゴ・スターです。リンゴ・スターがドラムと歌で参加している“Home To Us”ではリヴァプールで育った頃のことが歌われています。ドラムだけでなく、全編で歌ってもらおうと思ったのはどうしてだったんですか?
「元々、彼のために書いた曲だったんだ。リンゴ・スターがアンドリュー・ワットのためにドラムを叩いていたのを知っていたんですが、それが使われていないことを知って、聴いてみたら、『いいドラムだ。これで曲をやるべきだ』と思ってね。それでリンゴ・スターを念頭に置いて曲を書いたんだ。『荒れた場所だったけど、僕らにとっては故郷だ』ってね。多くの人に共感してもらえたらと思う。多くの人が子どもの頃を振り返って『何もなかった』と思うものだけど、、特に私の世代は第二次世界大戦直後だったので、そう思った。何もなかったけど、大好きだと思いたいんだ。もっといい場所なんて知らなかったから、この場所が自分たちには故郷だった。私やリンゴ・スターの場合はリヴァプールだよね」
2024年のクリスマスにロンドンのO2アリーナで行った公演を含め、近年もリンゴ・スターと何度か共演していますが、ステージを共にして、何曲か演奏するのはどんな感じですか?
「最高だよ。素晴らしかったね。リンゴ・スターがザ・ビートルズに入ったのは、当時ドラマーが出演できなくなったため、彼が代役を務めてくれたからだった。私とジョン・レノンとジョージ・ハリスンの3人でステージ前方にいて、リンゴ・スターは後ろにいた。演奏が始まった時、みんな顔を見合わせて『うわあ、これは違うな』って思ったのを覚えているよ。もちろん、彼のスタイルは前のドラマーであるピート・ベストとは違っていたけれど、リンゴ・スターとはうまくかみ合うものがあって、本当に特別なものだった」
「最近、彼とステージに上がる時は大掛かりで複雑なアレンジの曲はやらないようにしているんだ。彼は軽い気持ちで来てくれるからね。だからよく“Helter Skelter”みたいな、ロック調の曲を演奏するんだ。一度音源を聴き返してみたんだけど、いつも素晴らしい演奏をしてくれるドラマーのエイブ・ラボリエル・ジュニアもいたんだけど、リンゴ・スターと一緒に演奏した時の音は本当に特別なものだった。彼はオリジナルのドラマーだし、なにせリンゴ・スターだからね。素晴らしいスタイルがって、曲に面白いものをもたらしてくれるんだ」
リンゴ・スターが“Home To Us”にもたらしたものはどんなものだと思いますか?
「彼はドラムを披露してくれたんだけど、デュエットするというアイディアが気に入ったんだ。ザ・ビートルズの誰ともやったことがなかったからね。ジョン・レノンやジョージ・ハリスンと特別なデュエットを披露することなんてなかったから、これだけの歳月を経て、自分が歌って、リンゴ・スターとヴォーカルを分け合う曲をやってみるというアイディアは素敵だと思ったんだよ。初めてだったけど、うまくいくと思った。リヴァプールが自分たちにとっては故郷だという曲だからね。リンゴ・スターはディングルという本当に荒れた地域の出身で、仕事に行って帰る時、角にテディボーイみたいな連中がたむろしている前を通らなければならなかったという話をよくしていたんだ。殴られるんじゃないかと怖かったってね」
「そんな荒れた地域だったんだけど、素晴らしいものもたくさんあった。まずは家族だよね。叔母さんがいて、当時は歌う会なんかがあった。iPadも携帯電話もない時代だからね。歌を歌いたければ、ピアノを弾いてもらったりしていた。まったく今とは違うけれど、素晴らしい時代だった。実際、この間、ロサンゼルスのフォンダ・シアターという小さな劇場でライヴをやったんだけど、携帯電話の使用を禁止したんだ。面白かったよ。普段だったらお客さんはライヴをちゃんと見ていなくて、スマホを掲げて、家に帰ってから見るという感じだけど、昔のライヴみたいだった。本当に特別だったんだ」
先ほどの試聴イベントで、たとえそうする必要がなくても、演奏を続け、ツアーを続けるとおっしゃっていましたね。今後も音楽活動やツアーについては期待してもいいものなのでしょうか?
「さあ、どうだろうね。分からないよ。50歳の時に当時のマネージャーに『引退は考えていますか?』と訊かれたのを覚えている。『考えていないよ』と答えたんだけど、確かに50歳かと思っていたんだ。だって、20歳の頃は30歳でも年寄りだと思っていたからね。30歳なんて不相応な年齢だと思っていた。でも、30歳はあっという間に過ぎ去り、ミュージシャンたちは演奏を続け、観客も音楽を楽しんでくれた。あの頃の音楽はライヴで聴く方法が他にないから、ニール・ヤングの独特の雰囲気を感じるんだったら、ニール・ヤングのライヴに行くしかない。ザ・ローリング・ストーンズやイーグルスもそうだよね。他にないものだからね」
ザ・ローリング・ストーンズのお話が出ましたが、つい先日、ザ・ローリング・ストーンズもニュー・アルバムをリリースすることを発表しました。そして、あなたも参加されているそうですね。、『ハックニー・ダイアモンズ』に続いて、近年の作品でも二度目となりますが、お話を聞かせてもらうことはできますか?
「あれは全部1日だったんだ。2枚のアルバムに入ることになった2曲をやったんだけど、楽しかったよ。普段はセッションの人間としてやることはないからね。ベースをもってスタジオに現れて、『どこにいればいい? どこにシールドを刺していい?』なんて言いながら演奏するんだ。曲を教えてもらってやるんだけど、『ザ・ローリング・ストーンズと共演しているよ』なんて思ったりもしたよね。嬉しかった。冷めて『だから何?』なんてなるところだけど、全然違ったんだ。『おおっ! ミックがいるし、キースもいて、ロニーもいるよ』という感じだった。楽しかったよ。素晴らしかったね」
「あと、よかったのはやるべきことがミスのないようにベースを弾くことだけだったからね。自分のベース・パートに集中できた。でも、同時に彼らの演奏も見ることができた。キース・リチャーズが曲を練り上げていく様子もね。ニュー・アルバムに収録される“Covered In You”という曲に参加しているんだけど、キース・リチャーズがアルバムに収録されたリックを練り上げていく様子や、ロニー・ウッドがソロをやったり、ミックがヴォーカルをやる様子を観ることができた。だから、家に帰ってからも『ザ・ローリング・ストーンズと共演してきたんだ』とみんなに言ったんだ。当たり前のこととして受け止めずによかったよ。楽しむことができたからね。誰もがザ・ローリング・ストーンズと共演できるわけじゃないからね」
キャリアのこの段階でも、そういうことにワクワクしているのは素晴らしいことですね。最近、創作活動で満足感を得られるのはどんな時ですか?
「観客の存在は大きな満足感を与えてくれる。創作活動で満足感を得られるのは曲を書くことだよね。その満足感は昔と変わらない。マジカルなものがあるんだよ。『シンガーソングライターになろうなんて最初から思っていたわけじゃない』とよく思うんだ。学校に通っていた頃は教師になるぐらいしか残された道はなかった。大した資格も持っていなかったし、残念ながら教師になるぐらいしかなかった。でも、バンドに入ったことで、それが今の私につながった。だから、曲を書けること自体が満足なんだよ。そして、それがうまくいけば、昔と変わらず大きな満足感を得られる。出来栄えにはばらつきがあるけれど、それでも素晴らしいことだよね」
「例えば、ギターを手に取って、何もないところから始めて、適当に弾いているうちに、3、4時間後には曲ができあがっている。メロディーも決まって、歌詞も書き留めている。それは大きなことだよね。今でも、私にとってそれは魔法のような感覚です。それが今も変わらず、創作意欲を掻き立てる原動力であり、これからもずっとそうあればと思っているよ」
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