ロック界の偉大なビックマウスであるための必要不可欠なスキルは、変わり身の早さと、数多いインタヴューの中で単に思いつきで発した痛烈な批判の数々を、即座に撤回もしくは否定できる能力だ。その点において、ノエル・ギャラガーは達人と言えるだろう。彼がはずみでアーティストやジャンルについてぼやいてみても、後で前言撤回する権利が留保されているのだ。彼が応援していた政党の候補者が負ければ、のちに彼は自分の過ちを認めるだろう。クソみたいなアルバムを作れば、十分に多くの人がそれを買った直後に白状するだろう。それこそモリッシーと違って、自身の過ちを認められることこそが、ノエル・ギャラガーの恒久的な長所なのだ。
つい先日、ノエル・ギャラガーは、デーモン・アルバーンとゴリラズの楽曲をステージで演奏したが、実は彼は以前、このアニメ・バンドの作る曲はまるで12歳児向けだとディスった過去がある。今回はジョージ・オズボーン(イギリスの財務大臣)も歯ぎしりして悔しがるであろう、ノエル・ギャラガーの華麗なる前言撤回の数々を紹介する。
ズラかるぜ
エド・シーラン
去年ノエル・ギャラガーは「エド・シーランがウェンブリー・スタジアムのヘッドライナーを務めるような世界では生きていけない」とこきおろした後で、あわや自殺防止のための見張りが必要な状況にまで陥るところだった。だが、今年は見事180度の方向転換を図り、娘のために(エド・シーランの)ライヴ・チケットを取り、「彼の悪口を聞くことはないだろう」とまで言っている。それはなぜか? ノエル・ギャラガー曰く、彼がティーンエイジ・キャンサー・トラスト(10代のがん患者のための支援団体)のライブのキュレーターを務めていた時に、エド・シーランが率直な意見をくれた初めての人だったからだそうだ。
「みんな参加するって言うくせに、あとになって広報のヤツが電話してきて『あのー、今は無理です。彼の飼っているネコが当日の午後に発作を起こしそうなので』って言いやがる。バンジョーを弾いてるようなアホに参加してくれるよう頼むんだけどよ……ただ一人だけこう言ったヤツがいた。『それはできない、オーストラリアから戻ったばかりで参加できないんだ、しまったな。でも、来年は必ず参加する』」。そいつの名前はリストから消しんだけど、それがエド・シーランだったんだ! 彼はあとでちゃんと電話をくれて「準備はできてる、ぜひやりたい」って言ってくれたんだ。俺は「なんだよ、クソいいヤツじゃないか!」って思ったね」
トニー・ブレア
1997年にトニー・ブレアのニューレイバーが圧勝して政権についた時、私たちと同様にノエル・ギャラガーも興奮していた。ついに保守党が(完全に)破れ、人民のための(はずの)政党が勝利したのだ。ノエル・ギャラガーはもちろん祝杯をあげていたわけだが、数年後にトニー・ブレアが戦争に挑発的で、学生たちを苦しめる、隠れ保守党員だとわかり、後悔することになる。
「俺は水晶玉を持ってない」とノエル・ギャラガーは2008年『スピン』誌に語っている。「あいつがあんなクソ野郎に変身するなんて思いもしなかった。俺は30歳だったし、ラリってたし、誰もが俺たちを史上最高のバンドだと言っていた。それで首相からのワインを飲もうって誘いを受けたんだ。ハイな時期だったもんだから、『いいね!』って思って。お袋にもウケると思ったしね。その時だって『すべての点で政策を支持しよう』と思って行ったわけじゃない。中がどうなってるのか見てみたかっただけさ」
ジェイ・Z
ノエル・ギャラガーが最も激しいバッシングをくらったのは、2008年の「グラストンベリーにヒップホップはいらないよ。間違ってるね」という発言だ。明らかにジェイ・Zはフェスを圧倒し、ノエル・ギャラガーは後退を余儀なくされた。「俺はジェイ・Zより人間として優れているとか、ロックはヒップホップより優れているとは言ってない」と認めている。「俺の言葉の通りだ。それが間違っていたか、間違って受け取られたんだ」。ロックスターの皆さん、これぞ名誉ある前言撤回です。「文脈を無視して言葉が引用された」なんて言ったらダメですよ。
『ビィ・ヒア・ナウ』
当時、脳みそのおよそ97パーセントをコカインが占めていたノエル・ギャラガーは、オアシスの『モーニング・グローリー』に続く、誇張された長すぎるアルバムを素晴らしいと思っていた。「8分間聞けるものをなんで4分に編集するんだ?」とリード・シングル“D’You Know What I Mean?”について文句を言った。「スタジオではすごく意固地になってた。長すぎるって言うヤツがいれば、まだ足りないって言い返す感じでさ」。およそ20年経った今では、ノエル・ギャラガーはこのアルバムを聴くことさえないという。「スタジオでコカインやってるヤツらが作った曲なんて興味ない」と2012年に『NME』に語っている。「全曲が本当に冗長で、すべての歌詞はクソだ。リアムが歌っていない部分のクソみたいなギターのリフは映画『ウェインズ・ワールド』並みだ」
レディオヘッド
彼らのレコードのファンとは決して言ったことがない一方で、ノエル・ギャラガーはレディオヘッドのライブに関する意見を突然変えている。2011年、彼は『ローリング・ストーン』誌に次のように語った。「アイツらのレコードは1枚も持ってないけど、毎回ライヴで見るたびに圧倒されるね。まるで『ワオ、あれを聞いてみろよ! どうやったらスピーカーからあんなクソすごいもんが出せるんだ?』ってね。素晴らしいよ」しかし2、012年のコーチェラ・フェスティヴァルでは失望していたようだ。「美しい、明るい夜だったよ。彼らの登場に合わせて観客席の方を抜けて行ってさ、その時彼らは『デーデ デデ』ってポスト・テクノの曲を演奏していたよ。ちょっと腹がたったんだけど、結構最高だったんだよ。でも、そこで、トム・ヨークが歌い始めたんだ。これ、違うなって。俺らには向いてないなって。俺ら、パーティー・ピープルだからさ」。汝らの中でゴミみたいなライブをしたあとにバンドを脱退したことがない者だけが、最初の石を投じよ。
オアシスの再結成
これについてノエル・ギャラガーの意見は「絶対ない」から「もしかしたら」に移行したようだ。2012年に彼は「飢餓に瀕している世界中の子供たちの運命がかかっている場合」を除いて再結成はしないと主張していたが、長年この質問を繰り返したことで、彼の態度は軟化しつつあるようだ。7月に『ミラー』紙の取材に対して次のように語っている。「もし誰かが1ステージごとに1千万ポンドを提示したらやるよ。一晩だけな。税金を引いて500万ポンドだ。いいじゃないか。でも俺1人に1千万ポンドって契約で、他のヤツらは自分で交渉するんだな。それならやる。今まで正式なオファーは一度もなかった。もしどっかのプロモーターが机に1千万ポンド置けば、俺は話にノるぜ。どこでも演奏する」。彼はまた別の場所で「メンバー全員が生きていて、髪のあるうちは、いつでも可能性はある。でも、カネのためだ」と語っている。
デーモン・アルバーン
おそらくノエル・ギャラガーの今までで最大の前言撤回は、彼のかつての宿敵であるブラーのデーモン・アルバーンに向けたものであっただろう。チャートの順位を競い合ったり、ブリットポップ戦争で敵対する勢力の頭を務めたりしたことに加えて、残念ながらノエル・ギャラガーがデーモン・アルバーンに「エイズにかかって死ぬ」ことを望んだのだ。このコメントは即座に取り消されたものの、2人が和解するまでおよそ20年もかかることになった。リアム・ギャラガーはきっと悔しがっているだろうな。
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