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ボビー・ヴィーが亡くなった。享年73歳だった。

ミネソタ州で生まれたボビー・ヴィーは1960年代初頭に一世を風靡し、1961年にはシングル”Take Good Care of My Baby”がキャリアで唯一となる全米ナンバー1を獲得している。2011年にアルツハイマー病と診断され引退するまでに、50年以上のキャリアの中で25枚を超えるアルバムをリリースしている。

ボビー・ヴィーのキャリアは、以後「音楽が死んだ日」と呼ばれることとなる1959年2月3日にスタートしている。ロックスターだったバディ・ホリーはこの日、リッチー・ヴァレンス、ザ・ビッグ・ボッパーと共に飛行機事故に巻き込まれて亡くなっている。飛行機事故のニュースが報道されると、バディ・ホリーがミネスタ州ムーアヘッドで出演予定だった「ウィンター・ダンス・パーティー」の主催者は、代役として地元ミネソタ州のミュージシャンに白羽の矢を立てることになった。ボビー・ヴィーは結成わずか2週間のバンド、ザ・シャドウズと共に見事に代役を務め上げ、若干15歳だったボビー・ヴィーのキャリアはスタートしている。

ボビー・ヴィーはまた、若かりし日のボブ・ディランのミュージシャンとしてのキャリアをスタートさせたことでも知られている。「ジェリー・リー・ルイスのように演奏できる」ピアニストを探していたボビー・ヴィーは、当時エルストン・ガンと名乗っていたボブ・ディランをピアニストとして自身のバンドに引き入れている。ボブ・ディランがバンドに参加したのはわずかな期間であったが、ボブ・ディランにとってプロとしての音楽業界での最初のキャリアであったと言われている。ボブ・ディランは、2013年にミネソタ州セントポールで行ったライヴにて、「僕がステージで共演した中で最も美しい人」とボビー・ヴィーに賛辞を贈っている。

ボビー・ヴィーはキャリアを通じてビルボードTop100に38曲を送り込み、全米で7つのゴールドディスクを獲得したほか、イギリスでも成功を収めている。彼の唯一となった全米ナンバー1シングル”Take Good Care of My Baby”は、イギリスでも3位を記録している。ボビー・ヴィーは他にも、”The Night Has A Thousand Eyes”や”Come Back When You Grow Up”、”Punish Her”等の楽曲で知られている。

ボビー・ヴィーは、キャリア最盛期にはローリング・ストーンズの初めてのアメリカ・ツアーを共に行っている。ビートルズは影響を受けたアーティストとしてボビー・ヴィーの名を挙げており、1962年1月に行われたデッカ・レコードのオーディションでボビー・ヴィーの”Take Good Care of My Baby”をカヴァーしている。ビートルズはまた、イギリスのテレビ番組『レディ・ステディ・ゴー』にボビー・ヴィーを招待している。

ボビー・ヴィーは10月24日に家族に見守られて静かに息を引き取ったという。

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