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ビーチウッド・スパークスのギタリストにしてソングライターだったジョシュ・シュワルツが亡くなった。

元バンド・メンバーのブレント・レイドメイカーは「ピッチフォーク」に対してこの事実を認めており、ALS(筋萎縮性側索硬化症)のために亡くなったという。享年45歳だった。

ジョシュ・シュワルツはブレント・レイドメイカーによるバンド、ファーザーに90年代初頭に加入して97年の解散まで活動を続け、同年、ビーチウッド・スパークスの結成に参加している。1999年にバンドを脱退した後はフライト・オブ・コンコルド、ルー・バーロウらと仕事をして、2010年にはソロ・アルバム『ペインテッド・ヒルズ』をリリースしている。

2011年にALS(筋萎縮性側索硬化症)であることが診断され、治療費を募るためにアリエル・ピンクやブレント・レイドメイカー、ジョン・C・ライリーらによるチャリティ・ライヴもロサンゼルスで開催されていた。

ブレント・レイドメイカーによる追悼文の日本語訳は以下の通り。

「僕がジョシュと会った時、彼は18歳で、まだ歯の矯正器具をつけていて、ニール・ヤングやJ・マスシスのようなギターを弾くことができたんだ。彼とはファーザーとビーチウッド・スパークスという2つのバンドをスタートさせた。これらのバンドを観たことがある人なら、ジョシュには超自然的な力があったことを知っているはずだ。彼は途轍もないギター・プレイヤーにして才能溢れるソングライターだった。彼の音楽を聴いたことがない人にはぜひそうするように勧めている。

ジョシュはALSと診断された時も本当に勇敢だった。彼は不満を口にすることなく、音楽を聴いてレコードを買うことに没頭していった。ジョシュに対する見識でも最も素晴らしいのは、亡くなる際に入院する数週間前でも彼がお気に入りのアーティストにして自身の友人を支援していたことだ。彼はエリック・ガフニーが援助を必要としているのを知って、彼のバンドキャンプのページから限定のサイン入りソロ・アルバムを購入していたんだ。

最後の数年はALSの麻痺のためにコンピューターを通して彼とは目でコミュニケーションをとるしかなかった。でも、なお来客があったりパーティーを開いたりするのが大好きで、彼は音楽を聴いて、映画を観ていた。それは医師からの診断を受けた時期を乗り切るのに間違いなく助けになってくれていた。ダイナソーJr.やニール・ヤングといったお気に入りのアーティストを観るのに連れて行ったりもしたんだ。

人としては物静かだったけれど、シャイではなかった。そして、ものすごく愉快な人だった。逆境をものともしない皮肉の才を持ち合わせていたんだ。それはツアーやスタジオでの雰囲気を和らげるのに一役買ってくれた。彼は他人の長所を引き出すことのできる貴重な人物の1人だった。ジョシュがいる時はイヤな奴になんかなれなかった。彼は本当にマジックだったんだ」

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