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メタリカの元ベーシストであるジェイソン・ニューステッドは亡くなってから40年を迎えたクリフ・バートンについて振り返っている。
クリフ・バートンは『ダメージ・インク』のヨーロッパ・ツアー中にバスの事故によってスウェーデンで1986年9月27日に亡くなっている。クリフ・バートンは二人目のベーシストとして、『キル・エム・オール』、『ライド・ザ・ライトニング』、『メタル・マスター』という3枚のアルバムに参加している。
クリフ・バートンは“Ride The Lightning”、“For Whom The Bell Tolls”、“Fade To Black”、“Master Of Puppets”といった楽曲も共作している。
ジェイソン・ニューステッドはクリフ・バートンが亡くなったことを受けて、後任としてバンドに加入して、2001年までバンドに在籍していた。ジェイソン・ニューステッドの後任には2003年にロバート・トゥルヒーヨが加入して、現在もバンドでの活動を続けている。
今回、クリフ・バートンが亡くなってから40年を迎えたことを受けて、ジェイソン・ニューステッドはクリフ・バートンの思い出について振り返っている。
「クリフ・バートンは起きてから、すぐにライヴをやることができたんだ」とジェイソン・ニューステッドは述べている。「ジェイムズ・ヘットフィールドもどれだけビールを飲んだ後でも起きてすぐにライヴをやることができた。ベッドから起きて10分後には俺が5時間かけてようやく到達できるレベルの演奏をやってのけるんだ」
ジェイソン・ニューステッドはクリフ・バートンが16歳の時点で「とてつもなくすさまじい腕前」だったことにも触れている。「ジェイムズ・ヘットフィールドも、ラーズ・ウルリッヒも並外れた才能の持ち主だったけど、まだレコードを一枚も出していない段階で、彼とバンドを組むためだけに生活の拠点を移したほど、その才能を強く認めていたんだ」として、二人がクリフ・バートンを加入させるためにロサンゼルスからサンフランシスコへと移ったことに言及している。
「クリフ・バートンはそれくらいすごかったんだよ」とジェイソン・ニューステッドは述べ、ライヴで彼の演奏を目の当たりにした際、「なんで俺なんかがわざわざやってるんだろう?と思ったよ」と語っている。「死に物狂いで努力すれば、彼の10分の1くらいの腕前にはなれるかもしれないってね」
ジェイソン・ニューステッドは次のように締めくくっている。「結局のところ、それが刺激になって、もっと頑張ろうと思わせてくれたんだ。でも、ずっと威圧的な存在ではあったよね」
2016年、ジェイムズ・ヘットフィールドはクリフ・バートンについて次のように振り返っている。「俺はクリフ・バートンのことをミュージシャンというより個人として失って悲しいんだ。それが違うことだよ。あのころ、俺たちはかなり気があって、好きなものも一緒だったし、やりたいことも一緒だった。奴からたくさんのことを学んだし、彼が死んだ後も学ぶことは多かった。いつも『クリフならどうしてたかな?』なんて考えたけど、俺自身でいられることを彼から学んだんだ。彼は俺に違ったっていいんだと、信じていることに突き進めって教えてくれた。すべての武器を集めて、世界に立ち向かわなくたっていいんだと。自分自身でいればいいとね」
2019年、ジェイソン・ニューステッドはクリス・バートン亡き後にバンドを「安定」させた「功績はある程度自分にある」と語っている。
「懸命に取り組んで、クリフの死という大きな亀裂が生じた後で土台や安定性を築こうとしたんだ……そういうことが起きた後だから、動かないほうがいいというのもあるんだろうけどさ」とジェイソン・ニューステッドは続けている。「けど、彼らはそうしなかったんだよ。そのまま進もうとしていたから、俺が加入して、その推進力にならなければいけなかったんだ。壊れたものを動かすための新たなエンジンにね。(メタリカは)俺たち全員よりも巨大な存在だったからさ。1つの独立した存在だったんだよ」
「そういうわけで、俺はすべてを安定させることに注力していたんだ。15年後には安定していたわけでね。そういう存在になることができたんだよ。俺は自分が一番最初に飛び込んで、最後まで取り組むんだという気持ちで加入した。ずっとそういう心持ちでやっていたよ。そのおかげで当時のような存在になることができたんだ。激しいヘヴィ・メタルがラジオでかかるようになったのはそういう理由だよ」
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