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モービーは1990年代にあったエイフェックス・ツインとの確執について「悲しいものがあった」と振り返っている。

1993年にモービーはエイフェックス・ツインとオービタルと共に共同ヘッドライナーによるツアーを行っており、他のアーティストがツアー・バスで移動する中でモービーが飛行機での移動にこだわったことが確執に発展したとされている。

モービーは『ステレオガム』のインタヴューでこの件について語っている。「悲しいものがあったね。というのも彼のレコードは大好きだったからね。特に『セレクテッド・アンビエント・ワークス 85-92』が好きだった。僕としては『やあ、みんなで一緒に頑張ろう』という感じでツアーに入ったんだけど、他の人がそうは思ってないことはすぐに分かったよ」

「幸いなことに随分前のことだからね」とモービーは続けている。「誰に対しても悪意はなかった。でも、知識人の間ではレイヴ・カルチャーでの感情表現において共通の気恥ずかしさみたいなものがあったんだと思う。それが僕とは生理的に合わなかった。僕はアンダーグラウンドのエレクトロニック・ミュージックが好きだからね。常に70年代とか80年代まで遡っていたんだ」

モービーは2016年にも『レイヴ・キュリアス』のポッドキャストでエイフェックス・ツインから「単なるバカ」と言われ、モービーがツアーにブッキングされたのを「理解できない」と言われたことを振り返っている。

モービーはエイフェックス・ツインのファンだったから「残念」だったが、「軽蔑されていることを知って、その人物の音楽を好きでい続けるのは難しい」とも述べている。

モービーは回想録『ポーセリン』でも次のように言及している。「エイフェックス・ツインを好きでいたかった。彼のレコードが大好きだったからね。でも、彼はあまり人と話をすることはなく、インタヴューを受ければ、ステージでギターを弾く僕を批判していた」

モービーは次のように続けている。「彼は僕のことをエリート主義者だと取材で言っていたけど、ツアー・バスでひどい不眠症になっただけなんだけどね」

今回のインタヴューでモービーは彼とエイフェックス・ツインの間に存在していたかもしれない文化的な溝についても説明している。

「ハウス・ミュージックやレイヴ・カルチャーで僕が好きなのは、抑圧や抑制から自分を解放することの喜びだった。それはずっとそうだったんだけど、感情表現というのは人を不快にさせたりもする。僕はコネチカット州で育ったWASPだった。でも、自分の気持ちを率直に表現できるアートに心を奪われることになったわけだけど、90年代前半にはレイヴ・カルチャーをすごいものにしていた喜びの感情表現を知識人が押し殺そうとしていたところがあったんだ」

モービーは今夏に『プレイ』の25周年を記念したヨーロッパ・ツアーを行うことが決定している。

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