Photo: GETTY

ノエル・ギャラガーはレモンヘッズのフロントマンであるイヴァン・ダンドとコラボレーションした未発表曲があり、それが原因で揉めてしまったと明かしている。

ノエル・ギャラガーとイヴァン・ダンドは30年前にコラボレーションしたが、その曲が行き詰まり、未発表のまま確執を残すことになったという。

今回、ノエル・ギャラガーは新たなインタヴューでこの出来事について振り返り、イヴァン・ダンドとの関係が「気まずい」ものになった理由を説明している。

ノエル・ギャラガーは90年代のオアシス全盛期にイヴァン・ダンドと“Purple Parallelogram”という曲を書いたとのことで、2人がギターで遊んでいるところをレコーディングしてイヴァン・ダンドがそれをリリースしたいと言った時に揉めることになったと語っている。

「1994年にサーキット型のフェスティバルに出ていたんだけど、あの年はどのフェスにもオアシスとレモンヘッズが出ていたんだ。俺たちとディスポーザブル・ヒーローズ・オブ・ヒップホップリシー、あとはハウス・オブ・ペインだね」とノエル・ギャラガーは語っている。

「イヴァン・ダンドは常にテープレコーダーを持っていて、いつも『曲をレコーディングしよう』と言ってくるんだよ」とノエル・ギャラガーは続けている。「それで、やってみたのをレコーディングしたら、『これをリリースしたいな』と言ってきたんだ」

「『ちょっと待ってくれ。それは無理だろ』って感じで、聴いてみたら、気に入らなかったんだ。それでダメだと言ったんだけど、気まずくなってしまったんだ」

『NME』は当時この未発表曲の存在について報じており、リリースされなかった理由について「ノエル・ギャラガーの曲を管理するソニー・ミュージックがリリースに反対した」と述べていた。

イヴァン・ダンドは曲ができた経緯について当時次のように語っている。「この曲はある薬のことを意味するフレーズなんだ。アムステルダムにいる時に眠れなくて、薬を探して外に出たんだけど、見つからなくて、合法のユリスノールを処方されたんだ」

彼は次のように続けている。「ノエルが翌朝起きてきて、“Purple Parallelogram”という曲を歌ったんだ。僕が薬のことをそう呼んでいたからなんだけどね。それで、その日の夜にホテルのデスクで曲を仕上げたんだ」

先日、ノエル・ギャラガーはU2のボノとの友人関係について振り返り、ボノのことを「最高の親友の一人」と評して、U2とのツアーがどんなものかを説明している。

「彼はいろいろ批判されるけど、大好きなんだ」とノエル・ギャラガーは語っている。「彼とはツアーにも出たけど、U2の素晴らしいところが分かるかい? 大抵、あのレベルのバンドになると、全体の運営はアメリカ人が手掛けるんだけど、U2の運営は全部アイルランド人なんだ。全部だよ。彼らとツアーに出ると、民族大移動みたいでね。アイルランドの大飢饉よりも大きい感じなんだよ」

ドキュメンタリー『ボン・ジョヴィ:Thank You, Goodnight』をディズニープラスで見る 広告

Copyright © 2024 NME Networks Media Limited. NME is a registered trademark of NME Networks Media Limited being used under licence.

関連タグ