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ザ・バーズやクロスビー、スティルス&ナッシュの結成メンバーであるデヴィッド・クロスビーが亡くなった。享年81歳だった。

デヴィッド・クロスビーの妻は声明を出して、訃報を発表している。「大きな悲しみと共に長い闘病の末に愛されたデヴィッド・クロスビーが亡くなりました」

「彼は妻でソウルメイトであるジャンと息子のジャンゴにやさしく囲まれていました。彼はもう私たちと共にいませんが、彼の人間性とやさしい気持ちは私たちを導き、刺激を与え続けるでしょう。彼の栄光はその伝説的な音楽を通して生き続けるでしょう」

妻は次のように続けている。「デヴィッドを知る人々や彼の触れた人々に平穏と愛とハーモニーを。私たちは彼のことを心から惜しむことになるでしょう。今は悲しんで、深い喪失に向き合おうとしているところなので、プライバシーには御配慮いただければと思います。みなさんの愛と祈りに感謝します」

デヴィッド・クロスビーはレス・バクスターのバラディアーズなどで活動した後、1964年にロジャー・マッギン、ジーン・クラーク、クリス・ヒルマン、マイケル・クラークと共にザ・バーズを結成している。彼の在籍期間は短く、1967年にバンドを脱退している。

しかし、その間にザ・ビートルズの影響を受けた初期からサイケデリアに傾倒した時期までを経験しており、1967年の『昨日よりも若く』まで4枚のアルバムをリリースしている。デヴィッド・クロスビーはレコーディングの途中でバンドを脱退したため、通算5作目の『名うてのバード兄弟』にも参加している。

デヴィッド・クロスビーはザ・バーズの最後のアルバムとなった1973年発表の『オリジナル・バーズ』のプロデュースも手掛けている。

ザ・バーズを脱退した後、バッファロー・スプリングフィールドのスティーヴン・スティルスとホリーズのグラハム・ナッシュと共にデヴィッド・クロスビーはクロスビー、スティルス&ナッシュを結成している。3人はセルフ・タイトルのデビュー・アルバムをリリースして、1969年のグラミー賞では最優秀新人賞を受賞している。2度目のライヴが1969年のウッドストック・フェスティバルで、後にバンド名に名前が加わることになるニール・ヤングとも度々共演を果たしていた。

クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤング名義も含めて、クロスビー、スティルス&ナッシュは1970年発表の『デジャ・ヴ』や最後のアルバムとなった1999年発表の『ルッキング・フォワード』など、8枚のアルバムをリリースしている。

それ以外でもデヴィッド・クロスビーとグラハム・ナッシュはコラボレーションを行っており、1972年にアルバム『グラハム・ナッシュ/デヴィッド・クロスビー』をリリースしており、その後も2人でアルバムをリリースしている。

デヴィッド・クロスビーとグラハム・ナッシュはスティーヴン・スティルスやニール・ヤングの作品を含め70年代にハーモニー・ヴォーカリストとしても活動し、ジョニ・ミッチェルの“Free Man in Paris”、ジェイムス・テイラーの“Mexico”、ジャクソン・ブラウンの“The Pretender”にも参加している。

デヴィッド・クロスビーは輝かしいソロ・キャリアも送っており、1971年に発表したソロ・デビュー・アルバム『イフ・アイ・クッド・オンリー・リメンバー・マイ・ネーム』は全米トップ20・ヒットとなっている。2014年には『クロズ』で全米トップ40に入って、チャートの上位に返り咲き、2021年にはジョーン・バエズがアートワークを手掛けた最新作『フォー・フリー』をリリースしている。

2019年にはドキュメンタリー『デヴィッド・クロスビー:リメンバー・マイ・ネーム』が公開されており、本作は元『ローリング・ストーン』誌のジャーナリストで、映画『あの頃ペニー・レインと』の監督であるキャメロン・クロウが手掛け、グラミー賞の最優秀ミュージック・フィルム賞にノミネートされている。

デヴィッド・クロスビーは二度ロックの殿堂入りを果たしており、1991年にはザ・バーズで、1997年にはクロスビー、スティルス&ナッシュで殿堂入りを果たしている。

音楽以外ではデヴィッド・クロスビーは俳優としても活動しており、『ジョン・ラロケット・ショウ』や『ロザンヌ』、『エレン』といったテレビ番組にも出演している。映画では『フック』や『バックドラフト』にも出演し、1992年には新西部劇『サンダーハート』でバーテンダー役を演じている。デヴィッド・クロスビーは自身の声役で二度『シンプソンズ』にも出演している。

デヴィッド・クロスビーは政治的活動でも知られ、ベトナム戦争へのアメリカの関与に反対し、ドナルド・トランプ政権も批判していた。「父親のオフィスに一度も入れてもらったことがない8歳の子供のように感じるんだ。彼はいろんなものを壊して、書類に小便をして、チンチンを出したまま狂ったように走り回っている。それで『目にものを見せてやる』と言っているんだ」と彼は2020年に米『ローリング・ストーン』誌に語っている。

「まともじゃないだろ。そして、ニクソンよりずっと危険だ。というのも、彼は巨大なエゴを抱え、モンスターに育てられた。彼の父親は出会える人物としては最も身の毛のよだつ人物の1人にちがいない。彼にはその兆候が表れているんだ」

2021年発表の『フォー・フリー』リリース時にデヴィッド・クロスビーは『NME』に対して80年代に音楽を制作したことが「自分を生きながらえさせる」ことになったと語っている。「僕の人生には二つの中心がある。家族と音楽だ。この歳になっても、もっと音楽を作るチャンスがあるなんて、まさに奇跡だよ。素晴らしいよね。30歳以降も生きられるなんて思っていなかった」

「これまでに経験したこと、犯した間違い、無駄にした時間、抱えた問題、それを考えると、まだ生きていることに驚いている。頭も冴えていて、幸せで、仕事をしていて、家族も仕事をしている。そして、いいアルバムを作った。それに驚いているし、すごく嬉しいよ」

今後についてライヴは「やり終えた」ものの、「あと2枚はアルバムを作りたい」とデヴィッド・クロスビーは語っていた。「自分にとっては大事なことでね。音楽を作るのが好きで、最も気に入っていることなんだ。1枚はジェイムス・テイラーとやりたくて、もう1枚はザ・ライトハウス・バンドとやりたい。既に曲を書き始めているんだ」

訃報を受けて音楽界からは追悼の声が寄せられており、ビーチ・ボーイズのブライアン・ウィルソンは次のようにツイートしている。「デヴィッド・クロスビーのことを聞いて、胸を痛めているという以外、なんと言ったらいいか分からない。デヴィッドは信じられないほどの才能だった。素晴らしいシンガーで、ソングライターだった。素晴らしい人物だった。言葉を失っている。愛と慈悲をデヴィッドの家族と友人に」

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