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シールズ&クロフツのジム・シールズが亡くなった。享年80歳だった。

60年代にダッシュ・クロフツとシールズ&クロフツを結成したジム・シールズはリード・ヴォーカルを担当しており、“Summer Breeze”、“Diamond Girl”、“We May Never Pass This Way Again”といったヒット曲で知られている。

ジム・シールズの訃報は現地時間6月7日に発表されており、ミュージシャンのジョン・フォード・コーリーはフェイスブックで次のように述べている。「いろんなレベルでつらいことでしたが、自分にとっては一つの音楽的時代が終わりました。彼の曲でも言われている通り、こうした形で終わることはもうないでしょう。非常に悲しいですが、一緒にいた最高の思い出があります。安らかに、ジミー」

ジム・シールズの従兄弟で、カントリー・バンドのリトル・テキサスのメンバーであるブレイディ・シールズはインスタグラムで次のように述べている。「ジェイムス・“ジミー”・シールズが亡くなったと知ったよ。妻のルビーやその子どもたちのために胸を痛めています。彼女のために祈ってください。彼は途轍もない栄光を残しました」

ジョン・フォード・コーリーはジム・シールズの兄であるダンと共にイングランド・ダン&ジョン・フォード・コーリーを組んでいて、70年代のソフト・ロックの大きな波の一翼を担うことになった。

共にテキサス州出身だったジム・シールズとダッシュ・クロフツは10代の頃から知り合いで、ザ・チャンプスというバンドに加入するためにロサンゼルスに移住している。

1963年にジム・シールズとダッシュ・クロフツはグレン・キャンベルとジェリー・コールと共にザ・チャンプスを脱退して、グレン・キャンベル&ザ・GCズを結成しており、数年にわたって活動を続けている。

最終的にシールズ&クロフツとなった彼らは1972年に100万枚以上を売り上げた最初のヒット曲“Summer Breeze”をリリースしている。翌年には全米4位を記録した“Diamond Girl”をリリースしている。

シールズ&クロフツは1973年の「ロー対ウェイド」事件の判決が出た直後の1974年に反中絶を掲げた“Unborn Child”をリリースして物議を醸している。同曲はいくつかのラジオ局で放送禁止になっている。

90年代にジム・シールズは『ロサンゼルス・タイムズ』紙に“Unborn Child”について次のように語っている。「そうしたことが社会問題として取り沙汰されていたことを知らなかった無知によるものなんだ。一方では大量のバラを送ってくれる人もいたけど、一方では文字通り石を投げられた。あのような不和を引き起こすことになると知っていたら、考え直していたかもしれない」

シールズ&クロフツは1980年に解散し、1991年と2004年には再結成を果たしている。2004年には最後のアルバム『トレーシズ』をリリースしている。

死因については現時点で明らかにされていない。彼は妻のルビーと3人の息子を残している。

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