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“Stagger Lee”のシンガーで、「ミスター・パーソナリティ」の愛称で知られるロイド・プライスが亡くなった。妻のジャッキーが訃報を認めている。

ロックの殿堂入りも果たしているロイド・プライスは5月3日に糖尿病の合併症で亡くなっている。享年88歳だった。

「ニューヨーク州ウェストチェスター郡にあるシェイファー・エクステンデッド・ケアで2021年5月3日に穏やかに亡くなった私の夫であるロイド・プライスが亡くなったことに寄せられた愛と追悼の声に感動しています」と妻のジャッキー・プライスは米『ビルボード』誌を通して声明を発表している。

「ロイド・プライスの音楽は様々な境界を超えて、彼を世界中に届かせることになりました。彼はヒット曲のおかげで『ミスター・パーソナリティ』というニックネームを得ることとなり、そしてやさしい心を持ったまま、カリスマ性があり、寛大で、知的で、面白おかしく、才能に溢れていました。彼の音楽を愛してくれて、彼のたくさんの曲にかけがえのない思い出を抱いてくれたみなさんに感謝しています。心の底からみなさんに感謝と愛を」

ロイド・プライスは1933年にニューオーリンズで生まれ、ファッツ・ドミノがピアノで参加した1952年発表のシングル“Lawdy Miss Clawdy”で名声を獲得している。“Lawdy Miss Clawdy”はポール・マッカートニーやエルヴィス・プレスリー、ザ・ホリーズら、多くのアーティストによってカヴァーされている。

彼はアメリカのR&Bチャートでさらにいくつかのヒットを飛ばした後、1954年に韓国にいた米軍に入っている。帰ってきた後、彼は人生最大のヒット曲となった1958年発表のシングル“Stagger Lee”を発表し、1959年発表の“Personality”にちなんで「ミスター・パーソナリティ」というニックネームを獲得している。

ロイド・プライスはキャリアを通して、KRC、ダブルL・レコーズ、LPGレコーズ、ターンテーブルといったいくつかのレコード・レーベルを始めている。ターンテーブルはニューヨークにオープンしたクラブの名前となっている。音楽以外でもいくつかの事業を始めており、ローディ・ミス・クラウディというフードラインと2つの建設会社を所有している。ボクシング・プロモーターのドン・キングも支援しており、モハメド・アリとジョージ・フォアマンが闘ったキンシャサの奇跡も手伝っている。

ロイド・プライスは1998年にロックの殿堂入りを果たしており、ルイジアナ州の音楽の殿堂、国立R&Bの殿堂にも入っている。

ロイド・プライスは妻のジャッキー・プライス、3人の娘であるローリ、ジュアナ、ディセンバー、2人の息子であるロイド・ジュニア、パリ、妹のローズに看取られている。

スティーヴィー・ヴァン・ザントは次のように追悼の意を表して、「ロックの歴史において非常に重要だった」と述べている。「彼はリトル・リチャードよりも前にいたんだ。1952年の“Lawdy Miss Clawdy”は最初のちゃんとしたロックのヒット曲だった。1973年の『オールディーズ・サーキット』で彼と一緒にいられたのは嬉しかった」

公民権活動家のアル・シャープトンは次のように述べている。「ロックのレジェンドであるロイド・プライスが亡くなったのを聞いて悲しいよ。彼は音楽における真の先駆者であり、黒人ビジネスの支援者でした。彼と知り合えたことは光栄ですし、長年にわたって助言や指導をしてもらいました。本当に知的で才能溢れる人でした。安らかに」

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