あなたのお気に入りの偉大なバンドたちは栄光に包まれてキャリアを終えたのか? それとも火の玉となって燃え尽きたのか? ニルヴァーナからセックス・ピストルズまで、忘れることのできないいくつかのラスト・ライヴを見ていくことにしよう。
ニルヴァーナ
1994年3月1日/ミュンヘン、ターミナル1
自殺する約1カ月前、カート・コバーンは気管支炎と喉頭炎を患っていた。それは正直に言って彼の疲れ切った声からもうかがえる。カート・コバーンは医師の指示を聞かずステージに立ったのだった。伝えられるところによると、音響状態も悪かったこともあるが、このライヴは少し悲惨なものになってしまったという。そして、ニルヴァーナは限界へと達し、その幕を閉じたのだ。
ザ・ビートルズ
1969年1月30日/ロンドン、アップル社
これは「シンプソンズ」でもパロディー化されており、ポップ・カルチャーの歴史におけるビートルズのラスト・ライヴの場として確かな痕跡を残している。ロンドンのサヴィル・ロウにある当時のアップル本社の屋上で行われたこのゲリラライヴは、警察によって途中で中止に追い込まれた。
レッド・ツェッペリン
1980年7月7日/ベルリン、アイスシュポルトハレ
パンクとニュー・ウェイヴとの狭間で失墜の危機に瀕していたレッド・ツェッペリンは、これまでの殻を破り、よりその時代精神に合ったステージ演出を取り入れることにした。それにちなんで、ツアーは「Cut The Waffle(方向性を決めた)」と名づけられた。オリジナル・メンバーが揃って演奏した最後のライヴであり、この数ヵ月後にドラマーのジョン・ボーナムは亡くなっている。
LCDサウンドシステム
2011年4月2日/ニューヨーク、マディソン・スクウェア・ガーデン
わずか15秒でチケットが売れ切れ、LCDサウンドシステムのキャリアにおけるこの盛大な祝賀の様子は、ライヴDVD『Shut Up And Play The Hits!』に収められている。アーケイド・ファイアがバックコーラスとして登場し、“North American Scum”を歌い上げ、3時間半に及んだライヴは彼らにふさわしい贅沢な贈り物となった。
オアシス
2009年8月22日/スタッフォードシャー、ウェストン・パーク
オアシスのノエルとリアム兄弟の関係は良好ではなかった(その夜ノエルが脱退したことからも明らかだ)。しかし『ディグ・アウト・ユア・ソウル』ツアーのためライヴを決行し、ビートルズのお気に入りの曲を演奏する前に、リアムは「ファンのみんなは最高だったけど、もう終わりにしないと。“I am the ‘fucking’walrus(俺は大バカ者さ)”」と言ってライヴを締めくくった。
ジョイ・ディヴィジョン
1980年5月2日/バーミンガム、バーミンガム大学
ジョイ・ディヴィジョンの元ベーシスト、ピーター・フックは、最後のライヴは「嫌な出来事」だったと語っている。そのちょうど2週間後に命を絶ったヴォーカルのイアン・カーティスだが、報じられたところによると、てんかんの発作が悪化し、ある時点でよろけながらステージを降りたのだという。
マニック・ストリート・プリーチャーズ
1995年12月21日/ロンドン、アストリア
ヴォーカルのジェームス・ディーン・ブラッドフィールドは、クリスマスを目前に控えたライヴを盛り上げようとしていた。これがリッチー・エドワーズ失踪前の、マニック・ストリート・プリチャーズとしての最後のライヴとなる。サンタの帽子をかぶり、ワム!の“Last Christmas”が奏でられたが、リッチー・エドワーズは一切演奏せずギターを叩き壊した(バンドもそれに加わり、8千ポンドもの機材が破壊された)。
ザ・スミス
1986年12月12日/ロンドン、アストリア
アパルトヘイトに反対するアーティストたちによるベネフィット・コンサートに出演し、ザ・スミスは、当時制作中だったアルバム『ストレンジウェイズ、ヒア・ウイ・カム』の収録曲を初めて披露した。再結成ライヴの噂は根強くあるが、モリッシーはことあるごとにこれを否定しており、最近も否定したばかりだ。
ジギー・スターダスト
1973年7月3日/ロンドン、イヴェンティム・アポロ
激しいセットを、この場にピッタリな“Rock ‘N’ Roll Suicide”で締めくくったデヴィッド・ボウイは、さらりとこう言った。「このショウはいつまでも俺たちの記憶に残るだろう。これがツアー最後のショウだからってだけじゃなくて、これが俺たちがやる最後のショウだからな」。ジギー・スターダストは、そこで公式に消滅することとなった。しかし、デヴィッド・ボウイの未来に向けた確信的な歩みは続いていくことになる。
グレイトフル・デッド
2015年7月5日/シカゴ、ソルジャー・フィールド
グレイトフル・デッドのヴォーカルでありソングライターでもあるジェリー・ガルシアがバンドと共に行った1995年の最後のショウは、残念ながら音響のトラブルに見舞われる結果となってしまった。しかし、この話にはハッピー・エンドが待っていた。ジェリー・ガルシアを偲んで、メンバーが再結成を果たし、最後の公演地となったソルジャー・フィールドで凱旋公演を行ったのだ。
ザ・ドアーズ
1970年12月12日/ニュー・オーリンズ、ジ・ウェアハウス
ロサンゼルスのロック・バンドであるドアーズは、このステージで燃え尽きることになった。当時、アルコールとドラッグ依存に苦しんでいたジム・モリソンは、調子が悪く、激しい“Light My Fire”を演奏後、マイクスタンドを投げ,、激しい勢いでステージを去っていった。
ペイヴメント
1999年11月20日/ロンドン、ブリクストン・アカデミー
ペイヴメントは退場の際(初めて)、ヴォーカルのスティーヴン・マルクマスが観客に向けてお尻を振りながら頭の後ろでギターを弾くスタイルで舞台を後にした。大変印象的であり、またセットリストもバンドらしくなかった。彼らは観客ウケしそうな“Cut Your Hair”や“Harness Your Hopes”、“Shady Lane”を続けて演奏したのだ。
クイーン
1986年8月9日/ネブワース、ネブワース・パーク
ネブワース・パーク・フェスティバルのヘッドライナーを務めたクイーンは、12万人の観客を前に激しいライヴを披露し、2時間にわたるヒットソング満載のショウでオーディエンスを魅了した。不運なことに、コンサート終了後、照明が暗すぎたために、ファンは帰り道を探すのに何時間もかかってしまったと言われている。
ビースティ・ボーイズ
2009年6月12日、マンチェスター、グレート・ステージ・パーク
テネシー州出身のニューヨーク・ヒップホップの3人組グループ、ビースティ・ボーイズは、ボナルー・ミュージック・アンド・アーツ・フェスティバルで軽快なショウを披露し好評を得たが、この時アダム・ヤウクはがんを患っていた(ファンが知るのはもっと後のことだ)。アダム・ヤウクは残念なことに2012年に亡くなった。振り返ってみると、彼のエネルギーと情熱に心を打たれ、おバカな歌詞にもつい笑ってしまう。
ザ・セックス・ピストルズ
1978年1月14日/サンフランシスコ、ウィンターランド
「騙された気分はどうだ?」これは、セックス・ピストルズの最初で最後のアメリカ・ツアーの最終日にショウの中でジョニー・ロットンが発した言葉で、どう聞いても不幸な知らせであり、バンドが混乱の中にいたことを思わせた。しかし、すべてが悪かったわけではない。少なくともこの言葉は、ロックンロールの歴史に残った。(そしてセックス・ピストルズも1990年代と2000年代に再結成している)
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