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アイルランドのマイケル・D・ヒギンズ大統領が、ザ・クランベリーズのドロレス・オリオーダンの追悼式で、代表して彼女に追悼の意を表明している。

ドロレス・オリオーダンはレコーディング・セッションのために滞在していたロンドンで現地時間1月15日に享年46歳で亡くなっている。ロンドン警視庁は彼女の死について不審な点はないとしている。

彼女の出身地であるリムリック州は3日間の追悼式を開催しており、これは現地時間1月23日に行われる彼女の葬儀で締めくくられる予定となっている。現地時間1月21日に彼女の遺体はセント・ジョセフ教会で4時間にわたって棺が開けられて一般公開されており、これは通常、教皇や元首などに行われる措置だという。

マイケル・D・ヒギンズ大統領は現地時間1月22日、ザ・クランベリーズのバンドメンバーや彼女の交際相手だったオレ・コレツキーなどを含む数百人の哀悼者たちとともにバリーニティーにあるクロス斎場に来場している。

大統領はクロス斎場の屋外で4冊に及ぶ弔問者芳名録のうちの1つに氏名を記入し、ドロレス・オリオーダンの家族たちと15分間面会している。その後、彼は報道陣やファンに向かって次のように述べている。「ドロレスのこれまでの貢献に敬意を表することはとても重要なことだと考えています。そして、彼女にとって大切な存在だった母親であるアイリーンのほか、甥や姪などを含む素晴らしい親族にもお会いしたかったのです」

「とても若い人物が私たちを残して亡くなるというのは本当に深く悲しいことではありますが、同じように彼女の功績や音楽に敬意を表することも大事なことです。これはその音楽、楽曲の数々、パフォーマンスの数々、そしてバンドを評価してきたみなさんを賞賛することでもあります。その結果、追悼のためにこれだけ多くの人に足を運んでいいただきました。それは本当に当然のことですし、思いやりのあることです。最後に、彼女の家族が必要なサポートを受けられることを願っています」

ドロレス・オリオーダンの家政婦と乳母をやっていたケイ・ダフィーもこの追悼式に参加し、報道陣に次のように述べている。「彼女はこれ以上ないくらい私によくしてくれました。とても悲しいです。本当にショックです。信じられません。彼女は家に戻ってくる時はいつでも、私に電話をくれたものです」

「彼女はとても寛大な女性でした。私たちは連絡を取り続けていて、私は彼女のために存在していたようなものでした。彼女はいろんなことで私に電話をくれるんです。彼女はよく私を笑わせてくれました。彼女は私や私の家族にとてもよくしてくれたんです」

ドロレス・オリオーダンの死因については4月まで明らかにならないことも先週報じられている。検視が行われたものの、検視官は「様々な検査」の結果を待つことになると語っている。

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