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ジョン・レノンが1970年代にアメリカから追放されるのを防いだ弁護士であるレオン・ワイルズが亡くなった。享年90歳だった。

家族によれば、レオン・ワイルズは現地時間1月8日にマンハッタンのレノックス・ヒル病院で亡くなったという。レオン・ワイルズは一連の脳卒中があった後に病を抱えていた。

レオン・ワイルズは1972年にジョン・レノンとオノ・ヨーコのビザを延長する手助けをしたことで音楽界で知られる存在となった。

息子のマイケル・ワイルズは声明で次のように述べている。「父はペンシルベニア州オリファント出身の子どもでありながら、アメリカン・ドリームを生きたと感じていて、多くの人に同じ体験を感じさせるために人生を費やしました。彼は家族から愛され、ものすごく謙虚で、地元のバーでも愛されていました」

ジョン・レノンは「大麻樹脂」を所持していたことで有罪になり、1968年にロンドンでドラッグ所持で逮捕された過去を理由にアメリカ政府は彼を国外追放しようとしていた。

政府の文書で当時のリチャード・ニクソン大統領も夫妻の政治的信条(ベトナム戦争への反対や大統領職全体への反対など)が1972年の選挙で有権者に影響を与えることを恐れていたことが明らかになっている。

レオン・ワイルズは1960年代にザ・ビートルズによって設立されたアップル・レコードのマンハッタン・オフィスでジョン・レノンとオノ・ヨーコに会うことに同意することになった。レオン・ワイルズは昔の同級生に「この人たちが誰だか分からなかった」ことを認めている。

レオン・ワイルズはウォーターゲート事件によるリチャード・ニクソン大統領の辞任後、最終的に取り消されることになる国外退去を延期することに成功している。これは移民法における画期的な事例となった。

レオン・ワイルズはジョン・レノンが1980年に殺害された後もオノ・ヨーコに寄り添っていたという。

レオン・ワイルズはザ・ビートルズ関連のコンヴェンションにも出席して、2017年のペニー・ブラック・ミュージックでは「私がジョン・レノンにしたことで何十人もの人々が握手をして感謝してきた」と語っている。

「私はそうした素晴らしい人々からザ・ビートルズの美しい音楽を楽しみ、驚嘆することを学びました。私はいろんな種類の音楽について学ぶことになり、今ではお気に入りになっています」

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