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引退だって? まったく、何を言っているのやら。最も偉大な存命のソングライターであり、何でもこなす素晴らしい人物で、他ならぬザ・ビートルズの元メンバーである現在76歳のポール・マッカートニーは今、ニュー・アルバム『エジプト・ステーション』を携えた新たなワールド・ツアーをスタートさせている。『NME』のダン・スタッブスがロンドンでポール・マッカートニーにインタヴューを敢行し、ジョン・レノンやチャールズ・マンソン、地球温暖化、歳を取ること、そして、「Fuh-ing」について話を訊いた。

2018年7月23日、アビー・ロード・スタジオ。出演者:ポール・マッカートニー。オーディエンスには、選ばれた世界屈指の著名人たち。ジョニー・デップにリヴ・タイラー、ナイル・ロジャース、ストームジー、カイリー・ミノーグ、オーランド・ブルーム、ステラ・マッカートニー。このインタヴューが世に出る頃には、このことも明るみになっていることだろう。一方で、ステージの近くには孤立したリヴァプール訛りの中年男性も陣取っていた。

今回の公演は、ポール・マッカートニーの無比なキャリアを辿るような内容になっており、彼の初期の作品や、これまであまり演奏されていなかったアルバムの楽曲、膨大なヒット曲群を披露しているほか、オリジナルのレコーディングで使用したピアノで“Lady Madonna”をパフォーマンスしている。この日は演奏されなかったポール・マッカートニーの曲名を引用すれば、この公演は観るものを「天にも昇る(“Coming Up”)」ような心地にさせる内容となっている。初めから、見上げて顎が痛くなってしまうような内容だ。

公演の途中、現存する世界で最も有名で最も成功を収めたミュージシャンである彼が、リヴァプールについて言及する場面があった。リヴァプール出身の彼は、驚いたようにこう語りかけている。「おっと、君はリヴァプール出身なのかい?」とポール・マッカートニーは問いかけている。「そうです」と質問された男性が答える。「僕はリヴァプール出身なんだ」とポール。「存じ上げていますよ」とその男性は返している。「僕もなんだ」。ポール・マッカートニーは一瞬動きを止めると、私たちオーディエンスと同じように困惑した表情を浮かべた後で、再び世界で何億枚も売り上げた楽曲の数々の演奏に戻っている。道理としては、あなたもポール・マッカートニーのようになれるのかもしれないが、たとえあなたがリヴァプール出身だったところで、あなたは単なるリヴァプール出身の人でしかない。

このことは、ポール・マッカートニーの立ち振る舞い方をよく表していると言えるかもしれない。現在76歳のポール・マッカートニーは、ここアビイ・ロード・スタジオで、ミレニアル世代のお手本とも言えるような現在進行系のアーティストになるべくプロモーション・キャンペーンを始めようとしているのだ。彼は何も、(エミネムのように)「今回は考えすぎないようにした……楽しんでくれ。」とツイートしてアルバムを発表するわけではない。むしろ、ポール・マッカートニーは身を粉にして働いているし、最も重要な事実として、彼はかつて自分がいた地点に戻ろうとしているのだ。彼はジェームズ・コーデンをリヴァプールの「マジカル・ミステリー・ツアー」に案内し、かつてジョン・レノンと訪れていたパブのフィルハーモニック・ダイニング・ルームズでシークレット・ライヴを行っている。そして、アビイ・ロード・スタジオでライヴを行った数日後には、初期のザ・ビートルズの礎を築いたライヴハウスであるキャヴァーン・クラブでスペシャルな公演を行っている。

「僕にとって、リヴァプールに戻るのは素晴らしいことなんだ。幼少期を過ごした場所に戻るということはね」とポール・マッカートニーはその後の我々とのインタヴューで語っている。「いつも自分で運転して回るんだ。スピークからだったり、アラートンからだったり、よく誰かを乗せて当時のスクールバスのルートをドライヴするんだけどさ。一緒に乗った人は観光客として、今は(歴史的建造物を保護する)ナショナル・トラストによって保護されている僕の昔の家のそばを通ることになるんだよ。『ここに僕の寝室があって、あれが僕らが『ザ・ジガー』と呼んでいた裏路地で』っていう風に、すべてのことが蘇ってくるわけでね。キャヴァーン・クラブでも同じなんだ。いつもより上手に演奏できる気がするんだよ。オーディエンスとの距離が数インチしか離れていないような小さなクラブに戻るとね。それがどんな心地だったか思い出すんだ」

ここで触れなければいけない事実がある。彼がライヴを行った場所は、かつてのキャヴァーン・クラブではないということだ。昔ながらのキャヴァーン・クラブは、鉄道建設のために1973年に撤去されてしまっている。

「キャヴァーンにおける唯一の問題はそこなんだ。オリジナルのキャヴァーンではないということだよ」とポール・マッカートニーは語っている。「僕らはそのフリをしなければいけないんだよ。分かるよね。僕からしてみれば、(元々のキャヴァーン・クラブである)隣の建物が瓦礫に捨てられたと聞いたんだけど、発掘調査をしてみたいんだ。ほら、ピラミッドを掘り起こせるなら、キャヴァーンも掘り起こせるんじゃないかっていうね。その上にある銀行が沈んでしまうかもしれないけど、そんなものはさ! 跡地が埋められて駐車場になるって聞いた時には、(緑のあった場所を舗装して駐車場を造ったと歌われている)ジョニ・ミッチェルの“Yellow Taxi”が現実になったと思ったよ」

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その数週間後、私たちはロンドンのソーホー・スクエアにあるポール・マッカートニーのオフィスにいた。彼の最新作『エジプト・ステーション』がリリースされてから3日が経っていた時のことである(ポール・マッカートニーは「いくつかの」レヴューを読んだことを明かしている)。リリースに際して、ポール・マッカートニーはニューヨークのグランド・セントラル駅でサプライズのライヴを行っている。その後、『エジプト・ステーション』は物議を醸すこととなったエミネムのカムバック・アルバム『カミカゼ』と全米アルバム・チャートの1位の座を争うこととなっている(そして、最終的に『エジプト・ステーション』が1位の座に輝いている)。

私を含め3人がインタヴューを待っていた。二人は部屋の外で待ち、もう一人は既に部屋の中にいた。まるで校長先生を待っているような気分だったのだが、どうやら彼は歯医者のほうが好みらしい。「患者を診てるから、もう少し待っていてくれ」と扉に現れたポール・マッカートニーから告げられた。1分後、彼は女性のジャーナリストを見送り、翌朝にはよくなるよと告げていた。「根幹治療だよ」と彼は口の動きで私たちに教えてくれた。「すごくやりにくかったね」

次の患者が診察室へと入って行き、1人残された『NME』の私は、ポール・マッカートニーのオフィスを観察してみることにした。部屋の何もかもが音符で装飾されている。扉の取っ手は四分音符が、カーペットやカーテンには音符がモザイク模様で描かれている。そして壁や棚には、ポール・マッカートニーのメモラビリアが敷き詰められている。伝記に、ウィングス時代のツアー・ポスター、3Dプリンタで作られた様々な色のポール・マッカートニーの模型たち。「装飾を新しくしようと思っているんだけど、これもクールだよね」とポール・マッカートニーは部屋に入る私に話してくれた。「音楽ビジネスのオフィスにふさわしいと思わないかい?」

ポール・マッカートニーは、流行が一周して戻ってくるものだということを知っている。彼は自身のカタログが繰り返し再評価され続けるのを目撃してきたし、ザ・ビートルズの評判が上下し、最終的に無比な評価を確立するまでを目撃してきた。

彼はライヴをする時、時代をまたぐような選曲をしている。ポール・マッカートニーは前回のツアーで、後にクラブでヒットしてカルト的な人気を博すこととなったシンセの楽曲“Temporary Secretary”を披露している。彼は大規模な公演を“Hey Jude”で締めくくることが多いが、最近の小規模な公演ではザ・ビートルズの1968年の楽曲“Helter Skelter”がクライマックスを飾っている。“Helter Skelter”といえば、史上初めてのヘヴィ・メタルの楽曲という呼び声も高い。彼自身も同意見なのだろうか?

「違うよ! 僕はそんなこと言ったことない。分かるだろ。人々が言っていることなんだ。だけど、それについて考えてみると、ヘヴィ・メタルの始まりに近いとも思うけどね。僕ら自身もヘヴィにしようと思っていたんだ。(ザ・フーの)ピート・タウンゼントが、史上最高に卑猥で品のないアルバムを完成させたと言っているのを耳にしてね。それで、僕らはザ・フーよりも卑猥なものを作ろうと思ったんだよ。そういうわけで、もしもその話が世に出回っていたら、『よし、グループを作ろう。俺たちがそれをやろう!』っていう若者がロザハムなんかから出てきていたかもしれないよね」

“Helter Skelter”は、忌まわしい曰く付きの楽曲である。1969年に女優のシャロン・テートやレノとローズマリーのラビアンカ夫妻が殺害された事件の首謀者である、アメリカのカルト集団指導者チャールズ・マンソンは「ヘルター・スケルター」というタイトルを白人と黒人による人種間戦争が勃発するという自身の預言に用いている。「彼はザ・ビートルズが自身の魂や真実に近づいていることを確信していました。すべてが崩落し、黒人たちが立ち上がるのだと」とチャールズ・マンソンの信者の一人であるキャサリン・シェアは2009年に語っている。

常に平和を教義としてきた彼にとって――『エジプト・ステーション』には、イスラエル/パレスチナ問題について歌った楽曲“People Want Peace”が収録されている――さぞかしショッキングなこじつけであったことだろう。チャールズ・マンソンに関する2本の映画が現在制作されている中、彼との繋がりに再び焦点が当てられてしまう可能性を懸念しているかを訊いてみた。「そうだね。そのせいで、永遠にやらないと決めたことがあったんだ」と彼は語っている。「『“Helter Skelter”はもうやらない』と思ったんだ。事件とあまりに密接だからね。虐殺事件のことや当時起きたことなんて気にかけてすらいなかったのに、唐突に自分も関係しているような心地になってしまったんだ。それで、しばらくあの楽曲から距離を置くことにしたんだよ。けど、最終的には『ステージでやったら素晴らしいんじゃないかな。やってみたらいいんじゃないか』って思えるようになってね。そういうわけで、バッグから取り出してやってみたら、うまくいったんだ。ほら、ロックするのにふさわしい楽曲だからね」

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“Helter Skelter”は、ジョン・レノンこそがザ・ビートルズでリスクを負っていた者だとする意見に反論する際、ポール・マッカートニーの信者らによってしばしば引用される楽曲である。『エジプト・ステーション』やそのプレス戦略において、ポール・マッカートニーはいくつものリスクを冒している。その一つが“Fuh You”であることは言うまでもない。どう考えても二重の意味を持っていそうなこの控えめなタイトルは、(公然と)破廉恥な言葉遣いをしている、新しいポール・マッカートニーによるものだ。ここで、訊かずにはいられない質問がある。彼の子供たちや孫たちは、この曲を初めて聴いた時にどんな反応を見せたのだろうか?

「実を言うと、孫はこの曲が大好きなんだ」とポール・マッカートニーは語っている。「というのも、僕がそれをかけた時に、君たちや僕が気がつくようなことに彼らは気がつくことがないからね。子供じみたおふざけなんだけどさ。孫たちはそれに全然気がつかないわけでね。けど、僕がキッチンでそれを歌っていた時に、孫たちの母親である僕の娘にこう言われたんだ。『今、聴いたことは間違い?』ってね。それで、僕はこう言ったんだよ。『何のことか分からないな』とね」

「実を言うと、その部分の歌詞が未完成だったんだよ。それで、僕はジョークを言っていたんだ。『僕は君がどう感じているか知りたい/凄く誇れる、本物の愛が欲しい/君は僕がモノを盗みたくなるようにさせる/欲しいからさ……』ってね。それで、僕はこう言ったんだ。『I just wanna shag you(ただセックスがしたい)! かなりいい歌詞なんじゃないかな』とね。そしたら、みんなに『やめてください』って言われてさ。それで、僕はこう言ったんだ。『知ってるよ。『I just want it fuh you』っていう歌詞にして、他の言葉にも聴こえるっていうのにしよう』ってね。事実、ザ・ビートルズの時もそういうことはたくさんやっていたんだ」

私はその時、10代の頃の記憶がふと蘇り、ザ・ビートルズの曲を注意深く聴けば、卑猥な言葉が隠れていると姉のボーイフレンドから教わって、結局それを見つけられなかったことを思い出した。果たしてそれは事実なのだろうか?

「そうだよ。“Hey Jude”のバックヴォーカルを撮っていた時に、誰かが『失せろ(ファック・オフ)』だか何かを言っていたのを覚えているよ。最終的なミックスでそれを聴けるんだけどね。残しておくつもりはなかったんだけど、消すこともなかったんだ。それから、『ディット、ディット、ディット、ディット』って歌うべきバックヴォーカルを、自分たちだけで面白がりながら『(女性の胸を意味する)ティット、ティット、ティット、ティット』に変えて歌っていたこともあったよ。子供がやることだよね。すごく恥ずかしいよ! だけど、聴いた人を笑わせることができるのであれば、その価値はあるんだ。深刻なことを考えながら音楽なんて聴きたくないからね。大事なのは、退屈さを忘れさせるためのいかなる仕事においても、もし本当にそうしたいのであれば、ちょっとばかりのジョークがあったほうがいいっていうことだよ」

我々がポール・マッカートニーにインタヴューをした2日後に『GQ』誌によるポール・マッカートニーのインタヴューが公開されている。 ポール・マッカートニーはその中で、クインシー・ジョーンズとのやり取りの詳細や、ジョージ・ハリスンの童貞卒業をザ・ビートルズのバンド・メンバーで見届けたこと、彼自身がラスベガスで体験した3人での性行為、妄想している女性の名前(それからウィンストン・チャーチルの名前も)を叫びながら暗い部屋でジョン・レノンらと共に自慰行為に及んだことなどについて語っているほか、『ニューヨーク・ポスト』紙では「Beat The Meatles」という見出しをつけることを許可している。

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「なぜ路上でしないんだ?」と歌う“Why Don’t We Do It In The Road”はさておき、私たちは概して、ポール・マッカートニーの主なミューズはセックスではなく愛だと考えてきた。それゆえ、“Fuh You”とそれを作った人物をにわかには結びつけがたい。今日のポール・マッカートニーは、チョッキのポケットにヴェルタースの飴が入っていてもおかしくはないスイスの時計職人のような見た目をしている。同じく新作に収録された“Who Cares”は、祖父のような優しさがより一層滲み出ている楽曲だ。イジメられている子供たちへの楽曲である。彼自身の体験に基づいているのだろうか?

「厳密には違うよ。だけど、僕には子供や孫たちがいるからね。君たちだって、子供たちの間のそういう問題のことには気がついているよね」とポール・マッカートニーは語っている。

特に、ソーシャル・メディアにおいてだろうか?

「君がそうやって話すのも、イジメが存在していることを知っているからだよね。君は子供たちがイジメに遭わないことを願っていると思うけど、僕が子供たちとイジメについて話をしようとすると、いつも彼らは無関心な様子で――これからもそれが続いてくれることを願っているよ――問題だと思ったことがないようなんだ。けど、イジメは問題だからね。傷つきやすい子供たちに、君たちのための曲だよって言えることを嬉しく思っているんだ。ロックンロールの楽曲というだけではなく、問題を抱えている子供たちに言葉が届いて、少しでも彼らの助けになってくれることを願っているよ。一番伝えたいのは、『誰が君を心配するのかって、僕がするよ』ということだからね。『諦めないで。君のことを気にかけている人はたくさんいるよ』っていうさ」

ポール・マッカートニーは、かつてザ・ビートルズ内でイジメの対象になったことがあるのだろうか? 一部の話では、年上で紛れもなく辛口だったジョン・レノンがどちらかというと命令するような立場にあったという噂がある一方で、ポール・マッカートニーこそが陰で静かに糸を引いていたのだという噂もある。ポール・マッカートニーはとあるインタヴューで、新曲の出来を判断する際、ザ・ビートルズのメンバーに聴かせたら彼らが何と言うのかを想像して判断していると語っていた。ところで、彼はいまだにメンバーたちと会話をしているのだろうか?

「ハハ。イエスだよ……まさにその通りだね。ほら、何かを参照することはあるわけでね。いつもではないし、ほとんどの場合はしないんだけどね。そのインタヴューはおそらく、ザ・ビートルズが解散に近づいていた時にやったものだね」

「違います」と私は彼に話した。「2013年にアルバム『NEW』をリリースした時です」

「なるほど、今よりは少し解散した時に近いね。そう、たまにはそういう時もあるよ。とりわけ、出来がいいのか悪いのか分からなくて迷っているような一節がある時は特にそうさ。時々、こう思うことがあってね。『よし、オーケー。これがビートルズのセッションだとしよう。ジョンとのセッションを思い浮かべて、彼に『これどう思う?』と訊いてみるんだ。そうすれば、彼は『素晴らしいよ。このままいこう』って言うか、『いや、よくないよ。書き直そう』のどっちかを伝えてくれるからね』ってさ。そういうふうに、昔のことを参考にすることは誰しもあるからね。でも、僕は常にそうしているわけではないんだ。うまくいくか不安になったときに時折振り返ってみて、“Hey Jude”を初めてジョンに聴かせてみた時のことなんかを思い出すんだよ。僕は当時、彼に”The movement you need is on your shoulder “という歌詞を変えようと思っていることを伝えたんだけど、彼にこう言われたんだ。『そんなことしないだろ。君だって分かっているはずだ』ってね。『これはちゃんと価値があるのだろうか? それとも不良品なのだろうか?』っていう時に思い出したい出来事の一つだよ」

現在におけるジョン・レノンのイメージはといえば、彼は極めて辛辣な人だったというものだ。私たちはそのイメージがなくなることを願っているが、彼には二つの選択肢がある。そのままのイメージでいくか、改善するかだ。

「そうだね、君も分かっていると思うけどさ。ジョンと仕事ができたのは素晴らしいことだったんだ。そうやって覚えている人もいるんだろうけど。映画に出てくる(『ターミネーター2』のアーノルド・シュワルツェネッガーの台詞である)『アスタ・ラ・ビスター、ベイビー』みたいなものでさ。確かにジョンは厳しい批判の的になっていたけど、それは彼自身の2%でしかないし、人々が彼について覚えていることのせいぜい2%なんだよ。彼はほとんどの時間で寛容な人だったし、愛に溢れていて、一緒に働きやすい人だったんだ。そうは言っても、僕らはそれぞれの作品で互いを皮肉るようなやり取りをしたこともあったんだけどね。僕が『It’s It’s getting better all the time(“Getting Better”)』を書いて、彼が『Couldn’t get much worse』の歌詞を付け加えて対抗したりだとかさ。あの曲はそのおかげでいい曲になったんだと思う。けど、実際のジョンは本当に心のあたたかい人なんだ。彼の評判は、そういうイメージのせいで違うほうへ向かってしまったんだけどね」

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『エジプト・ステーション』は全編活気に満ちて、闘志に溢れているわけではない。事実、歳を重ねると人生は過ごしやすくなる、少なくとも快適にはなるという生やさしい考えを否定するようなアルバムになっている。「要するに、このアルバムはどちらの要素も含んでいると思っているんだ。幸せな要素もあるし、ロックの要素もある。それから、メランコリックな要素もね」とポール・マッカートニーは語っている。「だけど思い返してみれば、(“Yesterday”でも)『昨日までは、あらゆる悩みが遠いもののようだったのに』と歌っていたわけでね。24歳かそこらの時に『かつてそうだった今の半分の年齢の自分』について歌っていたんだよ。もしも半分だったら、12歳なわけだよね。人は悲しい曲を作るけど、だからといって憂鬱を抱えているわけではないんだ。僕はそういうことをずっとやってきたけど、気に入ってるんだ。実際、気持ちを持ち直すにはふさわしい方法なんだ」

特に“I Don’t Know”でポール・マッカートニーは「窓にいるカラス」や「ドアにいる犬」について歌っている。ウィンストン・チャーチル(再び登場)が自身の鬱病を「黒い犬」に例えていたように、鬱のメタファーとしてしばしば用いられてきた表現である。それこそ、彼が暗示しているものなのだろうか?

「そうだね。だけど、なんと言うか、考えてみれば、それらはブルージーでもあるわけでね」とポール・マッカートニーは語っている。彼は続けて、曲を歌って聴かせてくれた。ところで、彼が歌を歌ってくれたのはこの時が初めてではない。「窓にカラスがいるんだ。母親が僕を残して行ってしまった」と彼はエアギターを奏でながら口ずさんでくれた。「そういう類の歌なんだよ。分かるかな。そういう歌い出しがいいと思ったんだ。『窓にカラスが/ドアには犬がいる』って言うね。モノクロのスウェーデン映画見たいな感じだよ……人生のあらゆることが自分にのしかかっているっていうね。少し気分が苛立っている時に、音楽はすごく効果のあるものになりうるんだ。ドラムキットの所に行ってドラムを叩いてみてもいいし、ピアノに気持ちをぶつけて、自分の感情を楽曲にしたっていいんだ」

アルバムには3番目の妻で現在の配偶者であるナンシー・シェベルとの関係性について歌われた楽曲も収録されており、そこでは他のものとの関係性についてもハッキリと歌われている。薬物と、お酒についてだ。「一日中だらだらと過ごしていた/よくマリファナを吸っていた/ラリるのが好きだった/でも最近はそうしないよ/君といると幸せだから」

ポール・マッカートニーについては、最近ドラッグへの関心を思い出したと言っても差し支えないだろう。ポール・マッカートニーは『サンデー・タイムズ』紙とのインタヴューで、ジメチルトリプタミン(DMT)を使った時に神を見たことを明かしている。このインタヴューの数日後、彼は薬物によるトリップ状態の中で、かつてDNAの存在が明らかになるより前に自身のDNAの二重らせんを見たことがあると明かしている。このエピソードを聞くと、噂通り現代の若者たちがドラッグをかつてほど摂取していないのであれば、彼らが損をしているような気もしてしまう。とはいえ、彼は依存症のために短命で亡くなった仲間たちを見てきたはずだが、彼を食い止めてくれたものは何だったのだろうか?

「僕は生まれつき用心深い性格なんだよ。物事には少し慎重なタチでね。対して僕の友人たちの多くは慎重なタイプではなくて、どちらかというと、『そうだね、やってみよう』みたいな人たちが多かったんだけどさ。(ザ・ビートルズが有名になる前にライヴを行なっていた)ハンブルクにいた初期の頃のことを覚えているんだけど、僕らの演奏を観ようと思ったクラブの人たちが――そのうちの何人かはクラブを所有していたギャングたちだったんだけど――僕らが長時間働いていることを知っていたから、プレルジンっていうドラッグをくれようとしたことがあってね。プレリーズのことなんだけどさ! 飲めば一晩中、眠らずに話し続けてしまうようなドラッグでね。ある人からこう言われていることを覚えているんだ。『よう、何を使ってるんだ?』ってね。それで、僕はこう言うんだ。『何も使ってないよ。君たちの話をたくさん聞いてハイになってるんだ』ってね。僕は(ハイな状態を)人から感染させられやすかったから、他の人たちほど薬に頼る必要がなかったんだ」

また、別の曲“Despite Repeated Warnings”は地球温暖化についての楽曲だが、同様にEU離脱やドナルド・トランプについて歌っているとも言える。同曲は、私たちが今住んでいる混沌とした世界のSF的なアナロジーとなっている。本当に、これはEU離脱についての曲ではないのだろうか?

「この曲はEU離脱よりも前に書いたものなんだ。EU離脱が話題にすら上がっていない時にね」とポール・マッカートニーは語っている。「そうだなあ」、ポール・マッカートニーは一呼吸置いて次のように語っている。「幸運にも、EU離脱は話題になっていなかったんだ。そういうわけで、僕がそのことについて話す必要はないよね。この曲では、気候変動について歌っているんだよ。一部の人たちがデタラメだと思っていることについてね。そして、また別の人たち――とりわけトランプとかね――は、中国によって作り上げられた陰謀説だとか言っているわけでね。僕は実際にそういう人たちに出会うまで、ホロコーストがデタラメだと思っている人たちがいるということも信じられなかったんだけどさ。多くの点において、アメリカは孤立しているんだよ。自分たちだけで成り立っているからね。アメリカ人の多くは旅行をしないし、多くの人たちはパスポートすら持っていないんだ。持つ必要がないんだよ。ラスベガスにさえ行けば、ロンドンやパリに行った気分になれるんだからね。そういう理由で孤立してしまってもおかしくはないんだ。『ああ、ホロコーストの話は嘘だよ』とか、『月面着陸の話は嘘だよ』とか言う人がいても、おかしくはないんだよ。加えて、『うん、確かにそれはもっともらしいな』と思ってしまうような人たちが必ず出てくるわけでね。けど、僕からしてみれば、そんなことには同意しないし、気候変動は現実に起きていると思うんだ。そういうわけで、気候変動は現実ではないと言っているアメリカの指導者に対して何かしたいと思ったんだ。そのことに言及するやり方を探ってみたんだよ。そんな時に『Despite Repeated Warnings(再三の警告にもかかわらず)』というフレーズに出会って、『いいね。ここから始めよう』ってなったんだよ」

1972年には彼のシングル“Give Ireland Back To The Irish”が放送禁止になって物議を醸したのみならず、ヴェジタリアンが流行する前から彼は菜食主義者だったし、分断の時代に受け入れることを訴え、人種間の緊張が少なくとも現代と同程度には明白だった1982年には、スティーヴィー・ワンダーと共に“Ebony And Ivory”を歌っている。彼のメッセージは現代とも共鳴するものとなっている。

「実際、僕はとても誇りに思っているんだ」と彼は語っている。「ザ・ビートルズのすべての作品を振り返ってみた時に、その多くはとても前向きなものなんだ。人生を肯定するようなものなんだよ。僕らは『All You Need Is Love(愛こそはすべて)』と言っているわけでね。平和や愛を提唱していたんだ。人からはよくこう言われたものだよ。『責任というものを感じたことがあるかい?』とね。それほど大層なことではなかったにせよ、責任感を感じながらやっていたとも言えるんだ。つまり、突然、たくさんの人たち、特に若い人たちが僕らの音楽を聴いてくれるようになったわけで、そうするとこう思うようになるんだよ。『自分たちの作品で何かいいことを提示できたらクールだな』ってね。『なあ、外へ出て銀行を襲おうぜ』とかじゃなくさ」

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ポール・マッカートニーと会話をすると、どうしても腑に落ちない感情が生じることになる。自分が今、文字通り本物のポール・マッカートニーと話しているという感覚である。ポール・マッカートニー自身が約半世紀にわたって対処してきた事実だ。今月公開されたアメリカのテレビ番組「ザ・トゥナイト・ショウ・スターリング・ジミー・ファロン」の映像を観てほしい。ニューヨークでエレベーターに乗ったファンにサプライズを仕掛けるこの映像を観ていただければ、人々にとって彼がいかなる存在なのかをご理解いただけることだろう。ここで一つの疑問が生まれてくる。クリエイティヴな面で彼と仕事をするとなったら、それはどのようなものなのだろうか? ポール・マッカートニーは『エジプト・ステーション』のプロデューサーとしてグレッグ・カースティンを招聘している。一体どうして彼は、新しいコラボレーターを気兼ねなく招き入れることができるのだろうか?

「自分らしくいるように努めているんだよ」とポール・マッカートニーは語っている。「(コラボレーターたちが)不安そうにしていることに気がつくんだ。彼らが不安そうにしているのが分かるんだよ。もしも震えたりしているのなら、それは重要な証拠になるんだ。そういう人たちには、僕から話しかけて僕が単なる普通の人間に過ぎないことを分かってもらえるようにするんだ。『オーケー。確かに僕にはこういう評判があるけど、それは僕のことではないんだ。この君と一緒に座っている男こそが僕なんだよ』とね。プロデューサーとやる時は、それが重要なんだ。正直なフィードバックが欲しいからね。実際は違うのに『素晴らしいと思います』なんて言われると、僕にとっては厄介だからね。一方で、自分自身もそうあるように努力しているんだ。絶対にデタラメは言わないようにって律しているんだよ。もしも何かが今ひとつだと感じたら、それを排除しなければいけないわけでね。初日はそんな感じだね。2日目になる頃には、お互いに十分に笑い合って、僕の変人な部分も見せているし、落ち着いた関係性になっているんだ。運び込まれたチョコチップクッキーで一緒に盛り上がったりしながらね。僕らは至って普通の場所にいるんだよ。そうだろ? 彼らがやるべきことをできるようになるまで、それほど時間はかからないよ。グレッグはそういうのに本当に長けているんだ」

『エジプト・ステーション』に取り掛かっている間、ポール・マッカートニーは同時進行でザ・ビートルズの作品の再発についても進めていた。この5年間の間には、1967年にリリースされた『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』の再発盤が発売されるなど、供給過多になるほど次々と50周年記念盤が発売されている。今後50周年を控えているのはバンドの後期の作品群たちだ。期間中には、マネージャーでありメンターだったブライアン・エプスタインの死を経験し、オノ・ヨーコやスピリチュアリズム、金銭問題、内紛などによってバンド内の関係性に亀裂が生じることとなっている。少しばかり申し訳なさを感じながら、私はポール・マッカートニーに、幼少期には『ホワイト・アルバム』や『アビイ・ロード』、『レット・イット・ビー』を聴いた後で『ヘルプ!』や『ラバー・ソウル』などの活き活きとしたアルバムをいつも聴いていたことを明かした。それらのアルバムからは、バンドの繋ぎ目がほつれていくのを感じ取れてしまったからだ。彼もまた、それらのアルバムはあまり聴きたくないと感じているのだろうか?

「当時は複雑な心境だったんだ。今となっては、当時のことを合理的に考えることができるけどさ。僕が解散を相談した人たちはみんな、『それが家族だよ。家族ってそういうものだからさ。兄弟は喧嘩するんだ。子供たちだって親と喧嘩するしね』っていう感じでさ。それこそが僕らが直面していたことだったんだ。兄弟喧嘩だったんだよ。当時はすごく悲しかったよ。そうはいっても、当時を振り返ると、すごく悲しくてクレイジーな時間だったにせよ、僕たちは素晴らしいアルバムを生み出していたわけでね。当時はそういうことを話していたんだ。僕らは自分たちの問題を音楽で解決していたんだよ。ザ・ビートルズの何が重要だったかというと、僕らはいつだって小さき素晴らしいバンドだったということでさ。僕は今でもそのことに気がついていないけど、曲を聴くと思うんだ。『いいバンドだったんだな』ってね」

忘れられがちだが、ポール・マッカートニーはこういった騒動を極めて若い時期に経験している。ザ・ビートルズが解散した時、彼はまだ28歳だった。これまで様々なことを経験してきて、もしも伝えられるなら、彼は28歳だった当時の自分に何を伝えるのだろう?

「難しい質問だね。何と言うべきか分からないな」とポール・マッカートニーは語っている。「最初に思い浮かんだのは、周りの人の意見にもっと耳を傾けるようにっていうことだね。とりわけ、グループ内の人たちの意見にはさ。だけど、実際は僕も周りの人たちの意見には耳を傾けていたわけで、当時の僕が何を考えていたかっていうと、萎縮せずに自分の意見をきちんと伝えたほうがいいっていうことなんだ。そういう状況では、心を強く保つ必要があるからね。ジョンが曲を持ってきてくれた時に、『素晴らしいよ、ジョン。そういう風にやろう』としか言わなかったことがあってね。けど、自分の中にいるプロデューサーとしての僕は、こう思っているんだ。『いや、これはうまくいかないよ。もっとこうしたらどうだろう?』ってね。そういうわけで、例えば“Come Together”のような曲は、ジョンが持ってきたものをそのまま聞き入れていたら、あれほどクールなものにならなかったはずだよ。そうやって一つのやり方で押し通そうとしたような例が他にも2〜3あってね。だから、当時の僕に何と言えばいいのかは分からないんだけどさ。僕ならこういうだろうね。『君はいい子だ。愛しているよ』ってね」

このインタヴューから4日後、ポール・マッカートニーは新たなワールド・ツアーをスタートさせている。彼よりも5歳年下のエルトン・ジョンが正式に最後となるワールド・ツアーをスタートさせている一方で、ポール・マッカートニーにはそのような大規模な声明を発表するつもりはないようだ。ポール・マッカートニーはもう一度ツアーをやって、ヒット曲を披露しくれるのだ。希望を込めて、ザ・ビートルズのアルバムをツアーで全編演奏することを考えたことはあるかと訊いてみた。「ないよ」と彼は答えている。「クールなアイディアではあると思うけど、それをやるとなると、ちっともそそられないな。すごく制限されたものになってしまいそうだからね。それは他の人たちがやるようなことだと思うんだよね。うまくやってくれたら嬉しいよ。でも、僕にとっては、もしも1枚のアルバムをやって、観客が4万人もいるのに“Hey Jude”が入っていなかったとしたら、“Hey Jude”を歌いたくなってしまうと思うんだ。みんなを一つにしてくれる曲だからね」

『NME』によるレヴューを含め、『エジプト・ステーション』についてのレヴューの多くは、ポール・マッカートニーの心中に疑問を問いかけている。多くのことを成し遂げ、この上なく富も蓄えているであろうに、どうしてまだ続けようと思うのだろうか? ニュー・アルバムをリリースする理由は? カニエ・ウェストやリアーナとコラボするのはなぜ? ツアーをする理由は? 他に何を証明しようと言うのだろう? なぜもう一度挑戦しようとするのだろうか?

「いつも忘れてしまうんだけどね」とポール・マッカートニーは語っている。「挑戦する理由についてはね。いつも忘れてしまうんだよ。女性たちが子供を産むようなものさ。ものすごく辛い痛みを経験するのに、産まれてしまえば『もう一人産みましょう。愛する我が子を』となるわけでね。まるで痛みを忘れてしまったかのようだよね。僕の場合も、それと同じようなことなんだ。17枚のソロ・アルバムという赤ん坊を産んでいるけど、いまだにもう一枚産み出したいと思っているからね。僕は自分のやっていることが好きだし、これまでもずっとそうだった。僕はこのプロセスを楽しんでいるし、最終的には作品になって終わりを迎えることを忘れてしまうことがあるんだ。僕は興奮してそのことに没頭してしまって、ギターでリフを弾いてちょっとした素敵なフレーズを作るのに夢中になってしまうんだよ。僕はそれにのめり込んでしまって、その旅路の最後には試験が待ち受けているということに盲目的になってしまうんだ。つまり、そういうことは置いておいて、一度忘れてそんなのは関係がないと思い込むことが大切なんだ。実際、僕は自分がやっていることを気に入ってくれる人たちのために音楽を書いているんだよ。それは僕自身も含めてね。僕はこう思うんだ。『オーケー。すごくクールだよ。今も苦境から脱することになるんだからさ』ってね」

これがポール・マッカートニーである。そう、彼はリヴァプール出身の人なのだ。

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