10位 クレイロ『イミュニティ』(Fader Label)
一言で言い表せば:ベッドルームでこじんまりとレコーディングされたアルバムは無数の人々と共鳴した。
青年期には自身が何者なのかを見出そうと躍起になる時期というのがやってくる。多いのは学校を卒業して、大学が始まったり、仕事を始める時期で、新しい場所で新しい人々に囲まれて、誰もあなたをちゃんとは知らないという事実と向き合うことになる。クレイロのデビュー・アルバム『イミュニティ』はそうした時期に書かれた作品であり、自分自身になるまでの体験を静謐ながらも詳細に掘り下げた作品となっている。
『イミュニティ』はティーンエイジャーであるクレア・E・コートレルによって昨年作られた作品だが、その曲はどんな時代であっても人生の変化や混乱を迎えた時期を落ち着かせてくれるだろう。極私的な歌詞によって彼女は必要とする人々に共感という名の安心を与え、友人によって自殺から救われた“Alewife”の体験から“I Wouldn’t Ask You”で描かれる恋愛における負担となる感情まで、彼女が振り返る出来事は、すがるべき灯台となってくれる。この女性がこうしたことを体験して、そこからこんなにも美しいものを生み出したなら、自分にもそれは希望かもしれないと。
クレイロが心に訴えかける優れたクリエイターであることを証明するのは詞だけではない。自身で共同プロデュースしているプロダクションのチョイスは言葉で描かれる感覚をより明白なものにしてくれる。それは“Closer To You”におけるオートチューンの頑強な壁から“Sofia”の強烈なディストーションまで変わらない。クレア・E・コートレルはYouTubeで話題になった“Pretty Girl”で最初に名を知られるようになったが、『イミュニティ』は彼女がそんな幸運なワナビー以上のものであることを証明している。
鍵となる楽曲:“Bags”
最高の瞬間:“Sofia”で大量のディストーションが見事に鳴らされた時だろう。
『NME』は次のように述べている。:『イミュニティ』はそこに身を潜めることで、曲が定住の地となるようなアルバムだ。それは落ち込んだ時もやさしくあなたを包み込み、先にはより明るい日々があることをしっかりと思い出させてくれる。
9位 ワイズ・ブラッド『タイタニック・ライジング』(Sub Pop)
一言で言い表せば:時代外れに生まれたシンガー・ソングライターが自身の楽園が舗装されて、駐車場になっていくことを嘆いている。
『タイタニック・ライジング』のジャケットはワイズ・ブラッドことナタリー・メリングが水中に沈んだ子供部屋を横切るものとなっている。それはこの美しく没入型となった通算4作目の格好のイントロダクションと言えるだろう。
気候変動、色褪せた愛、実存主義、よりシンプルだった時代へのノスタルジアがアルバムの大きなテーマとなっている。冒頭の楽曲“A Lot’s Gonna Change”ではこうした概念が見事に組み合わされている。「ただの少女だった頃に戻りたい/当時は全世界がわたしのところにあった」
ナタリー・メリングは不吉な変化に直面していることを掲げるこの曲“A Lot’s Gonna Change”でアルバムを始め、唐突なインストゥルメンタル曲“Nearer To Thee”で幕を下ろしている。“Nearer To Thee”はタイタニック号が沈没の時に楽団が演奏されていたとも言われた賛美歌“Nearer, My God, to Thee”をほのめかすものとなっている。ここでは希望と同時に、諦念の感覚が鳴らされている。
オーケストラの壮大さやひねくれたカントリー、サイケ・フォーク、昔懐かしのピアノ・ポップなどを横断した10曲を通して、ナタリー・メリングは希望と絶望を一つに繋ぎ合わせてみせる。人生とは偽りなく複雑な生き物だが、魅惑的な40分間の中でナタリー・メリングはその数え切れない特性を掘り下げている。
鍵となる楽曲:“Andromeda”
最高の瞬間:“Something To Believe”での壮大なコーラスのクレシェンドだろう。
『NME』は次のように述べている。:サマー・オブ・ラヴは流血のなか終わったが、通算4作目のアルバムでナタリー・メリングは古ぼけたプリズムを通して当時を牧歌的な時代として振り返っている。
8位 マイケル・キワヌーカ『キワヌーカ』(Polydor)
一言で言い表せば:現代のソウル・ヒーローは自身のアイドルに匹敵する偉大さに到達した。
もう誰もマイケル・キワヌーカのようにはなれないだろう。ノース・ロンドン出身のシンガーソングライターはソウルの70年代の黄金期を思い起こすような豊穣かつ政治的意識に溢れたソウルを生み出した。自身の名前を冠したサード・アルバムにはデンジャー・マウスによる弾けるような現代的なプロダクションが施されている。不思議で、ディストーションのかかったパーカッションや生き生きとしたギターなど、それが『キワヌーカ』というアルバムが懐古的になることを妨げている。そして、歌詞は自己実現と自身のアイデンティティを祝福する達成感に溢れた豊かな賛歌になっているのだ。
「このアルバムの多くは自分に自信を持ち、自分の肌の色に納得できる年齢になることについてなんだ」と彼は『NME』に語っている。歓喜に溢れたオープニング・ナンバーである“You Ain’t The Problem”では過去の不安を払拭し、もう邪魔はさせないと誓い、自己不信には陥らないと、次のように歌っている。「自分を演じる必要はない……かつては自分のことが嫌いだった……牢獄を突破するんだ」
2012年発表のフォーキーなデビュー作『ホーム・アゲイン』は慎重になりすぎたところがあったが、扱う主題の重さよりも喜びに溢れた楽曲に重きを置くことで、本作は重い題材を明るいタッチで扱うことが徹底されている。陽気な“Hero”では黒人市民への暴力を嘆き、抑えた哀愁を帯びた“Solid Ground”では次のように主張している。「大変になったら、腕をまくるよ」『キワヌーカ』にはクラシックさと現代性が同居している。
鍵となる楽曲:“You Ain’t The Problem”
最高の瞬間:“Final Days”の逸脱した実験的なイントロは、彼がしばしばそう讃えられてきたようにマイケル・キワヌーカが冒険的なミュージシャンであることを証明している。
『NME』は次のように述べている。:これまでのそれぞれのアルバムで過去と現在を渡り歩いてきたマイケル・キワヌーカだが、サウンドでも主題としてもクラシックさと現代性を見事に一つにしている。
7位 フォンテインズD.C.『ドグレル』(Partisan)
一言で言い表せば:アイルランド出身のパンク・バンドはアイルランドの詩人と巨大なモッシュピットをかけ合わせてみせた。
フォンテインズD.C.のデビュー・アルバムは、怒りに満ちた意識の高いギター・ミュージックの豊かな鉱脈を生み出しているポスト・パンク・リヴァイヴァルの真っ只中に届けられた。ティーンエイジャーで最初の本物のヒーローに出会ったものの、その後数十年間にわたって資格を剥奪されてきた昔からのパンクスにとって、再び信じられるバンドを発見したなかでも、フォンテインズD.C.の登場は本物のように感じる瞬間だった。
フロントマンのグリアン・シャッテンがアルバムの冒頭を飾る“Big”で「雨の中のダブリンは俺のものだ」と叫ぶ時、再び声を見つけた都市の雨に濡れた裏路地へと真っ逆さまに引き込まれたはずだ。グリアン・シャッテンはその紆余曲折を物語っていく。『ドグレル』というアルバムを決定づけているのは正直さとロマンティシズムであり、“Too Real”でグリアン・シャッテンが「お前にはリアル過ぎるか」と言い放つ時、真の強靭な繋がりでもってアイロニーは爽やかに外へと投げ放たれる。
『ドグレル』でもってフォンテインズD.C.はただのわめきちらす5人のパンクスによるバンドではないことを証明した。“Boys In The Better Land”や“Too Real”は破茶滅茶なパンク・アンセムだが、“Television Screens”の一味違うメランコリアや臆することなくオールドスクールな最終曲“Dublin City Sky”など、その本性を露わにしているのだ。
鍵となる楽曲:“Boys In The Better Land”
最高の瞬間:グリアン・シャッテンが“Big”で「俺の少年時代はちっぽけだった、でも、俺はビッグになるんだ」と言う時、それは途方もない宣言のように聴こえる。
『NME』は次のように述べている。:アイルランド出身の吟遊詩人は語り部として物語を紡ぐ声と若者の幻滅を吐き出す新たなヴィジョンという両方の点でデビュー作で見事にやってのけている。
6位 FKAツイッグス『マグダレン』(Young Turks)
一言で言い表せば:これまでに聴いたことのない失恋。
FKAツイッグスのセカンド・アルバムは聖書の登場人物であるマグダラのマリアの名前を借りている。マグダラのマリアの人生については知られていないことも多く、具体的な詳細についてはほとんど語られていないが、それにもかかわらずマグダラのマリアはポピュラー・カルチャーでは頻繁に「罪深き女」として描かれてきた。これこそが、この社会が女性を定型化し、圧力をかけ、どう見つめてきたかを驚異的な形で掘り下げた作品である『マグダレン』の出発点となる。これは有名な人物の影で衆目にさらされることに慣れてしまったすべてのアーティストからの声でもある。
邪悪さと合唱が組み込まれた“thousand eyes”では、貪欲な匿名の目が注がれるなか、恋人と最終的に別れる様が描かれる。非常にパーソナルな瞬間もアルバムでは描かれている。“daybed”では悲しい自慰を描くのに文法的に逸脱した表現が使用されている。「クンニリングスを偽造する(Faux my cunnilingus)」と単語の順番を入れ替え、動詞として使い、曲全体にちぐはぐな印象を与えている。“Cellophane”は苦悩に満ちた泣き声だ。「私たちが別れるのをみんなが見たがっている」と再び姿の見えない集団的な傍観者に言及している。
身体性はFKAツイッグスの表現にとってのキーとなっており、彼女は武器のようにそれを使う。彼女は短器械刀も使用する格闘技である武術太極拳も修得している。競技場で剣を回し、刃が身体から数インチのところを通っていく武術太極拳において、FKAツイッグスは目覚ましいパフォーマンスを見せていた。しかし、『マグダレン』は「命がけで私を愛して」というメッセージである。
鍵となる楽曲:“Mary Magdalene”
最高の瞬間:それは間違いなく“Cellophane”で聴ける完璧な高音だ。
『NME』は次のように述べている。:『マグダレン』は破局から立ち直ることについてのアルバムだ……言うまでもなく、FKAツイッグスは本能のままに生きる人なのだ。
5位 リトル・シムズ『グレイ・エリア』(Age 101 Music)
一言で言い表せば:UKで最も見落とされているラッパーが今の時代を見るようけしかける。
これぞノース・ロンドン出身と言うべきリトル・シムズは、新たなサウンドに挑戦した輝かしいサード・アルバム『グレイ・エリア』で我々を驚かせ、今年再起を果たしたアーティストとなった。前作『スティル・イン・ワンダーランド』は複雑に入り組んだコンセプト・アルバムだったが、本作ではすべてが削ぎ落とされている。
その真骨頂とも言えるのが冒頭の“Offence”で、自身のスタイルを唸るベースとドラムへと変え、それによって彼女のふてぶてしく最高の自慢話はいつも以上に単刀直入なものとなっている。「私は悪かった頃のジェイ・Zにして、最もひどかった頃のシェイクスピアよ」サウンドの境界を押し広げることで、彼女はイギリスのラッパーの中でも傑出したアルバムの一つを作り上げてみせた。“Offence”同様、“Boss”や“Therapy”でも敢えてプリミティヴにしたベースラインが彼女の強靭で我が道を行くトーンを引き立てている。一方、“Sherbet Sunset”では自らをさらけ出し、自身の葛藤を露わにしている。「人生が完璧のように気取っているけど、本当は正反対なの/最近もよく沈んでいた/誰にも言ってないんだけどね」
刺激的な歌詞に対して浮遊感のあるプロダクションはスペースを残し、同じくロンドン市民のマイケル・キワヌーカのソウルフルなヴォーカルが登場する内省的な“Flowers”では、親近感を抱いていたエイミー・ワインハウスのような亡くなったスターへの情熱的なラップでアルバムを締めくくっている。勝利を収めたアルバムの感動的な結末だ。
鍵となる楽曲:“Boss”
最高の瞬間: “Sherbet Sunset”で彼女は「あなたは私のグラミーのスピーチに加わるはずだったのに、すべてを失ったのよ」と言ってみせている。
『NME』は次のように述べている。:「この10曲を通してリトル・シムズは彼女の最も価値ある長所を有効活用している。それは実直さだ」
4位 スロータイ『ナッシング・グレート・アバウト・ブリテン』(Method Records)
一言で言い表せば:パンクとグライム、そして緊縮財政のイギリスが生んだ無視できない私生児。
『ナッシング・グレート・アバウト・ブリテン』は、自称「ノーサンプトンの申し子」による所信表明である。ラッパーとしてハードな題材に取り組み、現状維持に盾突くことを恐れず、感情的な率直さへと導く音楽的な部分での繊細さも厭わない。
少年時代のいたずらや悩み、ならびに愛と自身の希求を、劇場型に見せるスロータイの刺々しい美しさは、予想のつかない形で感情に訴えかける興奮の流れへと聴き手を導いてみせる。
ロマンスから成功まであらゆるものに触れ、空っぽのナショナリズムを暴露し、99フレークのアイスクリームを懐かしがってみせる切れ味鋭いコメントと共に『ナッシング・グレート・アバウト・ブリテン』はユーモアと自らのキャラクターを絶望や悲劇と織り交ぜるスロータイの能力とその視点の広さを指し示す作品となっている。
ミッドランズ出身のジェイケイによる“Grow Up”での痛烈なゲスト参加は断固としたアンチ・ロンドンの視点がこのアルバムの魅力の一つになっていることを伝えてくれるが、それゆえスロータイがより包括的な視点で語ることが可能となっている。
『ナッシング・グレート・アバウト・ブリテン』は政治に関心を持つ若者にとって時代精神を象徴する人物としてのスロータイの地位を確かなものとし、自身のアートの限界を突破するための盤石のプラットフォームを築いたと言って間違いないだろう。少しの幸運さえあれば、今後も彼は避けては通れない会話を巻き起こすはずだ。
鍵となる楽曲:“Doorman”
最高の瞬間: アルバム・タイトル・トラックでスロータイはディジー・ラスカルを引用する形で次のように述べている。「俺はただのボーイ・イン・ザ・コーナーだ」
『NME』は次のように述べている。:彼の人生とコミュニティ、そして、その結果生まれた信念をめぐる地方遊説へと連れ出す本作は、彼という人間の所信表明であるだけでなく、広大に広がる彼のキャリアの可能性を指し示す作品となっている。
3位 ラナ・デル・レイ『ノーマン・ファッキング・ロックウェル!』(Polydor)
一言で言い表せば:アメリカで最も過小評価されているソングライターによる魅力的なサウンドと必殺のウィットの贅沢なタペストリー。
ラナ・デル・レイの通算5作目はこれまでで最も心を捕らえる作品だ。彼女はタイトル曲で「大人気ない」恋人への不満を露わにするものの、レナード・コーエンへの敬意を示した“Mariners Apartment Complex”では恋人の側に立ち、「私はあなたの恋人よ」と感謝の念を示している。
彼女は変わったユーモアで自身の欠陥を挙げながら、これまでの恋人の欠点にも言及している(「なんで私があなたの面倒をみるのを待っているの?」とタイトル曲で歌っている)。これまでの作品にあった自慢節は減っている。代わりに彼女は思いやりのあるアプローチをとり、美しく削ぎ落とされたヴォーカルで次のように叫んでいる。「くそったれ、愛しているわ」
脆さの中に強さがあり、ジャック・アントノフのミニマルなプロダクションによってそれが高められており、“hope is a dangerous thing for a woman like me to have – but i have it”のような曲はピアノと無防備なヴォーカルだけとなっている。
結果、アルバムは映画的な終わり方を見せ、ジョニ・ミッチェルのようなクオリティを生み出し、彼女は自身について「虚弱体質の今時の女性」と宣言している。
鍵となる楽曲:“Fuck It, I love You”
最高の瞬間: 間違いなくアルバムの最初の一節だろう。「ああ、大人気ない人ね。すごくいいセックスをしてくれたから、愛していると言いそうになっちゃった」
『NME』は次のように述べている。:ラナ・デル・レイは偉大だ。器が大きい。通算5作目のアルバムで彼女はそれを体現してみせ、その方法は素晴らしいものに他ならない。
2位 タイラー・ザ・クリエイター『イゴール』(A Boy Is A Gun)
一言で言い表せば:フラワー・ボーイはひどい別れを経験し、まだ友人でいられるかを尋ねている。
2019年5月18日、UKの音楽ファンはツイッターを見て、飛び上がることとなった。そこでは赤とピンクのスーツに身を包んだタイラー・ザ・クリエイターの姿がバッキンガム宮殿の前にあったのだ。
何が起こった?
テリーザ・メイは政権を去り、タイラー・ザ・クリエイターが戻ってきた。『イゴール』というニュー・アルバムと共に。しかし、なんというアルバムだろう。アルバムは2017年発表の『フラワー・ボーイ』でも明らかだった成長と自己実現が続くものとなっており、タイラー・ザ・クリエイターが歳月をかけてアーティストとなったことを示すものとなっている。
『イゴール』をリリースした後、タイラー・ザ・クリエイターは“I THINK”(1980年代のクインシー・ジョーンズの脳内から飛び出してきたようなサウンドだ)のブリッジを9バージョン、レコーディングしたとツイートしており、それがこのプロジェクトへの彼の取り組みを象徴している。
『イゴール』は彼のこれまでのアルバムとは違うものだ。もちろん、タイラー・ザ・クリエイターはこれまでも声高でクリエイティヴで、カニエ・ウェストやリル・ウージー・ヴァートといった興味深いコラボレーションと共にそのマルチな才能による多面的な方法で作品を形にしてきた。しかし、今回のアルバムのタイラー・ザ・クリエイターは誠実なのだ。
彼はジェンダーやセクシャリティについて彼自身に、そしてリスナーに率直な質問を投げかけている。『イゴール』には最も正直で、最も進化したタイラー・ザ・クリエイターを見ることができる。オッド・フューチャーにおける人気者が最も広い心の持ち主となったのだ。それを想像してみてほしい。
鍵となる楽曲:ゴキブリを食べ、ブルーノ・マーズを刺すとその忌々しい食道から言葉を吐いていた人間が胸が張り裂けるほどひたむきな“Earfquake”で2010年代を終わらせようとしていると10年前に言ってたら、嘘つき呼ばわりされただろう。
最高の瞬間: “Are We Still Friends”で「僕らはまだ友達かな? 友達でいられるのかな?」と問いかける時、今のタイラー・ザ・クリエイターのようにアーティストは自身の本心をライヴでラップすることができる。
『NME』は次のように述べている。:『イゴール』は28歳のタイラー・ザ・クリエイターがディテイルまで熱心な目を向けて、自身の華々しいミュージシャンシップを表現し、ソングライターとしての強さを見せつけた作品だ。
1位 ビリー・アイリッシュ『ホエン・ウィ・オール・フォール・アスリープ、ホエア・ドゥ・ウィ・ゴー?』(Darkroom)
一言で言い表せば:驚異的な天才が現状を打破するデビュー作を届けた。純粋に新しいサウンドを最後に聴いたのはいつだった?
2010年代の終わりに今後の10年がどうなるかに興味があるなら、ビリー・アイリッシュの『ホエン・ウィ・オール・フォール・アスリープ、ホエア・ドゥ・ウィ・ゴー?』はその青写真となるかもしれない。ロサンゼルス在住の10代によるデビュー・アルバムは大胆かつ豪快で、これまでのものとはどれとも似ていない。17歳の彼女は、くぐもったビートとかろうじて聴こえるヴォーカルと最先端のソングライティングを組み合わせた。そう、どれもおかしなものになりそうなものばかりだ。
ビリー・アイリッシュと兄のフィニアス・オコネルはアルバムを自身のベッドルームで作り上げた。だから、本作が不安を抱える世代の日記のようなのは驚くことではない。“Bury A Friend”はビリー・アイリッシュのベッドの下にいるモンスターからの視点で語られる恐怖に満ちた物語であり、“Xanny”はアメリカで起きているオピオイドの問題に対する10代からの反応だ。彼女は“Xanny”でハイになってないのは自分だけだとし、「今までもこれからもザナックスはいらない」と歌っている。しかし、アルバムには笑えるところもあある。“Bad Guy”はキャッチーであるのと同じくらい笑えるし、“My Strange Addiction”や“!!!!!”といった曲では兄弟でちょっとした冗談を巧みに操っている。
2019年、音楽を超えて彼女は世代に1人だけ現れるカルチャーの象徴になった。彼女は自分のプラットフォームを使って、容姿を気にすることやオンラインでのいじめに声を上げ、気候変動と闘うこの星の若い世代に信念を与えた。ビリー・アイリッシュの声や人間性をもって、今後の10年はうまくいくことになるのかもしれない。
鍵となる楽曲:“Bad Guy”
最高の瞬間: “Bad Guy”の最後3分の1でのビート変化、そこであのおどろおどろしいベースラインが曲を切り裂くことになる。
『NME』は次のように述べている。:ビリー・アイリッシュの破滅的な性格が中心となった語り継がれる画期的なデビュー・アルバム。メインストリームがこれを真似しようとするのを間違いなく目撃することになるだろう。
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