ポール・ウェラー:「シンガー」
「レノンは、テクニック的にはそれほどでもないけど、その誠実さと力強さにおいて敬愛するシンガーだね。“Don’t Let Me Down”では同じトラックをどこまでも解き放っていくのが気に入ってる。そして“Twist And Shout”や“Money (That’s What I Want)”、“Dizzy Miss Lizzy”、“Bad Boy”といった曲では見事なシャウトを披露して、名だたるロックンローラーの一人としての地位を確立した。まるで、レコーディングの前にカミソリの刃でうがいしたみたいな声だろ。その反面、当然ながら“Jealous Guy”や“Beautiful Boy”のような曲に見られる、より繊細でソウルフルな面も彼の声にはあるんだ。ソングライター、作詞家、シンガーとして、すべてにわたって彼から受けた影響は計り知れないものがあるよ。
レノンの楽曲には無条件に素晴らしいものが数多くあるけど、今俺がハマッてるのはあまり知られていない“Remember Love”(“Give Peace A Chance”のB面)のような曲なんだ。でも、昔からの一番のお気に入りといえば“Strawberry Fields Forever”だな。
今でも、この曲を初めてラジオで聴いた時のことは覚えてるよ。俺は当時まだ9歳だったから、ドラッグやサイケデリアのことは何も分からなかったけど、ただもう驚異のメロディーだって思ったんだ。俺の母親はまだ若くてレコードを買ってたから、俺はすでにザ・ビートルズやザ・キンクスに慣れ親しんでたけど、あの曲はひたすら衝撃的だった。異次元へ吹き飛ばされた気分だったよ。学校で、俺にとっての先生は4人だけだった――ジョン、ポール、ジョージ、リンゴ――でも俺の真の教育は、“Strawberry Fields Forever”から始まったんだ。あの曲以降、本格的にザ・ビートルズにのめり込んでいった。1967年のクリスマスの翌日に、初めてテレビで『マジカル・ミステリー・ツアー』が放映された時は、見たくて必死だったよ。両親はITVのくだらない映画を見たがってたもんだから、コマーシャルの合間にチャンネルを変えては観てたんだ。
その時以来、俺は病みつきになってしまった。チェスターに親戚がいたから、ある時、父親と一緒にリヴァプールまで「巡礼」の旅に出たんだ。メンローヴ・アヴェニュー(レノンが育った場所)や、アラートンのポールの家を見てきたよ。残念ながら本物のストロベリー・フィールズへは行きそびれたけどね。
技術的な面からいうと、“Strawberry Fields Forever”の制作には驚くべきものがある。プロ・ツールスなんてものはなかった時代だ――もし失敗したら、初めからやり直すしかなかったんだ。俺にとっては、あれが初めて手にしたサイケデリック・レコードだった。ザ・キンクスの“See My Friends”がよく取り沙汰されるけど、“Strawberry Fields Forever”の方がずっと実験的だよ。ジョージ・マーティンは2つの異なるセクションを見事にエディットしてるよね。中盤のキーチェンジが素晴らしいんだ。俺はいつでもあの曲に立ち返るんだ。あの曲は、とてもたくさんのテクスチャーがあって、聴くたびに何か新しい発見があるっていう種類の曲だから。いまだにあれを越える楽曲は存在しないんだ」
当記事の初出は2012年9月、NMEが創刊60周年を記念して行った「過去60年間で最高のミュージック・アイコン」投票でジョン・レノンが1位に輝いた際のものとなっている。
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