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エイミー・ワインハウスの映画『エイミー』の制作チームが、タイトルこそ決まっていないが、2016年にオアシスのドキュメンタリー映画を制作する予定だという(詳しくはこちら→https://nme-jp.com/news/7992/)。制作会社のアンドリュー・オーによれば、マット・ホワイトクロス(『スパイク・アイランド』)の「繊細さと撮影スタイル」は「この素晴らしいロック・バンドの成功の物語にうってつけ」で、オアシスと未公開のアーカイヴ映像については「これまでにない」権限を与えられることになっているそうだ。アンドリュー・オーの言うように、このドキュメンタリーがバンドの成功を紹介するだけで、2009年の解散まではなぞらないというなら、押さえておくべき重要な出来事がある。映画で描かれなかったらプロデューサーたちが馬鹿げてる、オアシスの重大事件を10件ここに御紹介しよう。

1. ノエル、弟のバンドに加入

物語には始まりが必要だ。リアム・ギャラガーの友人、ポール・“ギグジー”・マッギガンはギタリストのボーンヘッド、ドラマーのトニー・マッキャロルらとザ・レインというバンドを組んでいたが、1991年にリアム・ギャラガーをヴォーカルとして加入させる。その後、マンチェスター出身のバンド、インスパイラル・カーペッツのツアーをサポートする仕事から戻ってきたばかりのリアムの兄、ノエル・ギャラガーもバンドに加入。バンド名をオアシスと改名し、ノエルが曲を書き始めるのだった。

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2. アラン・マッギー、グラスゴーでオアシスの才能を見出す

オアシスの才能を見出したのがアラン・マッギーでなくとも彼らの大成功は約束されており、誰が契約したかは関係ないと言う人もいるだろう。しかし、クリエイション・レコーズの設立者、アラン・マッギーが1993年5月にグラスゴーで行われたオアシスのライヴに来ていたのは嬉しい偶然だった。アラン・マッギーは『ザ・サン』紙にこう語っている。「父に会いにグラスゴーを訪れていて、ライヴを見に行くかさえ決めてなかった。間違えて会場に早く着いてしまったんだ。オアシスの出番は1番目で、まだほとんどの客が来てなかったね」

彼はさらにこう続けている。「ポール・ウェラーの若い頃みたいな青年がアディダスの明るい青色のトレーニングウェアを着て、そこに座ってたんだ。てっきり俺はそいつがヤクの売人で、ギタリストのボーンヘッドがヴォーカルだと思ってた。やつらがステージに上がって初めて、そいつがリアム・ギャラガーだと知ったのさ。あいつらと契約しなきゃって思ったよ。ライヴのあとにノエルと話して、『決まりだ』と契約を結んだ。結果として、ノエルの言葉は正しかったよ」

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3. “Supersonic”のリリース

それから1年と経たない1994年4月11日、オアシスのデビュー・シングル“Supersonic”がリリースされる。この年の3月にはイギリスのテレビ番組「ザ・ワード」で、テレビでの初パフォーマンスを行っており、この曲はUKシングル・チャートで最高31位に輝いた。もちろん、この順位は彼らのシングルの中では最下位だが、デビュー作ということもあってバンドにとっては大事件だった。この曲はこれまでに21万5000枚以上の売上を記録し、イギリス国内のオアシスのシングル売り上げで13位にランクインしている。


4. 『デフィニトリー・メイビー』、初登場1位を獲得

3枚目のシングル“Live Forever”はUKチャートの10位を記録したが、このシングルをリリースした3週間後の1994年8月29日にデビュー・アルバム『デフィニトリー・メイビー』がリリースされる。このアルバムは初登場1位に輝いただけでなく、デビュー・アルバムとして当時の国内最速売上も記録している。興味深いのは、ノエルがポール・“ギグジー”・マッギガンの担当したベースを勝手に差し替えてしまったことで、ノエルはその事実を数年後に本人に語っている。このアルバムは現在までに全世界で1000万枚以上を売り上げており、2006年には『NME』の読者が選ぶベスト・アルバムの1位にも輝いている。1994年当時、この成功をバンドはどう祝ったのだろうか。


5. ノエル、ロサンゼルスで失踪

それから1カ月も経たない1994年9月24日、ロサンゼルスにあるナイト・クラブ、ウィスキー・ア・ゴーゴーでライヴを行ったバンドを、悪いクセが襲うことになる。リアムはこのライヴで“Live Forever”の歌詞の一部を「Maybe I don’t really wanna know/how your garden grows(たぶん、本当は知りたくないんだ/君の庭がどうなるかなんてことは)」から「Why you pick your nose(お前がなぜ鼻をほじるかなんてことは)」に変えて歌い、タンバリンでノエルの頭を殴ってしまう。ライヴ後にノエルはバンドを離脱してサンフランシスコへ移動。クリエイション・レコーズのティム・アボットはそんなノエルを捜し出し、ミネアポリスのライヴのためにバンドへ戻るように説得した。これが世間を巻き込んで行われた、初めての大規模な兄弟喧嘩である。

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