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18ヶ月に及ぶガンとの闘いの末、1月10日にこの世を去ったデヴィッド・ボウイ、その彼がポップ・カルチャーにもたらした影響は計り知れない。サイケデリックなフォーク・ロックからグラム・ロック、プラスティック・ソウル、アヴァンギャルドな実験主義のほか、多くのジャンルを取り入れたデヴィッド・ボウイの留まることを知らない創造性と再構築は、現代音楽の大きな原動力の一つだった。そして、彼の影響はファッション、パフォーマンス・アート、映画、そして性についての政治にまで及んでいた。彼は、どんなに難解なスタイルに挑んだとしても、一貫して新作を発表し続け、彼が成長の一助となったロック・ミュージック界のタペストリーにおいて無数のミュージシャンの面々に影響を与えてきた。彼は自身を情緒不安定で退屈と卑下したが、形を変え続ける彼の本質は、ポップスターはどうあるべきかという青写真を描いてくれていた。つまり、カメレオンのように姿を変え、得体のしれない存在で、艶めかしい宇宙人のようでもあり、社会に対して個人の自由と表現の許容範囲を問い続けている存在だった。

ジギー・スターダストや、アラジン・セイン、シン・ホワイト・デュークに、トム少佐。いとも簡単に自分のものにしながら、キャリアの各フェーズで容易く捨て去ってきたこれらのペルソナに、そしてどれも最上級の役割を果たしたマスクの裏側にいる男に、彼の神髄が凝縮されている。アイコンであり伝説、そしてスターマンであるデヴィッド・ボウイである。

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1947年1月8日、デヴィッド・ロバート・ジョーンズはロンドンのブリクストンで生まれた。9歳の時、通っていたバーント・アッシュ・ジュニア・スクールのダンス&ムーヴメントのクラスでは才能の片鱗を初めて現し、彼の創作ダンスは「鮮やかでアーティスティック」かつ「驚くべき」だと教師から評されていた。父親が持っていたアメリカのロックンロールのレコードや、義理の兄弟の影響からモダン・ジャズに関心を寄せたことで音楽に触れ始め、1961年には子供ながらスキッフルのグループに参加。プラスチック製アルト・サクソフォンを始めて、ブロムリー・テクニカル・ハイスクールではアート、音楽、デザインを学んでいる。1962年には、将来的にアートワークでコラボレーションすることになる友人のジョージ・アンダーウッドと喧嘩をして片目に重傷を負い、ずっと瞳孔が拡大したままになったことで、左右の瞳の色が異なって見えるようになった。15歳の時、彼は初めてロックンロールのバンド、ザ・コンラッズを組んでいるが、早くもここから彼の変化を止めない性質が表面化してきている。ザ・キング・ビーズ、ザ・マニッシュ・ボーイズ、ザ・ロウアー・サード、ザ・バズ、ライオット・スカッドなど、5年ほどいろいろバンドを組んだ後、1967年に彼は遂にソロ契約を結んだ。名前は、ザ・モンキーズのデイビー・ジョーンズと混同されないように、デヴィッド・ボウイとした。

デヴィッド・ボウイのソロとしてのシングル“The Laughing Gnome”と、セルフ・タイトルの、超現実主義のサイケデリックな音楽を収録したアルバムは、アンソニー・ニューリー、トミー・スティール、初期のピンク・フロイド、ザ・キンクスなどの音楽から影響を受けていたが、まだイロモノ扱いに留まった。彼の長きにわたる創造と再構築の黄金期は、ダンサーのリンゼイ・ケンプと出会い、ロンドンのボヘミアン・アートとダンス・シーンにどっぷりとつかった後に始まることになる。“Space Oddity”は、1969年のセカンド・アルバム『スペイス・オディティ』に収録された先行シングルで、人類初の月面着陸に世間が沸き立ったアポロ11号の話題と重なって、UKチャートで5位にランクインする初めてのヒット作となった。そこから、曲調はダークでパラノイア的なロックに転向していき、1970年の『世界を売った男』、そしてさらにその2つを融合させた1971年の『ハンキー・ドリー』をリリースした。このアルバムは “Life On Mars”や“Queen Bitch”、“Changes”といった時代を超えた名曲を収録しており、『NME』が最近投票で決めたオールタイム・ベストのアルバムのランキングで第3位につけている。その後も、風変わりなファッションにヘアスタイル、そして中性的な風貌によって、彼のイメージは常に流動的であり続けた。1969年にはアンジー・バーネットと出会い結婚。後にバイセクシャルであることを公言している。

こういったバラバラなイメージやアイデアをひとまとめにしたのが、宇宙からやって来たロックの神様、ジギー・スターダストであり、このヒーローの成功から没落までを1972年の『ジギー・スターダスト』で描いた。この宇宙人は、音楽番組「トップ・オブ・ザ・ポップス」のカメラに向かって指をさし、「I had to phone someone so I picked on you(誰かに電話せずにいられないから君を選んだ)」と歌いかけただけで、イギリスじゅうのティーンエイジャーにポップスターへの憧れを植え付けた。ジギーはグラム時代の一大現象となったが、アルバムの中でジギーが消滅したことを受けて、その成功が最高潮に達した時、デヴィッド・ボウイはステージ上でこのペルソナを葬り去った。伝えられるところによると、ハマースミス・オデオン(現ハマースミス・アポロ)の会場は大騒ぎになったという。

70年代半ばにロサンゼルスに移り住んだ頃には、深刻化したコカイン中毒が原因で「精神的テロの状況」となり、実質的には世捨て人のようだったにもかかわらず、その後十数年にわたって、デヴィッド・ボウイは批評的にも文化的にも賞賛を受けるため、音楽とペルソナの再構築を続けた。1973年には『アラジン・セイン』、1974年にはジョージ・オーウェルのSF小説『1984年』をモチーフに作られた『ダイアモンドの犬』という2枚のグラム・ロックのアルバムをリリースしたが、1975年の『ヤング・アメリカン』では、これまでのスタイルを破棄して彼が「プラスティック・ソウル」と呼ぶスタイルに移行した。その1年後、ダークで実験的なアルバム『ステイション・トゥ・ステイション』をリリースし、シン・ホワイト・デュークのペルソナでツアーを行った。このペルソナはデヴィッド・ボウイがフリードリヒ・ニーチェ、アレイスター・クロウリーやオカルトにインスパイアされて誕生したもので、「感情のないアーリア人でスーパーマン」と形容された。インタヴューでファシズムの有用性について解説したり、ヴィクトリア駅でファンに向かってナチス式の敬礼を披露したと言われており、これらの言動が物議を醸した。そして、実験的な志向と、コカイン中毒からの脱却を目指して、イギー・ポップ、トニー・ヴィスコンティ、ブライアン・イーノと共にベルリンに居を移したデヴィッド・ボウイは、この地で彼の70年代の作品で最もアヴァンギャルドな伝説的3部作、『ロウ』、『英雄夢語り』、『ロジャー』をレコーディングしている。

批評家やファンたちは、デヴィッド・ボウイの創造性やペルソナの変遷、革新的なステージ演出にいつも驚かされ、感化されていた。『ダイアモンドの犬』のディストピアや、シン・ホワイト・デュークのドイツ表現主義の苛烈さ、そして「グラス・スパイダー」ツアーの壮大な創作ダンスなどがその一例だ。しかし、デヴィッド・ボウイ本人は「注意欠陥障害」に由来すると発言している。彼は単に、アルバムを1〜2枚出すくらいの期間以上は1つのことに興味を保ち続けられないのだという。彼の全盛期は1980年代前半に到来し、トム少佐のストーリーが再登場する“Ashes To Ashes”でUKチャートのナンバーワンを獲得した。1983年には、ナイル・ロジャースとコラボレーションをしたファンク・ポップのアルバム『レッツ・ダンス』で700万枚を売り上げて、彼はいつの間にかグルーヴの中に引き込まれていた。「芸術的視点でいったら、恐らく私の底辺だった」と、80年代半ばの作品について語っているが、この当時は、デヴィッド・ボウイが文化人としての地位を拡大していった時期でもあった。ファッション・イベントでは創作ダンスを披露した。映画界でもニコラス・ローグ監督の『地球に落ちて来た男』で地球に降り立った宇宙人を演じきってみせ、その他にも『ラビリンス/魔王の迷宮』や『ビギナーズ』、『最後の誘惑』など数々の作品に出演した。他にも2006年公開の『プレステージ』でニコラ・テスラを演じるなど、本業以外でも活躍の場を広げていた彼は、ラジオ局や銀行の設立や、ボウイ・ボンドというロイヤルティ収入を証券化した商品まで生み出すなど、ビジネスでも才覚を発揮していた。

それから十数年間、デヴィッド・ボウイは絶え間なく領域を拡大する期間に戻り、メタル・ロックを追求したが、あまり評価されていないティン・マシーンで活動したほか、ソロでは『アースリング』、『アウトサイド』、『ヒーザン』といったアルバムで、インダストリアル、ドラムンベース、ジャングル、ジャズトロニカなどのジャンルに挑んでいる。また、彼の先見の明は素晴らしく、インターネット初期の1998年にアーティストとしては世界初のサーヴィス・プロヴァイダーを開設し、ダウンロード・コンテンツを提供していた。2003年の『リアリティ』以降は公の場所から姿を消したので、これが彼にとっては最後のロックミュージックの作品だと捉える人も多かった。そのため、2013年の66歳の誕生日に何の前触れもなく発表された“Where Are We Now?”と、その2ヶ月後にリリースされた素晴らしいアルバム『ザ・ネクスト・デイ』は、衝撃と歓喜をもって迎えられた。その『ザ・ネクスト・デイ』がデヴィッド・ボウイの過去を振り返る作品だと評されることが多いのに対して、彼の死のたった2日前にリリースされた『★(ブラックスター)』は未知なる新しいサウンドを模索したアルバムだ。

彼の人生における最後の1年は、決して冷めない創造性と、彼のキャリアにおいても指折りの強力かつ熱意あるスタジオ・パフォーマンス、そして徹底した秘密主義に彩られていた。つまり、ロック・ミュージック史上最も才能にあふれたミュージシャンの1人が、我々に彼の生き様を遺してくれたのだ。それは輝かしく、不可知のエニグマ(謎)である。

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