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プリンスは多作なアーティストだった――彼は本当に、数多くの作品を遺している。彼のベストソングを決めるのは限りなく不可能に近いが、我々『NME』編集部ではそれを試みた。最終的に選ばれたリストに賛同しない読者もおられるだろうが、以下の20曲が傑作であることは否定できないだろう。素晴らしい音楽をありがとう、プリンス。

“I Wanna Be Your Lover”(1979年)

ディスコ黄金期が終わりに差し掛かっていた1979年にリリースされたプリンス初のヒット作は、セクシーかつスムースな仕上がりだ。心地良いファルセットを操る当時21歳のプリンスが、単なる淫らな背信者ではなく妥協なきアーティストとして自らの立ち位置を決めていて、彼は聴衆を踊らせるためには、公序良俗といった細かいことを考慮に入れさせなかった。37年経った今も、この曲はダンスフロアを弾けさせている。


“Little Red Corvette”(1982年)

実際にプリンスがこのディスコ・ファンクのアンセムの着想を得たのは、バンドメンバーだったリサ・コールマンが所有していたピンク色のエドセルの車内で眠っていた時だった。彼は何からでもインスピレーションを得て、ポップスの魔法に変えてしまう驚くべき才能があるという好例だろう。“Little Red Corvette”は5枚目のアルバム『1999』収録のマンモス・ヒットとなった1曲だが、陶酔感のある、ピッチに挑むようなヴォーカルがこんな風にアドリブを披露していれば、売れたのも驚くことではないだろう?


“Raspberry Beret”(1985年)

わずかに迫力に欠ける『アラウンド・ザ・ワールド・イン・ア・デイ』に収録されている曲だが、“Raspberry Beret”では、プリンスがつまらないアルバイトや女の子と納屋での愛の営みなどを題材にすることで、ただの人間として我々と交流しているようだった。間違いなくプリンスのポップ・ミュージックの傑作だ。


“Purple Rain”(1984年)

偉大なアーティストには必ず傑作があるもので、完璧な作品を持っているかどうかが、失敗したアーティストとの分かれ目だ。プリンスにとって、それは明らかに“Purple Rain”になるだろう。もちろん、間違いなく最もよく知られているプリンスの楽曲であるのだが、それにはちゃんとした理由もある。ギターのリックやゴスペルのうねりはすべて高い精度と陶酔を持って胸に突き刺さる。生意気さ、威勢の良さ、我儘さと同時に技術の高さが光る。この9分間にプリンスが愛される要素はすべて濃縮されている。


“Alphabet Street”(1988年)

“Alphabet Street”が素晴らしい理由は2つある。1つ目はリリース時に販売禁止にならなかったこと(かつて、明らかにオーラル・セックスを題材にした曲がトップ10入りしたことはない)。そして2つ目は見事な変化を見せたことだ。ブルージーで、一筆書きのギターによるボ・ディドリー風のデモ・バージョンが、万華鏡のような、何度もサンプリングされることになった野獣として生まれ変わって、果たして世界に知れ渡り、愛される曲となった。その点ではレコード史において、たった30年間でポップ・ミュージックがどれほど遠くまで旅をしたかが分かる最良の例の1つと言えるだろう。


“When Doves Cry”(1984年)

“When Doves Cry”には、チャートに載るヒット曲を妥協なしに生み出せるポップ・アーティストとしてのプリンスの才能が詰まっている。イントロでプリンスの長い唸りが続いたかと思えば、その後は突き刺すようなシンセラインが入り、まるでミュージシャンがリスクを冒して、世界中の聴衆の前で、自らが気まぐれに制作する権利を実現しているようだ。そして、どういうわけか、それでもダンスフロアを満員にしてしまうのだ。


“1999”(1982年)

恐らくプリンスの中でも出色の1曲となる“1999”は、高まるシンセのリフからファンキーなベースライン、猛烈にポップなコーラスまでをすべて含んだ、彼の音楽的な天賦の才を網羅した曲だ。お立ち台の上で踊ってしまうのは偶然ではなく必然なのだ。さあ、しっかりそこに立って、音量を上げて、1999年にいるかのようにパーティをしよう。


“Kiss”(1986年)

プリンスは、マザラティというファンク・バンドにこの曲を提供する前、当初アコースティックな曲として制作していた。彼らのバージョンを聴いたプリンスはこの曲を引き上げて、彼のリード・ヴォーカルに置き換え、コーラス部に不朽のギターブレイクを入れたら不思議なことに、弾むようにグルーヴィーな珠玉の1曲となった。


“Sign O’ The Times”(1987年)

『NME』が1987年のベスト・シングル・オブ・ザ・イヤーに選出した“Sign O’ The Times”は、率直に言って傑作だ。音楽の境界線を押し上げたプロテスト・ソングでもあり、フェアライト製のシンセサイザーから響く最小限の電子音の向こうに激しい社会的メッセージを秘めている。そのメッセージでは、エイズ(“名の知られていない手強い病”)、ヘロイン、コカイン、ギャング・カルチャー、自然災害、貧困とアメリカの『スターウォーズ』について立ち向かっている。この歌が持つ威力は、これらがかなり直接的に言及されており、飾りたてたメタファーは一切使われておらず、以下のように冷たい宣言があるだけだ。「9月、いとこが初めてマリファナを吸った/彼は今ではホース(ヘロイン)をやってる――6月になった」。「テレビをつけると、誰かの訃報以外のすべての話が流れている」という一節は、プリンスの訃報に際してたくさん引用されている歌詞で、最愛のスターがまた1人、我々から奪われてしまった。あまり慰めにはならないだろうが、意図されたことではない――“Sign O’ The Times”は簡潔で鋭い衝撃を含んだ曲だ。


“U Got The Look”(1987年)

1987年のアルバム『サイン・オブ・ザ・タイムズ』はヒップホップ、ロック、ジャズ、ファンクの広い要素を取り入れた傑作に仕上がっている。“U Got The Look”はニュー・ウェーヴの曲で、エネルギッシュで、堂々たる威厳を感じると同時に、かき乱すギター・ソロまで用意された80年代のポップ・モンスターだ。また、この曲ではコーラスにシーナ・イーストンを起用している。彼女はエスター・ランジェンが司会の番組『ザ・ビッグ・タイム』で優勝したスコットランド出身の歌手であり、プリンスの恋人でもあった。彼女のためにプリンスはセクシーな“Sugar Walls”という曲を提供している。


“Money Don’t Matter 2 Night”(1991年)

ヴォーカルは割れてしまっているが(幸運なスタジオでのアクシデントとして、プリンスは敢えてそのままにした)メッセージは明白だ。すなわち、甘い金(sweet dollar-dollar)より大切なものが人生にはある、ということ。「お金を貯めようと頑張るより」、「魂が健全なことを証明した方がいい人生だ」と、プリンスは言う。シンプルな心情によるシンプルなR&B。だが、うん、これは美しい。


“Diamonds and Pearls”(1991年)

目を閉じて結婚式を想像して(自分が本当にやるというんではなく)この曲をかけてみる。大きい白いメレンゲみたいなドレスを着て、私の友だちや家族がみとれる前でプリンスが私とゆっくりダンスしているの。これが絶対叶わなくなって悲しいわ。身長も同じくらいだった。叶えば最高だったと思うんだけど。


“Beautiful Ones”(1984年)

プリンスの最高にエモーショナルな歌の1つで、あのすべてを凌駕するアルバム『パープル・レイン』の核となる要素の一つでもある。“Beautiful Ones”がビヨンセ、マライア・キャリーらにカヴァーされているのもそれほど驚くことではない。興味深いことに、プリンスのこれから出版される回想録のタイトルにも使われる予定だ。この回想録は来年、ジュピーゲル&グラウ社から出版予定であったが、先日の訃報の後で、どうなるのかまだ何も情報は届いていない……。


“I Would Die 4U”(1984年)

イエスキリストについての歌なのに恋人への熱烈なラヴレターのような曲をプリンス作り上げたが、この曲にプリンスの天才性が潜んでいるのは明白だ。必然だが、彼が「僕は女ではない。僕は男でもない。僕は君が決して理解できない何かなのさ」と歌う時、彼自身についての完璧な総括のように聞こえる。今聴くと、彼は永遠のようでもあり、そもそも最初からこの地上に属していなかったかのようにも思えてくる。


“Controversy”(1981年)

その死に至るまで、プリンスは謎めいた存在だった。しかし、1980年代のビッグネームの1人として、彼はメディアと増え続ける「道徳的多数派」からの前例のないような厳しい視線にさらされた。彼らは、プリンスの過剰にセクシャルな歌詞と、彼から感じるジェンダー基準の危うさに、アメリカの感受性が脅かされていると判断したのだ。マイケル・ジャクソンの助けを求めるサインとしての“Leave Me Alone”とは違って、プリンスのこういう「論争」に対処するやり方はただ小バカにしたように相手を見透かすだけだった。歌詞もこう始まる。「信じられないぜ/みんなが言ってること/論争ってやつ/僕が黒人か白人かだって?/僕がストレートかゲイかだって?」 そして主の祈りを唱えたあと、マントラが来る。「みんなは僕が無礼だと言う/みんなが無礼だといいと思う/黒人も白人も同じならいいなと思う/規律なんてなければいいと思う.」これは当然だが、とってもファンキーでもある。アーメン!


“Darling Nikki”―1984年

CDを手にした時によくあるペアレンタル・アドバイザリーのステッカーをご存知だろうか? お母さんやお父さんをウンザリさせ、子供たちは一層そのアルバムが欲しくなるアレだ。このステッカーが生まれた経緯に関しては、プリンスと彼の“Darling Nikki”による影響が大きい。というのも、ステッカーを貼ることを推進するアメリカのお堅方のティッパー・ゴアは、彼女の11歳になる娘さんがこの“セックスフレンド”のニッキー(例えばこんなくだりだ「ホテルのロビーで彼女に出会った/雑誌でマスターベーションしていた」)についてのこの曲に合わせて歌ったということがきっかけで、音楽に含まれる露骨な言葉に反対する運動を始めたからだ。ならばプリンスは、彼に対して特別に警告を作らねばならぬほどセクシーだという証拠にもなるが。


“I Could Never Take The Place Of Your Man”(1987年)

プリンスはいつも最善を尽くすことに正直な人だった。このギラギラのポップ・ロックの歌詞では、彼は一夜限りの情事(自分はそれに「ふさわしかった」んだと彼は強調しているが)を断っている。理由は、彼が声をかけた謎の女性が、関係のさらなる進展を求めたからだ。この歌には、アルバムとシングルの2つのバージョンがあって、アルバムの方はこの立場だ。彼の焼け付くようなギター・ソロは、曲の半ばで遠慮がちなファンキーなインストゥルメンタルに変わる。


“Bambi”(1979年)

1979年のプリンスのセルフタイトル作からの楽曲で、若い同性愛の女性に激しく恋をし、人生は「男と一緒の方がベターだ」と説得を試みる歌だ。ちょっと疑問の残るコンセプトだが、まあこれは1970年代のことであるし、プリンスの弾くギターのキラー・リフに合わせた「Baaaaaambi(可愛い子)」という唸り声を聞くと、かなりセクシーだ。ギター・ソロについて触れていないって? それについては原曲でチェックして欲しい。


“The Most Beautiful Girl In The World”(1994年)

1994年の全英チャートで1位となったこのシングルよりも、スムースで巧みなR&Bジャムはない。これはプリンスの唯一のUKでのナンバー・ワン曲だ。「君こそが、神が女性を創造した理由なんだ」というような歌詞から察するに驚くに当たらないが、この曲が捧げられた女性のメイテ・ガルシアは、後に彼の妻となった。1996年のバレンタイン・デイのことだった。


“Sometimes It Snows In April”(1986年)

ブラのストラップだけでなく心の琴線をグッと引っ張るのがプリンスのお決まりのスタイルだった。1986年の“Sometimes It Snows In April”はある友人の死を歌った心を奪うバラードだ。「すべて良いことには終わりがあるんだ」とプリンスは海のように深い感情を込めて歌う。「そして愛は、終わってみて初めてそれと気付かされるんだ」と。我々も今、それがわかったよ。

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