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レッド・ホット・チリ・ペッパーズのドラマーのチャド・スミスはドラマーになるまでに就いた職業を振り返っている。

チャド・スミスは「ドラム・チャンネル」の新たなドキュメンタリー動画に出演し、バンドのメンバーや家族と歩んできた人生について語っている。動画では彼の兄弟や母へのインタヴューも行われている。

「ミシガン州バーミンガムでは実際の職に就いていたんだ」と彼は語っている。「最初の職業はなんだっけな? GAPの店員だっけ? 服を畳むのが上手くなかったんだよ。あ、そうだ。高校以外に職業訓練プログラムもやってたんだ。それが15歳だった。バーミンガムでパンケーキ・ハウスっていう店で皿洗いをしていたね。かなりの力仕事だったよ。しばらくそれをやっていて、皿洗いはそんな楽しくなかったね。でも、しばらくそれを続けていたんだ。一度そこで盗みをやろうとしたことがあって、だけど何にも見つからなくてね。金品はみんな金庫にあって、毎週水曜日、金は全部そこに運ばれると思ってたんだけど、何もなかったんだよ。俺は逮捕されたんだったかな。あるいは熱いメープル・シロップで火傷かなんかをしたんだよね」

チャド・スミスはドラム以外の職種では成功を収めることはできなかったと語っている。「その後、GAPで働いたんだ。新しくできたGAPの店があってさ、そこで1週間くらい働いて、服を畳むのが下手だったせいで解雇されちゃったんだ。パンツの畳み方がよくなかったんだよ。次はまたバーミンガムの塗装屋でね。塗装屋だよ。いろんな特注の色があって面白かったね。お客がやってきてある特定の色にしたがっているから、その通りにペンキをうまい具合に混ぜなきゃならないんだ。そのためには地下室に降りなきゃいけなくてね。だから、地下室に行っては、しばらくペンキを吸う羽目になったよね……俺の仕事は長続きしなくて、うまくいかなかったわけでね。得意のドラムでやってくしかなかったんだ。だって1980年、高校を卒業したのと同時にプロ活動を始めたわけだからね」

「一度、警官が来たこともあるんだ。石を詰めた雪玉を車に投げつけたり、他人の窓を水浸しにしたり、それに他人の家にスプレーで落書きしたりとか、悪いことをやってはよく外出禁止になったものだったよ。それが母親の罰のやり方なんだ。こういう悪さをデトロイトでは『デヴィルズ・ラウンジ』って言うんだ。それでハロウィンの前夜には、さらに段違いのことをやるんだよ。今みたいに家に放火するような真似はしなかったけど、悪さしたんだ。俺に完璧に合ってたね。ハロウィンより楽しかったよ」

「外出禁止になってたある日、BB弾の銃を手に入れたことがあってね。それで階段を登って、雨が降っていたから、自分の部屋で何もすることがなくてさ。だから車を狙い撃つことにしたんだ。射撃はそんなに上手くなかったね。でも、シボレー・インパラに乗った奴に当てちゃって、そいつが停車したんだ。俺は窓を閉めて隠れたけど、相手は間違いなく俺のことに気がついていて、家にやってきてさ。俺の母がドアのところで応対して、そいつが『おい、誰かが銃みたいなもんで俺の車を撃ってきたんだ。BB弾かなんかか?』と訊くと、母は『あり得ませんよ。私の息子は外出禁止で、自分の寝室にいるんです』って答えたんだ。それで案の定、もう1ヶ月外出禁止にされたよ。たくさん寝室で過ごしたよね。本当にたくさんさ。でも、それ以上に地下室で音楽をやって、ドラムを叩いたし、母や父はいつもそれをすごくすごく応援してくれたんだ」

ドキュメンタリーの動画はこちらから。

レッド・ホット・チリ・ペッパーズは今年のサマーソニックでヘッドライナーを務めることが発表されている。

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