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元インターポールのメンバーであるカルロス・Dが、コールドプレイのライヴを見ていてバンドをやめるに至った心境を語っている。

本名をカルロス・デングラーという彼は、通算4作目のセルフ・タイトル作『インターポール』完成を最後に、2010年にインターポールを脱退している。その際のコメントでは「別の道を歩むことを決意し、新しい目標を追求する」と語っていた。

今回、ニューヨーク発の地元密着情報サイト「Bedford + Bowery」の取材に答え、カルロス・デングラーは、コールドプレイのライヴに退屈してもっと別の創造的な方向性を進む必要に気がついたと述べている。

彼は次のように説明している。「僕にとってのそのきっかけは、それがきっかけだと考えるとおかしいけど、こんな感じだったんだ。僕たちの以前のマネージャーは、コールドプレイのマネージャーでもあったんだけど、コールドプレイが『サタデー・ナイト・ライヴ』で演奏した時に、僕らにライヴのチケットをくれたんだよね」

「それで、ジョン・ハムがMCだったんだけど、ずっと寸劇が続くのをワクワクしながら、ステージを見守っていたんだ。そしてコールドプレイが出てきた時、僕は、退屈だな、と感じたんだよ。正直に言うとね。そして、自分に何かが起こっていると分かったんだ。実際、ある種のアイデンティティの変化だった。本当にビックリしたよ」

「インターポールにいた時、僕はそれほど精神状態が万全ではなかった」と彼は続けている。「ひどい薬物依存で、それと格闘していた。VH1チャンネルの『ビハインド・ザ・ミュージック』でよくやるアップダウンの激しい物語を地で行ったわけさ。唯一の違いは、僕は自分の破滅を経験した時、バンドと一緒でいたいとは思っていなかったということ。僕はそんな風にいい関係をバンドメイトと築いていなかったから」

「音楽業界の誰にも、僕がああいう風に堕ちていくのを見てほしくなかった。誰であろうと決して知られたくなかった。あの経験は、自分が音楽業界で追求しているキャリアに対する自分の信条というものを根底から揺さぶったんだ」

カルロス・デングラーはまた、彼がバンドを離脱する前に、バンドがグループ・カウンセリングを受けたことを明かした。「思うに、こう言ったら嘆く人もいるかもしれないけど、僕が離脱したことは、最善のシナリオだった。なぜなら、関係者みんなが、僕が離れた後、生活はよくなっているからね」

また、カルロス・デングラーはインタヴューで自分が演技の勉強をしたことを明かし、現在は仕事を希望しているとも語っている。

「オーディションを受けて、エージェントも探している。本当に、僕は卒業したんだ。それに、『これが僕のやっていることだ』と言うのもフェアじゃないよね。僕は3年間、ニューヨーク大学で演劇のブートキャンプに通っていて、歳は41歳だよ。これから人生だっていう子供じゃない。若いクラスメイトがお尻に火がついた感じで校門をくぐったり、いろんな真似をしたりするのを見て、『かなりすごいじゃないか』って思うわけさ。僕には今、ああいう能力はない。まだバラバラのピースを組み立てている段階なんだ」

カルロス・デングラーは、先日バーモントで開催されたドーセット・シアター・フェスティバルで上演された「Sherlock Holmes And The Case Of The Jersey Lily」に出演している。

この役が決まった経緯については、次のように語っている。「学校で勉強している時にこの役のオーディションを受けたんだ。とてもいい役で、そんなに深く掘り下げる必要はなかった。王道のシャーロック・ホームズ物語というより、風刺の利いたシャーロック・ホームズでね。まあ、その両方の要素がある作品なんだ。シャーロック・ホームズのファンは大喜びだったけど、コメディの部分もたくさんあった」

インターポールは、カルロス・デングラーのいない初めてのアルバムである5作目のアルバム『エル・ピントール』を2014年9月にリリースしている。

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