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ブラック・サバスのベーシストであるギーザー・バトラーは最後のライヴ「バック・トゥ・ザ・ビギニング」のリハーサルで見たオジー・オズボーンの様子について振り返っている。

オジー・オズボーンは7月5日にバーミンガムで最後のライヴ「バック・トゥ・ザ・ビギニング」を行っており、その17日後の7月22日に享年76歳で亡くなっている。

ギーザー・バトラーはポッドキャスト『ギャビング・ウィズ・ガールフレンズ』に出演して、リハーサルでオジー・オズボーンの病状を見てショックを受けたことを明かしている。

「みんながどんな状況なのか、気になっていたよね」とギーザー・バトラーはライヴのオファーを受けた時の状況について語っている。「オジー・オズボーンが万全の状況でないことは分かっていた。ビル・ワードもしばらく調子が悪かったことも知っていた。トニー・アイオミはやる気だったし、私も他のみんなと同じようにやる気だった。だから、すぐに『分かった』と言ったよ。『やるよ』ってね。特にヴィラ・パークは自分のチームの本拠地だし、幼い頃に最初に言った場所の一つだった」

リハーサルはギーザー・バトラー、トニー・アイオミ、ビル・ワードの3人で2日間行った後、オジー・オズボーンが3日目で合流する形だったという。

「唯一衝撃的だったのはオジー・オズボーンが入ってきた時だった」とギーザー・バトラーは振り返っている。「オジー・オズボーンが病気なのは知っていたけど、どこまでなのかは分かっていなかったんだ。3日目、オジー・オズボーンが入ってきた時、彼は2人のヘルパーに支えられていた。そんな彼を見たのがショックだったんだ。もちろん、オジーだから、いくつか冗談も言っていたよ。曲を座って歌えるようにアームチェアーも用意された。彼は立っているのが難しかったからね」

ギーザー・バトラーは次のように続けている。「6〜7曲リハーサルをやって、4〜5曲を選んだ。時間の関係から4~5曲しかできないことは分かっていた。それで、最高のサウンドで、やりやすい曲を4〜5曲選んだんだ。それで昔のブラック・サバスに戻ったんだ。オジー・オズボーンは一度だけしかできなかった。一度だけ通してやってみて、彼は帰り、私たちは演奏を続けたんだ」

ギーザー・バトラーは妻のグロリアとシャロン・オズボーンの確執のために6年間会えていなかったオジー・オズボーンも含めブラック・サバスのメンバーに再会できたことは特別な機会になったと振り返っている。

「シャロン・オズボーンと揉めていたから、最後にやったライヴ以降、6年間オジー・オズボーンとは会えていなかったんだ。シャロン・オズボーンと話し合って、すべてが問題なくなって、オジー・オズボーンとやっともう一度話せたことはよかったよ。毎日メールのやりとりをしたんだ。彼が笑えることを送ってきて、私も笑える話を返した。あれだけの歳月を経て、元に戻れてよかったよ。おそらく一番古い友人だからね。知り合って57年だからね。だから、元に戻れてよかった」

オジー・オズボーンは2018年以降、フルでのライヴは行っておらず、2019年の転倒で脊椎損傷が悪化することになり、複数の手術を行ったほか、肺炎と長年の感染症に加え、パーキンソン病も抱えるなど、様々な健康問題に直面してきた。

先日、オジー・オズボーンの娘であるケリー・オズボーンは亡き父に代わってバーミンガム・アウォーズで生涯功績賞を受賞して、ファンに感謝の思いを伝えている。

ケリー・オズボーンは現地時間10月17日に開催されたバーミンガム・アウォーズの授賞式で生涯功績賞を受賞しており、街が父にとってどれだけ大きな存在だったかについて振り返っている。

「昨晩は光栄にもバーミンガム・アウォーズで父に代わって生涯功績賞を受賞しました」とケリー・オズボーンは語っている。

「みなさんの愛と応援には感謝しきれません。父も天国から誇りをもって照らしてくれていると思います。父にとってバーミンガム人であることは何よりも重要なことでした。街とそこで暮らす人々のことが大好きだったのです」

「今回の栄誉は父にとって大きな意味を持つものです。心の底から感謝します。バーミンガムよ、永遠に」

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