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オジー・オズボーンは1980年代に放尿した逸話で知られるアラモの慰霊碑から追悼の声が寄せられている。

オジー・オズボーンは現地時間7月22日に亡くなったことが発表されている。享年76歳だった。オジー・オズボーンはブラック・サバスと共に最後のライヴ「バック・トゥ・ザ・ビギニング」を7月5日に行ったばかりだった。

声明で遺族は次のように述べている。「言葉で伝えられる以上の悲しみと共に、愛するオジー・オズボーンが今朝亡くなったことをお伝えしなくてはなりません。彼は家族と一緒で、愛に囲まれていました」

「今は家族のプライバシーに御配慮いただければと思います」

訃報を受けて、ブラック・サバスのメンバーであるトニー・アイオミ、ビル・ワード、ギーザー・バトラーのほか、アリス・クーパー、エルトン・ジョン、グリーン・デイのビリー・ジョー・アームストロング、ジャック・ホワイト、ヤングブラッド、ゴースト、ゴジラらがオジー・オズボーンに追悼の意を表している。

今回、テキサス州サンアントニオにあるアラモの慰霊碑のスポークスパーソンは1982年にこの歴史的記念碑に放尿したとして逮捕された時のことを振り返りながら、追悼の意を表している。

声明は次のように始まっている。「アラモの私たちは伝説的なミュージシャンであるオジー・オズボーンが亡くなったと聞いて悲しんでいます。オジー・オズボーンとアラモの関係は1982年に起きた極めて無礼な事件によって始まりました。その行為は、この地を神聖な場所とみなす多くの人々の気分を深く、そして当然のことながら害することになりました」

「しかし、贖罪と和解もまたオジー・オズボーンの歴史の一部となりました。1992年、オジー・オズボーンは当時のネルソン・ウルフ市長に個人的に謝罪し、自身の行為を心から悔いていると表明しました」

「数十年を経た2015年、オジー・オズボーンはその深い歴史を学び、理解するためにアラモの地を再訪して、謙虚な姿勢を示しました。アラモは歴史の複雑さをあらゆる面で尊重しています」

「本日、オジー・オズボーンが歴史的な場所で歩んだ、後悔から和解への道のりを振り返りつつ、御家族、友人、世界中のファンにお悔やみを申し上げます。安らかに眠らんことを」

声明はオジー・オズボーンが息子のジャックと共にヒストリー・チャンネルの番組で2015年にアラモを再訪した時の写真と共に投稿されている。

1982年、オジー・オズボーンは妻のシャロン・オズボーンが外出を阻止しようと服を隠したため、アルコールを飲むために妻のドレス姿でホテルの部屋を抜け出し、アラモの慰霊碑をゴミの山だと思って放尿する事件を起こしている。

公共の場所での放尿で逮捕された後、オジー・オズボーンはサンアントニオでの公演を禁止されることになったが、アラモの運営と保護のために1万ドルを寄付したことで公演の禁止を解除されている。

禁止を解かれた後、オジー・オズボーンは1992年にサンアントニオのフリーマン・コロシアムで2公演を行っている。

「誰しも人生には後悔していることはあるだろ」とオジー・オズボーンは当時語っている。「サンアントニオの人々が私を迎えてくれたことを大変光栄に思うよ。今回の寄付が私が成長した証となることを願っている」

「正直、私がやってしまったすべての悪いことはまさに薬物とアルコールのせいだ。朝9時に女性のイブニングドレスを着て、しらふでアラモの前で用を足すなんて絶対にしないよ」

アラモの慰霊碑は1836年のアラモの戦いで亡くなった人を追悼するために建造された。

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