GETTY

Photo: GETTY

ブリトニー・スピアーズは昨年終了した後見人制度について語る長尺の音声がオンラインで公開されている。

昨年11月にブリトニー・スピアーズは弁護士やファンでの応援を受けて、13年に及ぶ後見人制度から解放されている。2021年7月、ブリトニー・スピアーズは後見人制度について「虐待とも言える」と述べ、同年9月に父親は保佐人の立場を外されており、父親のジェイミー・スピアーズが後見人制度を終わらせることに同意した書類を提出したことで、後見人制度は終了している。

ブリトニー・スピアーズは以降、公然と家族を批判してきており、「後見人制度が終わろうとしているのは分かるけど、まだ正義を求めている。私は163cmしかないのよ。私は人生を通してより大きな人間を演じてきた。それがどれだけ大変だったか分かる?」と述べていた。

今回、現在は削除されているツイートでブリトニー・スピアーズは後見人制度について語った音声を公開している。

「多くの機会がありました。オプラ・ウィンフリーとのインタヴューなど、私の苦難と頭の中で考えていたことについてプラットフォームを使って話せる機会があったのです」とブリトニー・スピアーズは語っている。「でも、それは適切ではないと思ったのです。自分のことを話して、お金をもらうなんて、バカげていると思ったのです」

彼女は次のように続けている。「正直に、オープンにこのことを話してきませんでした。あの時期全体が恥ずかしいことだと思いましたし、人から判断されること、懐疑的でシニカルな人々がどう思うかが怖かったのです。今は私の考えや経験してきたことについてオープンに話せるくらい少し自信が持てるようになりました」

後見人制度の始まりについてブリトニー・スピアーズは次のように振り返っている。「始まった時は25歳でした。ものすごく若かったのです。友人の多くが私にメールや電話をくれて、私に会いたがっていたのを覚えています」

彼女は次のように続けている。「私の家にはスワットのチームがいて、ヘリコプターも3台ありました。母の親友と2人の女友達が泊まりに来たことを覚えています。彼女たちは私のことを担架に押し付けました。私の『狂気』はパパラッチとの追いかけっこの中で生み出されたものです。それは私にとっては今でも有名になってからやった面白かったことの一つでした。何が有害だったのか分かりません」

「母がソファに座っていて、『今日、人があなたと話をしに来ると聞いたわ。ホテルかどっかに行かないと』と言っていたことを覚えています。私は彼女の言っていることが理解できませんでした。彼女の言うことが信じられなかったのです。誰が来るんだろう? 弁護士でも来るのかな?と思っていたら、4時間後には200人を超えるパパラッチが外にいて、私を撮影しようとしていたのです。私は担架に押さえつけられて、救急車の窓から見つめていました」

音声でブリトニー・スピアーズは後見人制度について「基本的にでっち上げられた」もので、「純粋に有害だった」と語っている。「私の体内にはドラッグもアルコールもありませんでした」

音声の最後でブリトニー・スピアーズはメッセージを公開した理由について次のように語っている。「これを公開したのは私がただの人間であることを知ってもらいたかったのです。こうした体験を経て、私は被害者意識を感じていました。話をしなければ、どうやって事態をよくすることができるでしょう?」

「もしあなたが私のようにずっと孤独を感じてきた内向的な変わり者で、今このような物語を聞きたいと思うなら、あなたは一人じゃないし、このことを知ってほしいのです。私の人生は決して楽なものじゃないし、あなたは一人じゃないということを」

ブリトニー・スピアーズは先週、後見人制度が終わって初めての曲となるエルトン・ジョンとのコラボレーション“Hold Me Closer”がリリースされている。

広告 ザ・ビートルズの新作ドキュメンタリー『ビートルズ ’64』がディズニープラスで11月29日(金)より独占配信!

Copyright © 2024 NME Networks Media Limited. NME is a registered trademark of NME Networks Media Limited being used under licence.

関連タグ