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レーベルとの契約にこぎつけるのは、容易なことではない。大量に送られてくるデモ・テープ、最近で言うとサウンドクラウドのリンクに泣かされているレーベルのスタッフを想像すれば分かるだろう。しかし、今も昔も、素晴らしいバンドは一度機会を取り逃しても、他のどこかで必ず大成功を収めている。それでは、A&Rが過去に犯した音楽史上最大級に滑稽な失敗を振り返ってみる。

ザ・1975

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信じられないかもしれないが、フロントマンのマット・ヒーリーが言うには、彼のバンドはあらゆるレコード・レーベルのオーディションに落ち続けたのち、最終的にはアストン・ヴィラの元サッカー選手、ウーゴ・エヒオグが共同設立したインディ・レーベルのダーティ・ヒットを通してポリドール・レコードと契約したという。2013年にデビューを果たした彼らは、年内で最も成功したグループの一つとなった。


マドンナ

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「私の意見だが、方向性はいいと思う。ただ曲が今ひとつだ」。これは音楽業界の重鎮、ジミー・レナーがマドンナのデモ・テープを聞いてつっぱねた後、手紙に書いた言葉だという。なんとバカな! その手紙は2001年に、サザビーズのオークションに出品されている。


エド・シーラン

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数百万枚のセールスを記録したこのソロ・アーティストが言うには、レコード・レーベルの「マーケティング・ツール」として、彼のような「小太りの赤毛」は不適切だったらしく、それが原因でオーディションに落ち続けていたという。それは見当違いというものだろう。彼がリリースした2枚のアルバムは今世紀最大級の売上を達成し、ウェンブリー・スタジアムでのコンサートでは、フー・ファイターズよりも多くのチケットを売り上げている。


ザ・ビートルズ

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デッカ・レコードでオーディションを受けたザ・ビートルズを「不採用にした男」の悪名を墓場まで背負っていったのは、同社プロデューサーのディック・ロウだ。実際のところ、ビートルズの代わりにブライアン・プール&ザ・トレメローズを契約しようと決めたのは、彼の部下だったようだが。彼が弁解するところによると、後にビートルズのプロデューサーとなったジョージ・マーティンも、もし自分がオーディションを聴いていたら不採用にしただろうと語ったとのこと。しかしこの不採用によって、ビートルズの成功への道が閉ざれなかったということは言うまでもないだろう。


デイヴ・グロール

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当時14歳だったデイヴ・クロールは、ディスコード・レコードの創設者、イアン・マッケイに手紙を書き、所属バンドであるミッション・インポッシブルのシングルを出したいとお願いしたという。残念ながら、マイナー・スレットやフガジのフロントマンであったイアンはデイヴに興味は持たなかったものの、手紙は保管していたようで、最近再び公開された。


U2

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「君たちが今後活躍できるよう幸運を祈ってるよ」。これはU2から送られてきたデモ・テープに対し、興味はないと述べたRSOレコードの社長が1979年にボノに向けてかけた言葉だという。しかしその後、U2は約2億枚のレコードを売り上げている。この成功に「幸運」はまったく関係なさそうだ。RSOはいまだに後悔してるに違いない。


リンキン・パーク

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フロントマンのチェスター・ベニントンによると、彼のバンドは数多くのレーベルのオーディションで50回以上も演奏を披露してやっと、過去に一度は断られたワーナーミュージックとの契約にこぎつけたという。2000年にリリースされたデビュー・アルバム『ハイブリッド・セオリー』は1000万枚を超えるセールスを記録している。


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