30位 “John, I’m Only Dancing”(1972)
1972年、デヴィッド・ボウイは「今までもこれからも僕はゲイだ」と発言している。その8カ月後、“John, I’m Only Dancing”を発表。私生活での同性愛関係の話や、ジョン・レノンが彼の女性的な服装についてコメントしたこともあったが、デヴィッド・ボウイはその後、自身に関する噂の真偽について語ろうとはしなかった。しかし、そんな噂があっても、アメリカのレーベルでのリリースは1976年まで引き延ばされてしまった。
29位 “Always Crashing In The Same Car”(1977)
1975年から76年の間、デヴィッド・ボウイがロサンゼルスでコカイン漬けになっていた時期の終わり頃に発表されたこの曲は、故意に車に激突してきた詐欺師のドラッグディーラーへの復讐を模索していた時のことを書いているという。奇妙に静かなドラムと不気味なシンセは、プロデューサーのトニー・ヴィスコンティの言葉を借りると「幽霊のよう」に聞こえる。
28位 “All The Young Dudes”(1974)
地球上で最も偉大なロック・スターとしての活動だけでは満足いかなかったのか、デヴィッド・ボウイは1972年、彼の仲間を絶滅から保護し始めた。デヴィッド・ボウイがモット・ザ・フープルの苦境を知り、この曲を書き、プロデュースを務め、ギターを弾いたことで、彼らは解散を免れた。しかも、一瞬にして、バンドはチャートのトップに躍り出たのだ。
27位 “China Girl”(1983)
デヴィッド・ボウイのプロデュースによりイギー・ポップがソロ・デビューを果たした『イディオット』(1977)に収録されていたこの曲で、デヴィッド・ボウイはおもちゃのピアノを弾き、イギー・ポップは小さなドラムを叩いている。その後、『レッツ・ダンス』のために再収録された。デヴィッド・ボウイはイギー・ポップ版の引っかきたくなるような閉塞感を、ナイル・ロジャースのリフによって開放的なディスコ・ミュージックに仕立て上げている。
26位 “Drive-In Saturday”(1973)
1950年代アメリカのドゥー・ワップへのオマージュとして、“Drive-In Saturday”は“Life On Mars?”でも表現されていた異世界としての世の中を描いている。歌詞は小規模なSF映画のようで、滅亡後の世界がどうやって「昔を取り戻すか」について、「ミック・ジャガーがグラム・ロックを演奏するビデオを見ながら」語っている。
25位 “Kooks”(1971)
デヴィッド・ボウイと元妻アンジーの間に授かった息子、ゾーイ(後にダンカンに改名、『月に囚われた男』を監督)の誕生の後に書かれたこの曲で、デヴィッド・ボウイは自らが決して乱暴な親ではないということを「いじめっ子や男たちとはケンカしないで/他の子の父親を殴れるほどの勇気はないから」という歌詞の中で優しく示している。
24位 “TVC 15”(1976)
『ステイション・トゥ・ステイション』のレコーディングは、何よりもデヴィッド・ボウイの食生活に関する悪い噂を広めることとなった。栄養になるもの(牛乳とコカイン、唐辛子以外)はまったく摂らず、その代わりに淫らなディスコ・ミュージックやファンキーなソウル・ミュージックに身を任せていると言われていた。そのため度々幻覚を見ていたようで、“TVC 15”の歌詞の中にはガールフレンドがテレビのセットを這うのを見たという描写がある。
23位 “Queen Bitch”(1971)
デヴィッド・ボウイはルー・リードとヴェルヴェット・アンダーグラウンドに対し、歌詞にもあるように自分の「大げさな帽子」を持ち上げて見せた。この曲はその後のデヴィッド・ボウイに影響を与えた曲でもある。デヴィッド・ボウイの女性的でくだけた歌詞と、ギタリストのミック・ロンソンが織りなすエディ・コクランの“Three Steps To Heaven”の鋭いリフは、グラム・ロックの原型である。『ジギー・スターダスト』時代への道のりは、この曲から始まっていたのだ。
22位 “Be My Wife”(1977)
デヴィッド・ボウイは『ロウ』の収録曲の中でも平凡なこの曲を、アルバムの他の曲では決して用いなかった、大げさでありながら妙に冷たくよそよそしいロンドン訛りで何としてでも歌おうと心に決めていた。この曲を沸かせる最高のピアノとギター・ソロの洪水、低く轟くドラムはまったく奇妙で、否が応でも混沌とした仕上がりになっている。
21位 “Fame”(1975)
アメリカでのデヴィッド・ボウイの存在感を大きくすることになったこのシングルは、彼自身がその時期のマネジメント体制にかなり腹を立てていたという、セクシーとは程遠いテーマに影響されて作られたものである。自分自身を契約の問題から救い出すため、デヴィッド・ボウイはこの曲の名付け親であり、バック・ヴォーカルを務めた新しい相棒、ジョン・レノンに触発されたのである。
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