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シャロン・オズボーンはオジー・オズボーンとロニー・ジェイムス・ディオの熾烈なライバル関係について語り、初めて会った時には悲惨なことになりかけたと語っている。

シャロン・オズボーンは10月7日よりアメリカのパラマウント+で配信される長編ドキュメンタリー『オジー・オズボーン:ノー・エスケープ・フロム・ナウ』でこのエピソードを明かしている。

『オジー・オズボーン:ノー・エスケープ・フロム・ナウ』は「最後のステージに戻るために闘う6年間の闘病生活」を追ったもので、オジー・オズボーンやシャロン・オズボーンのほか、近い友人たちがインタヴューに応えている。

米『ローリング・ストーン』誌によれば、ドキュメンタリーの重要な場面として、シャロン・オズボーンが生涯の終盤で衰弱していく健康状態について振り返る場面があるという。シャロン・オズボーンは闘病中にオジー・オズボーンが1979年から1982年にわたって自身の代わりにブラック・サバスのヴォーカリストを務めていたロニー・ジェイムス・ディオについて知ることに時間を割いていたと語っている。

オジー・オズボーンはアルコールとドラッグ依存症のために1979年にブラック・サバスを解雇されており、その後、成功を収めたロニー・ジェイムス・ディオとはライバル関係となり、2010年にロニー・ジェイムス・ディオが亡くなるまで確執がなくなることはなかった。オジー・オズボーンはその確執に悩まされていたとのことで、自身の闘病生活と向き合いながら、ロニー・ジェイムス・ディオの人生とキャリアについて学んでいたとシャロン・オズボーンは語っている。

シャロン・オズボーンはオジー・オズボーンがYouTubeでロニー・ジェイムス・ディオのインタヴューを観ているのを目撃したという。「『なんでロニー・ジェイムス・ディオを観ているの?』と言ったら、彼は『申し訳なく思っているんだ。後悔しているんだよ』と言っていた。オジー・オズボーンはロニーのブラック・サバスのアルバムもまったく聴かなかったから、ロニーのことを知らなかった。初めて会った時はレストランでフォークで彼を刺そうとしていた。人となりも音楽のことも知らなくて、申し訳なく思っていた。それでロニー・ジェイムス・ディオのインタヴューを観ていたんだけど、私は『一体、何をしているんだろう?』と思ったの」

オジー・オズボーンは2010年にロニー・ジェイムス・ディオが亡くなったことを受けて自身の見解を和らげており、次のように述べている。「メタル界は最高の声の一つを失った」

2022年、オジー・オズボーンはロニー・ジェイムス・ディオがブラック・サバスに加入したことについて語り、怒りを乗り越えて、ギーザー・バトラーやトニー・アイオミと共にブラック・サバスのフロントマンとして「素晴らしい仕事をしていた」と述べている。

「当時はすごく悲しかったんだ。自分には彼らしかいなかったからね」とオジー・オズボーンは語り、「オジー・オズボーンのようなサウンド」にするのではなく、「完全に違う人」とやったことは嬉しかったとも述べている。「振り返ってみると、あれが最高の形だったんじゃないかな。再びいいスタートを切ることになったんだからね」

オジー・オズボーンが亡くなった後、ディオで長年ドラマーを務めていたヴィニー・アピスは二人の間に確執があったという噂を否定している。「オジーはいつもロニー・ジェイムス・ディオのことは好きだと言っていたんだ。みんな、二人が憎み合っていたようにでっち上げるけど、オジーはよくロニー・ジェイムス・ディオの話をしていたんだ。彼はロニー・ジェイムス・ディオのことが好きだった。インターネットには二人で一緒にいる写真もいくつかある。インターネットでは尾ひれがつくものだけど、実際のところは分からないんだよ」

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