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ブラック・サバスのフロントマンであるオジー・オズボーンは亡くなってから2週間を経て、死因が明らかになっている。
『ニューヨーク・タイムズ』紙によれば、死亡証明書には心臓発作と記されているという。死亡証明書には冠状動脈疾患とパーキンソン病を患っていたことも記されている。オジー・オズボーンは2003年にパーキンソン病と診断されていたが、2020年まで公表していなかった。
死亡証明書は娘のエイミー・オズボーンによってロンドンの役所に提出されている。
オジー・オズボーンについては亡くなった7月22日にバッキンガムシャーのチャルフォント・セント・ジャイルズにある自宅に救急ヘリコプターが駆けつけたことも明らかになっている。
プライベートの葬儀はバーミンガムシャーにある自宅敷地内で行われ、エルトン・ジョンやメタリカのメンバーが参列する中で埋葬されている。葬儀の前には葬列がバーミンガム市街を回る形となっており、数千人が参列している。
葬列の際にオズボーン家の人々は自動車を降りて、ブラック・サバス・ブリッジとベンチに設置されたファンの追悼碑に立ち寄っている。シャロン・オズボーンは亡くなった夫の指輪をチェーンで首からかけており、息子のジャック、娘のケリー、エイミーに付き添われる格好となっている。ケリー・オズボーンはオジー・オズボーンがかけていたことで知られる紫の丸いサングラスを着用していたと見られている。
オジー・オズボーンは現地時間7月5日に地元バーミンガムで最後のライヴ「バック・トゥ・ザ・ビギニング」を行っており、キュア・パーキンソン病財団、バーミンガム小児病院、エイコーンズ小児ホスピスに多額の寄付を行っている。
先日、ギーザー・バトラーは最後のライヴでオジー・オズボーンが衰弱した様子を見る「心の準備ができていなかった」と語っている。
「彼はリハーサル・ルームに入るのに2人の介護士と1人の看護師の助けを借りていて、杖を使っていた。オジーだったのは杖が黒く、金や宝石がちりばめられていたことだ」
「いつもの挨拶以外はほとんど口にすることはなく、歌う時も椅子に座っていた。曲のリハーサルをやってんだけど、6曲、7曲やったところで疲れ切っているのが分かった。ちょっと会話はしたけど、昔のオジーと較べると、だいぶ静かだった。数週間の準備を経て、やっとライヴの準備ができたんだ」
「最後の公演からわずか2週間余りで彼がこの世を去るとは誰も思っていなかった。でも、愛するファンの前で最後にもう一度一緒に演奏できたことに心から感謝している。あの夜のファン、そしてすべてのバンド、ミュージシャン、シンガー、ソロ・アーティストからの愛は信じられないほどだった」
ITVの取材に応じたトニー・アイオミは友人の死について「メンバーである私たちにとってはショックだった」と語っている。「昨日、聞いた時、理解できなかった。あり得ないと思ったんだ。前日にもショートメールをもらったばかりだった。事実とは思えない、現実とは思えない感じだったんだ。それで夜に『自分は夢でも見ているんだろうか?』と考え始めた。でも、さっきも言った通り、リハーサルの時も体調はよくなさそうだったんだ」
「あの公演をやるために頑張っていたんだと思う。思うのは、昨日の晩もギーザー・バトラーと話していたんだけれど、彼は公演をやるために頑張っていたと思うんだよね。そして、彼はやり遂げて、ファンに別れを告げた。それが最後だったんだよ」
オジー・オズボーンの娘であるケリー・オズボーンは父親が亡くなってから寄せられた「愛、応援、美しいメッセージ」に感謝の思いを伝えている。
「100回ぐらい、これを書こうと席につきましたが、いまだに言葉で足りるかどうかは分かりません」とケリー・オズボーンは述べている。「でも、心の底から感謝しています」
「多くのみなさまから受け取った愛、応援、美しいメッセージは本当に人生で最もつらい時期を乗り越える手助けとなりました。すべてのやさしい言葉、すべての思い出、すべての共感が言葉では言い表せないほど大切なものになりました」
「悲しみとは奇妙なものです」とケリー・オズボーンは続けている。「波のように忍び寄ってくるのです。しばらくは大丈夫ではないでしょう。しかし、家族としてこの苦しみを抱えているのは一人ではないと知ることで違いが生まれます。残された愛と光、遺産を強く握りしめています」
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