いよいよ本日、レディオヘッドの通算9作目となるニュー・アルバム『ア・ムーン・シェイプト・プール』がリリースされた。今年、最も注目を集めるリリースと言っても過言ではない同作の突然のリリースを祝して、もしかするとあなたが知らないかもしれないレディオヘッドのトリビアで、彼らの歩みを振り返っていきたい。
1. トム・ヨークの父親
トム・ヨークの父親はアマチュア・ボクサーであったため、息子にもボクシングをやらせようとしたが、その試みはあまりうまくいかなかったようだ。
2. 『イン・レインボウズ』の平均価格
最初はインターネットの配信のみで配給された7枚目のアルバム『イン・レインボウズ』は、購入者が価格を自身で設定するという革新的な試みであったが、その平均価格はたったの2.90ポンド(約450円)で、なんと60%もの人々は無料を選択していた。
3. メンバーが初めて出会った場所
レデイォヘッドのメンバーは、1980年代にオックスフォードシャーの公立の男子校であるアビントン・スクールで出会っている。コメディアンのデイヴィッド・ミッチェルも、レディオヘッドのメンバーより数年後輩の同校の卒業生だ。
4. ヴェジタリアンになった理由
トム・ヨークは、ザ・スミスの“Meat Is Murder”に触発されたことや「ヴェジタリアンの女の子とデートし始めたんだ。そして、ヴェジタリアンの振りをして彼女に良い印象を与えたかった」というより個人的な理由でヴェジタリアンになった。残念なことにノミネートされていた2005年の動物愛護協会PETA発表の「世界で最もセクシーなヴェジタリアン」の座はクリス・マーティンが獲得している。
5. バンド結成の理由
トム・ヨークによると、結局、彼とコリン・グリーンウッドは彼らの服装のセンスがひどかったことなどから一緒にバンドをやることになったという。「結局、いつも同じパーティに現れたりしていたんだけど、奴はベレー帽にキャットスーツとか何か、クソおかしな格好をしていてさ、俺はフリフリのブラウスにヴェルヴェットのディナースーツを着て、ジョイ・ディヴィジョンのレコードを貸し借りしたりしてたんだ」
6. リリースを見送られそうになった名曲
レディオヘッドの出世作となった“Creep”は、プロデューサーがスコット・ウォーカーのカバーだと勘違いしたため、1992年のシングル・リリースが見送られそうになった。事の発端は、トム・ヨークがこの曲をスタジオで、サウンドがそれっぽかったので、「俺たちのスコット・ウォーカー・ソング」と呼んでいたためである。
7. スコット・ウォーカー関連の事実2つ目
スコット・ウォーカー関連の事実2つ目:風変わりなクルーナーのスコット・ウォーカーは、レディオヘッドのメンバーになりたかったようだ。スコット・ウォーカーは、2006年に次のように語っている。「レディオヘッドは素晴らしいよ。もし僕がバンドをもう一度やるとしたら、彼らみたいなバンドがいいな」
8. 今とは違った初期のバンド編成
1987年、レディオヘッドの前進とも言えるバンドのオン・ア・フライデーにジョニー・グリーンウッドを招き入れての最初のリハーサルの後、彼らはデビュー・ライヴをオックスフォードの今は失きパブ「ジェリコ・タヴァーン」で行っている。初期の彼らが憧れていたトーキング・ヘッズに倣い、このライヴでは2人の姉妹のサックス奏者を含む金管楽奏者も参加した。
9. トム・ヨークの中指がオークションに?
2004年、トム・ヨークの中指がイーベイにおいて248ポンドで落札された。実際の彼の中指ではなかったが、これは、彼が壊した当時レディオヘッドが獲得したNMEアウォーズの指の形をしたトロフィーの一部であった。
10. 悲劇的なクリスマス
トム・ヨークは1996年に悪夢のようなクリスマスを経験している。彼の自宅の庭にある池が凍って、彼の大切なエキゾチックな魚が死んでしまったという。
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