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「NME JAPAN presents NME ICONIC ALBUM」と銘打って、11月に『サイコキャンディ』の再現ライヴの来日公演を行うジーザス&メリー・チェイン、今回の再現ライヴを行うにあたり、Vo&Gのジム・リードは『サイコキャンディ』について次のように振り返っている。「当時、俺たちの邪魔をする奴らにとって『サイコキャンディ』は晴天の霹靂みたいなものだった。当時は本当に音楽業界全体が俺たちの行く手を阻んでたんだ。1985年には、ジーザス&メリー・チェインというバンドの寿命は、半年ももたないだろうと予言してくださったお偉い方々がたくさんいたんだよ」

1985年当時、このアルバムを取り巻く境遇はどんなものだったのか。にもかかわらず、後続のバンドやシーンにここまで大きな影響を与える作品になったのはどうしてなのか。リリース当時の『NME』に掲載されたオリジナルのディスクレヴューは、そうした当時の状況を刻銘に伝えてくれる。今も『インディペンデント』紙に寄稿するアンディ・ギルによる当時のレヴューを掲載します。

ジーザス&メリー・チェインの来日公演の公式サイトはこちらから。

http://jamc-japantour.com/

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彼らのシングル“Never Understand”を聴いた時、私の頭に浮かんだのは「(キャバレー・ヴォルテールの)“Nag Nag Nag”のような曲が詰まったアルバムになれば満足だな」という個人的な思いだった。しかし、こんな作品になるとはまったくの予想外だった……。

率直に言おう。『サイコキャンディ』は、今年リリースされたアルバムの中で――いとも簡単に――最高のものになった。そのノイズの壁で覆いつくされた巨大な美の要塞は、メロディとエモーションの終わりなき回廊へと続いている。楽しめないわけがない。

正直な話、シングル“Never Understand”でジーザス&メリー・チェインの音楽を初めて知った人がほとんどだろう。しかし、彼らはこのシングルで、多種多様なロックンロールの遺伝子を組み合わせるという、不可能とも思えるようなことをやってのけた。あたかもその計算式の中には、ビーチ・ボーイズの歌声、ドリフターズの楽曲(作曲はリーバー&ストーラー?)、セックス・ピストルズ的な攻撃性、ペル・ウブの奇声、これら“すべて”が入っているかのようである。なかでも、ビーチ・ボーイズの“I Get Around”と、ペル・ウブの“My Dark Ages(I Don’t Get Around)”の2曲が出会いを果たしたことが、このシングルを入門編として誰にでもとっつきやすいものにしている。この頃からすでに明らかだったのは、彼らはどこか特別で、未知でありながら、ハードな本物だということだ。アラン・マッギーは、マルコム・マクラーレン的な「暴動・反逆」を使った売り出し戦略を使ったが、バンドは潰れることなく持ちこたえた。しかし、そんなお膳立てされた姑息な戦略よりもはるかに重要な事実は、バンドが本物だったということだ。

ジーザス&メリー・チェインは活動を始めた当初から、過去に前例がないほどの批判の集中砲火を浴びてきたバンドだ。彼らを攻撃するのは、バンドの「ノイズ」を毛嫌いし、ライヴ会場の混乱具合をちょっと知っただけで震え上がるような臆病で気弱な連中だ。しかし、そういった連中とは違った方面からの表立った批判もある。

例えば単に意地の悪い面々や評論家たちは、このバンドを革新的で先駆的と認める代わりに、その成功を単なる「ハイプ」と非難し、彼らと同じくらい革新的で重要なバンドは他にもいると主張する。ただし私も最近いろいろと聴いてみたが、ジーザス&メリー・チェインほどの大躍進を遂げたバンドには、いまだお目にかかっていない。そして、ハイプという非難に関して言えば、『勝手にしやがれ!!』のリリース後、セックス・ピストルズのアルバムを買った人が証明するように、メディアが騒いだだけの作品など結局のところ聴けるシロモノではないのだ。

もっとタチが悪いのは遠まわしに攻撃してくる連中で、「せっかく素晴らしいポップ・グループの要素があるのだから、もう少し大人になってノイズを排除すればいいのに」などと言う。こういうことを言うのは大抵、カーステレオでしか音楽を聴かず、長年耳に綿菓子を詰め込んできたような、軍物のフライトジャケットを着た60年代タイプの連中だ。彼らのポップ・ミュージックの好みは、彼らがどんな音楽や感情の面で何を学んできたかを露呈し、ポップとロックンロールの相違点の一端を浮き彫りにする。ポップは50年代よりもはるか以前から娯楽として存在し、「愛について」深入りすることなく歌う音楽だ。一方、ロックンロールはポップの中でも初めて「実際に愛する」チャンスを与えてくれた音楽なのだ。

最近私たちの周りには、ワム!やデュラン・デュラン、カルチャー・クラブ、スパンダー・バレエといったグループによる、殺菌された甘ったるい砂糖菓子のような音楽が溢れている。おこがましくもティーンエイジャーの恋愛の印象派風BGMとして使われているのだ。ちなみにティーンエイジャーの恋愛といっても、実際にはティーンエイジャーに限定されたものではない。つい最近まで自分がなぜこの手の音楽に反感を覚えるのか分からなかったが、実はこういう音楽が「愛」といった概念を堕落したシニカルなものと見なしているからだということに気づいた。そのような子供っぽい見方は、ピンクのウサギやかわいいオモチャと共に幼稚園に置いてくるべきなのだ。

もちろん、「愛」は決して甘ったるい恍惚感などではなく、胸が早鐘を打ち、舌が絡んで言葉がうまく出てこなくなるような状態を指すことは、個人的な経験から誰もが知っているはずだ。つまり愛とは、堕落した(真に)退廃的なポップの美学を支える生ぬるいものであるという思い込み、更に言えば、容易に売れ線へとねじ曲げられてしまうような生ぬるいものではなく、もっと冷ややかでスリルに満ちたものなのだ。ジーザス&メリー・チェインは以下のことを――おそらくは本能的に――理解している。ポップ・ビジネスで主導権を握っているものより、心溶けるようなポップチューンと、心臓の鼓動が高まるような、ひずんだギターのフィードバック音の組み合わせのほうが、つかみどころのない「愛」をより正確に表現できることを。他の言い方をするならば、甘いキャンディは狂気(サイコ)を味わうことなしに口にすることができないということだ。

これは、ハスカー・ドゥがアメリカン・ロックのメインストリームで成し遂げた再編成のプロセスに似ている。ある意味、矛盾した2つの要素が混じり合うことで、その相反するコントラストが、不文律であるにもかかわらず、本能的に正しい、と思わせてくれるのだ。

ジーザス&メリー・チェインは、その構成要素を合わせたもの以上の計り知れなさを秘めている。明らかにソリッドで分厚い音の壁(例えば、フィル・スペクターがプロデュースしたヴェルヴェット・アンダーグラウンドはどうだろう?)であるにもかかわらず、その中で一瞬、“Sowing Seeds”を陶酔の域にまで引き上げた天才的な音色を奏でるギター旋律が顔を覗かせる。この2つが相互作用を織りなす様は、凍りつくほどスリリングだ。

ウィリアム・リードのギターワークにはいつも心を揺さぶられずにはいられない。彼は類まれな能力の持ち主で、その卓越したギタープレイは聞く者を天国と地獄へ同時に導くことができる。彼らが自身の音楽をただのノイズだと思われていることについて苛立っているのは理解できる。だが実際には(彼らの音楽はノイズなどではなく)、完璧に計算されつくされたメロディの断片だ。それはとことんベーシックなリズムに織り込まれ(これはジャズではなく、ロックンロールだ)、永遠に続くコード・チェンジはロックンロールの夜明けから未来に向かって鳴り響く。それは痛いほどにエキサイティングでもある。

そして、収録されているトラックには4分間より長い曲はほとんどなく、3分間以上の曲でも4曲しかないことは改めて取り上げるまでもないだろう。だが、敢えて言うが、彼らはアルバムが1時間半のマルチ・メガ・マギ・ミックスのように長々と続くべきではないし、そんなものは死に値するということを理解しているのだ。曲を続けて聴くリスナー達を驚かせて刺激し続け、その瞬間ごとに彼らの鼓動を高まらせるには、この方法しかなかったのだろう。ともかく、ボ・ディドリーやタムラ・モータウン・レーベル、セックス・ピストルズがこのくらいの長さで十分だったのなら、誰がやってもこの長さで十分だ。そうだろう?

ジーザス&メリー・チェインが、ただの「シングルのバンド」と思われているのも誤解だ。『サイコキャンディ』全体をまったく評価できていない意見だろう。ブランコ・イ・ネグロからのシングル3曲が(残念ながら“Upside Down”は入っていない)これほど心地よく組み込まれている様は、このアルバムがまるで全編通してどこか極上のスタジオで収録された曲で構成されているような印象を与える。このアルバムに収録されているすべての曲がシングルに値するというべきか、このバンドがアルバムのバンドであるというべきか。この場合は、その両方だと言えるだろう。

彼らのサウンドはヘタをすると全部同じように聴こえてしまいかねない。かく言う私も各トラックが別々の曲だということを忘れかけた。アコースティックな1曲“Cut Dead”さえもだ(発表当初「Acoustic Wan:弱々しいアコースティック曲」と揶揄されたことも)。しかも、2週間も聴き続けているのにである! いずれにせよ、このアルバムの楽曲について詳しく紹介しようとすると、セックス・ピストルズを引き合いに出すか、気に入っているパートを羅列するかになりそうだ。例えば、バイカー達のアンセム“The Living End”の旋律は“God Save The Queen”を、“In A Hole”は“Stepping Stone”を彷彿とさせる。そして印象的なのは“Inside Me”の終盤。ドラムのビートに合わせて「living inside me……」とジムが繰り返すパートを聴いていると、自分の中にあるはずのモノが、外から自分を傍観しているかのような奇妙な感覚に陥る……。恐らく、トラックごとのレヴューなんて必要ないのだろう。『サイコキャンディ』のアルバムとしての完成度が伝わればいい。また、それがロックンロールに救いをもたらす1枚であること、複雑さを排除しつつも奥の深いシンプルな作品であること、そして現状を打破する最高のアルバムであることに共感してもらえればそれでいい。

一粒のイノセントな甘いキャンディが、あなたの一口を待っている。

来日公演詳細

NME JAPAN presents NME ICONIC ALBUM
THE JESUS & MARY CHAIN
“PSYCHOCANDY” 30th Anniversary Japan Tour

大阪公演
2016年2月25日(木) umeda AKASO
開場 18:00/開演 19:00
スタンディング 8,800円(1ドリンク代別・税込)

東京公演
2016年2月26日(金) 豊洲PIT
開場 18:00/開演 19:00
スタンディング 8,800円(1ドリンク代別・税込)
※会場がEX THEATER ROPPONGIから変更になっています。御注意ください。

更なる公演の詳細は以下のサイトで御確認ください。

http://jamc-japantour.com/

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